巌の裔

 ああ、ターイン爺さん。呼ぶのはいいけど、アンタそこオアシスの対岸じゃねえか。岸から岸に最短でも十メートル以上はある。透明度はそんなに高くないから水深は見えん。水妖フーアとやらがいるらしいから、泳いで渡る気にはなれん。そもそも濡れたくない。

 外周を回ると百メートルはある。もっとか。わざわざ車を出す距離でもないのがなあ。悩みつつ高台から降り岸辺まで出たあたしとミュニオの前に、ゴボリと大きな水泡が浮かび上がる。まずい、油断した。これ水に引き摺り込む系の、ヤッバいやつ……!

 身構える間も無く、水面から巨大な何かがドザバーッて、飛び出してきた。


「「ひゃあああぁッ⁉︎」」

「か、怪物いたッ!」

「え」

「……ジュニパー?」


 怪物いた、って。いや、姐さんそれアンタやん。水棲馬ケルピー形態だとデカいんでいきなり水から飛び出されたら一瞬ビビるわ。


「大変、もんスゴい、デカ……げぷッ! うげほッ!」

「ジュニパー、なんで溺れてんの。アンタ水棲じゃねえの? まあ、いいや。何だった? イケメンケルピーとか?」

「そんな悠長なこといってる場合じゃないって! あの島!」

「しま?」


 彼女が指す方を見ると、オアシスの中央に半ば以上水没した中洲のようなものがある。大きさは……縦横四メートルほどか。一枚岩で出来たっぽいそれが、どうかしたんだろうか。


「あれ、ゴーレム!」

「「はぁッ⁉︎」」


「おい、嬢ちゃん急いでくれ!」


 ターイン爺さん忘れてた。なんか焦ってるっぽくて、ブンブン手を振っている。


「ジュニパー、その話はちょっと待って、向こうまで渡してくれる?」

「うん」


 ミュニオとふたりで水棲馬の背に乗って、対岸まで送ってもらう。スイーッとすごいスピードで、中州から距離を取った岸周りで水上を滑るように進む。いまさらだけど、ジュニパーの推進能力は水中でこそ最大に発揮される感じ。地面を走る速度も凄まじいものはあるが、それより遥かに速くてスムーズで感心させられる。


「おう、嬢ちゃんら水ん中もイケたのか。まあ、それはいい。ちょっとそこまで来てくれ、そこの爺様がな」

「また爺さん? ここ爺さん率高けぇな」

「そうじゃの。ウダルという、廃業した……というか落ちぶれた行商人だそうじゃ」


 小屋の陰に隠れていた人影が、そのウダル爺さんか。招かれて近付くと、小屋のなかにうずくまるチンマリした人間の老人がいた。服はボロボロで薄汚れ、埃をかぶった白髪頭は乱れ放題。身形みなりのことなど気にする余裕もない様子で、憔悴しきった様子で震えている。


「おお、どうした爺さん、ターイン爺さんに虐められたか? なに勝手に住んでんだ、とか」

「虐めるわけなかろうが。わしらは、いっぺん出てったんじゃ。誰が移り住もうと口出しする筋合いはないわい。ドワーフの住んどったのは対岸の高台むこうじゃしのう」

「しぬ、みんな」

「え?」


 断定的なコメントを発したまま、涙目でプルプルしている。しゃべらなくなってしまった爺さんの扱いに困り、ターイン爺さんに解説を頼む。


「ウダルは、わしらが出て行った後ここに行き着いたらしいがの。さっきの、イーケルヒの連中に坊主どもが出て行くよういわれたのを聞いたそうじゃ」


 イーケルヒ王国。さっきオアシスの前で、あたしたちが皆殺しにした死兵集団だ。あの“話し合い”を立ち聞きしたってことか。あたしたちは、会話の内容を知らなかったからな。


「それは、あれか。自分たちの管轄するオアシスだから出てけって話?」

「いや、帝国軍による接収が決まったから避難しろという話だったそうじゃ。帝国軍が来れば、ここに残った者は問答無用で排除され殺される。それで、行き場のないウダルの爺様は小屋に籠もって震えておったわけじゃな」


 なんだそれ。併合されて属領になったとか聞いたけど、自分とこの領地にあるオアシスまで奪われるのか。そりゃ兵士だって捨て鉢にもなるわな。どうせ命懸けでぶつかるんなら、他の方法もなかったのかと思わんではないが。


「おおかた、あの盗賊的避難民少年団こどもらも似たような考えなんじゃないかのう。それで、武器を求めたんじゃろ……逃げる当てがあるのかはわからんが」

「接収って、時期とかは」

「先触れが来るくらいじゃ、数日じゃの」


 待て、待て待て待て。数日?


「ジュニパー、ここから北に水場は。オアシスじゃなくていい、少なくとも、ひとが暮らせそうな場所は」

「北側も、ずっと荒地だよ。南より少しはマシだけど、集落が増え始めるのは五百ミレくらい先から。いちばん近いとこで、二百哩くらいかな」


 居住環境が整い始めるのが七、八百キロ先? 最短で三百キロか。歩きだと、何日掛かるんだ? そもそも、行ける距離なのか?

 あたしは爺さんに、ジュニパーが見たというゴーレムの話をする。爺さんたちドワーフ集団がここに住んでいた頃にも何度か騒々しい大集団が夜中に全滅することはあったらしいけど、ゴーレムらしき痕跡はなかったので実態は把握していなかったそうな。

 しかし、とターイン爺さんは首を傾げる。


「ゴーレムは、魔物といっても生き物というのとは少しばかり違う。ふつうは魔力や魔道具による操作か、何がしかの命令で動いとるもんじゃ。ゴーレムを操るような魔力の強い奴が住んでおったらわかると思うんじゃがの」

「となると、いっぺん受けた命令を守っているとか? オアシスを守るために、“うるさい奴らを襲え”、みたいな」

「うむ。わしらも、よう無事に暮らせとったもんじゃ」


 前から帝国軍、後ろからゴーレムか。水妖なら事前に対処できるかもと思ってたのに、起動するまでは手が出しにくい。起動した後も、拳銃やらカービン銃では攻撃が通りそうにない。

 こんな状況で、面倒な要素が増えたな。


「……なあ、そいつで帝国軍を襲わせたら? 大きな音を立てさせて、全滅するまでの間は、どっかで隠れててさ」


 あたしの提案に、ターイン爺さんは一定の賛同はした。問題は、その隠れてる場所だ。

 オアシスは、大まかにいえば盆地の真ん中辺りにある。緩い起伏はあるものの、ほぼフラットな地形が数キロ四方まで続く。いつまで掛かるかわからないゴーレム起動まで遠くで隠れ暮らして、殲滅後に戻るか?

 できなくはないけど。特に目的もないのに付き合いきれん。


「逃げたら、ダメなの?」

「ダメじゃない。むしろ、それが最善策だと思う、んだけど……」

「嬢ちゃんらは、まったく問題なかろう。わしらも、まあええわい。戦にも荒事にも慣れておるし、ちっこいし、そもそもたったの三人じゃ。移動も戦闘も潜伏も撹乱も、どうにでもなる。ただ、あの坊主どもにそれが出来るようには思えん。なんぞ生き延びる手は考えておるのかのう」


 あたしたちは、ウダル爺さんにミネラルウォーターと携行食を渡し、今日は対岸のドワーフ集落に泊まると伝えおいた。ここからどうするかは、爺さん自身の決めることだ。

 南側に戻ると、死体漁りを済ませた盗賊難民団は装備を剥ぎ取った死体を一箇所にまとめていた。

 赤毛の男を呼んで話を聞く。


「あの死体は、なんか使い道でも?」

「少し離れた場所に、穴を掘って埋める。しばらく、ここにいるつもりだからな。放置すると腐って、疫病の元になるって聞いた」

「それなんだけど、イーケルヒの連中から聞いてないのか? 帝国軍が来るって」

「聞いた。いまなら見逃してやるから、死にたくなければ出てけって」

「だったら」


 赤毛の男は、困った顔で笑う。状況が理解できないほどのバカというわけではなさそうだ。

 でもきっと、ベクトルが違うだけのバカだ。ただの勘でしかないが、そんな気がした。


「俺たちは無理だ。逃げ切れない。逃げるつもりもない」

「あー、っと……なあ、移動手段あしなら、なんとかするぞ?」

「ありがとう、姐さん。でも、違うんだ。俺たち、決めたんだ。約束、したんだよ。どこかに」


 赤毛は、死体の整理を終えてひと休みしている子供たちを見て、あたしを振り返る。


「どこかに、“俺たちの居場所”があったら。それを見付けたら、もう何処にも行かないって。だから、ここは頑張れ、だから、ここは我慢しろって、ずっとさ、いってたんだ。だから」


 返答に困る。子供たちは、年少も年長もホッとした表情で笑っている。ようやく着いた、文字通りのオアシスなんだもんな。そら、気持ちはわかる。

 わかるけどさ。


「逃げて、隠れて、仲間を、見殺しにして。それでも前に進めたのは、どこかに……どこかに、俺たちが、居ても良いって、いってくれるひとがいるんじゃないかって!」


 クシャリと歪めたブッサイクな顔を見て、あたしは居たたまれなさに目をらす。

 だからだよ。だから聞かなかったんだ。こいつらの名前も。こいつらの素性も。こいつらが、どっかの誰かモブと思えてるうちは、どうなろうと割り切れる気がしてたから。


「もう、嫌だ。俺は、俺たちは、どこにも行かない。ここで生きる」

「だって、それじゃ……あと数日で、帝国軍が」

「そのときは、ここで死ぬ」


 バカはバカなりに、というべきか。決然とした表情で見据える赤毛の声は穏やかで、彼らなりの覚悟が感じられた。ちっこい子供らが、赤毛の後ろから抱きつく。


「みんな、一緒」

「そう、決めたの!」


 その顔はひどく嬉しそうで、あたしは気が滅入った。


「シェーナ」


 やめろミュニオ、ジュニパーも、お前ら、そんな生温かい目で見るな。あたしは、そんな正義の味方を演じる趣味はねえ。そこらじゅうで余所様を助けて回ってるような力も精神的余裕もないんだよ⁉︎


「いいえ、……シェーナン・アカスキー殿下」

「ぶふぉッ!」


 ミュニオが、優しく微笑んでいった。そんな“お姉さん”なチビエルフの首に抱きついたジュニパーが、後頭部に爆乳を乗っけて笑う。やめろ、ミュニオが埋もれる。


「迷える魂の守護神。そして、魔人の王子。我らに、お命じください!」

「だから、そういう設定は……って、我?」

「そうです、愛馬の騎士ジュニパレオスと、癒しの賢者ミュニオネアに!」


 なんか増えとる!

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