ヤダルの怒り

「ヤダルさん、つかまっててねー」

「待て、ジュニパー! ちょっと……にゃああああああぁッ⁉︎」


 やんわり告げられたジュニパーの声に応えようとした瞬間、彼女は木々の隙間を恐ろしい勢いで走り始めた。

 視界がぐんと狭まり、血の気が引いて目の前が暗くなる。一ミレ先にあった崖が、ほんの一瞬でもう目の前に見えていた。崖下まで突進したジュニパーが勢いを緩めようともしないのに気付いてあたしはとっさに首筋にしがみつく。

 ふわりと、目の前が揺れた。腹の底に突き放されたような重さを感じて、振り返ると地面は遥か彼方にあった。


「なん、じゃ……そりゃあああぁッ⁉︎」


 崖の上までひと足で飛び上がった水棲馬は音もなく着地すると人の姿に戻る。胸元に抱きかかえたあたしを静かに下ろし、どこからか取り出した銀色の銃で周囲の警戒に入った。

 ずいぶんと慣れた動きだ。肝も据わっているし、敵への対処も的確だ。これまでの旅が、荒事続きだったことがわかる。

 そして、シェーナたちとの関係が言葉も要らないほどに親密で信頼に満ちたものなのだということが。


「……羨ましいな」

「ヤダルさん、なんかいった?」


 なんでもないと首を振って、あたしは崖際の茂みまで歩く。点々と続く血の跡に、歪んで乱れた足跡。ひとつは茂みの奥、もうひとつは木立の陰だ。

 茂みに入った方はかなり血の量が多く、致命傷に近いことがわかる。木の陰からは押し殺した呻き声が聞こえる。小銃の先端がチラチラ覗いているのは、こちらに一矢報いるつもりなんだろう。


 阿呆が。


「なあ、お前。……モレア、だったか?」


 木陰の気配が、ぶるっと震えた。ジュニパーが銃を構えかけ、こちらに判断を委ねる。

 優しいな、あいつは。こちらで対処するので手を出さないように伝えて、彼女には周囲の警戒を頼む。


「ソルベシア出身のエルフのなかじゃ、とびっきりの出世だったよな? 魔王の身内に迎えられたのは、後にも先にもお前だけだった」


 ソルベシアの褐色エルフは、極端なくらいに争いごとを嫌う。自分の身を守るためだとしても戦いを避けようとするのだ。そのため一時は国ごと滅びかけたっていうから、おめでたいのにも程がある。

 そんな腑抜けどものなかで、珍しく気概らしきものを見せたエルフがモレアだった。

 ほぼ全てがケースマイアン出身者からなる“南大陸遠征部隊”に加えられた、唯一の現地人。いま思えば、あたしたちの武器と情報を手に入れるための潜入だったんだろう。

 なにか妙な決意を持っていることに、気付かなかったわけじゃない。その強い意志を向けるのは帝国に違いないと……結局は、甘く見ていたわけだ。


「……北の、蛮族どもに、我らのなに……がッ⁉︎」


 あたしは“まちぇっと”を振って、木の陰から露出してた耳の先を斬り飛ばす。悲鳴を上げて仰け反った瞬間、逆側にはみ出た反対側の耳もだ。


「あああああぁッ!」

「お前の都合は、どうでもいい。ビオーはどこだ」


 あたしたちが滅びたケースマイアンに集まった最初の頃からずーっと、一緒に戦ってきたクマ獣人の男だ。

 真面目で勇敢で面倒見が良くて、女運が悪いお人好し。あいつだけは、裏切ることなどあり得ない。


「知る、か……」

「あいつの銃を奪ったのは、お前だろうが。知らんで済まされると思ったか?」


 モレアを仲間に加えるかどうかの話し合いで、いちばん好意的だったのはビオーだった。あいつは何にでも同情して、何にでも肩入れする。相手が自分より小さく弱いと、なおさらだ。


「……ったく、あいつよりデケぇ生きモンもんなんて、龍種くらいだろうによ……」

「マルバー! こいつを撃て!」


 茂みのなかの弱々しい殺気に、見当だけで小刀を投げる。

 もとから死にかけだったもうひとりは、ゲボブッと湿った呻き声を上げて動かなくなった。


「答えろ。ビオーは、どこだ」

「殺したに、決まって……」


 銃を持ち上げかけた指を斬り飛ばす。親指を失えば保持はできない。銃は転がってモレアは丸腰になった。



 こちらを制止しようと差し出された手が、“まちぇっと”のひと振りごとに小さくなってゆく。

 襲撃地点には、小さな血痕しかなかった。それが誰のものであれ、致命傷は受けていない。クマ獣人の膂力と生命力は、エルフ程度にどうこうできるものではない。


「あんまり答えるのが遅いとな、全部の指がなくなっちまうぞ?」

「あ、ああああぁ……ッ!」


 青白い光。治癒魔法か。どうでもいい。自ら安楽な死を先延ばしにするだけのことだ。


「お前ら程度の敵が十や二十集まったところで、ビオーを殺す力はない。あいつは、どこにいる」

「そんなことは、貴様らが自分、……でッ!」


 突き出された逆の腕を、今度は縦に割く。ぱっくりとふたつに裂けた自分の腕を見て、モレアは悲鳴を上げながら転げ回る。青白い魔力光が瞬くものの、完全に修復はできない。せいぜいが、傷口を繋いで出血を止めるくらいか。


「あんまり先延ばしにすんのも、意味ねえな。賭けでもするか」

「……ッ、あ……?」


 あたしは茂みのなかから、死んだお仲間を引きずり出す。見覚えのない顔の、褐色エルフだ。

 額から小刀を生えさせて、キョトンとした表情のまま死んでいる。


「な……なに、を……」


 鞘から抜いた短刀を、モレアの腹に突き刺す。

 刺さったままでは、治癒魔法は効かない。両手が使えないので、抜くこともできない。悲鳴も上げられず硬直したまま、自分の腹から突き出した小刀の柄を見るだけだ。


「手持ちの小刀は、あと十二本。十一本まで吐かずに耐え切れたら、最後のは、そいつとにしてやるよ」

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