第18話

「こいつ私とやる気か!」


 水槽越しにこちらを見てくるゴマフアザラシにファイティングポーズをしながらマーちゃんは言った。アザラシにやる気はないと思うけど赤くて小っちゃい女の子は物珍しいのか、泳ぎ回らず丸い目でじっとマーちゃんを見続けている。ついでに言えば他の客もかわいいと呟きながらじっとマーちゃんを見つめている。


 マーちゃんは俺が買ったシンプルなワンピースの上にダッフルコートを羽織っている。服装は普通の女の子の格好だが、それ以外は全然普通じゃないので目を惹かれるのは当然だろう。それに実際マーちゃんは控えめに言ってもかなり可愛い。


 そんな訳で土曜日の昼過ぎ、俺たちは新札幌にあるサンピアザ水族館にやって来ていた。俺たちが住んでいるアパートからは地下鉄を乗り継ぎ四十分ほど掛かった。マーちゃんが住んでいた世界では転移魔法という好きな場所にテレポートができる魔法があるらしいけど、この世界では魔法は使えないみたい(それ以前にマーちゃんにはそもそも使えないらしい)なので地下鉄で移動した。この世界には魔法は無いが地下鉄はある。


「おいなんとか言え!」


 マーちゃんがアザラシに向かって叫ぶ。だがアザラシは何も言わない。ぷかぷか浮き沈みしているだけだ。


 俺はマーちゃんの隣に立ち、そんなアザラシを見ながら口を開いた。


「実際のアザラシはこんなもんだよ」

「そうみたいだな。あの映画はどうなっているんだ」

「映画だったらああいうのはよくあること、なんだけどいくらなんでもあれは無理がありすぎると思う。アザラシが転校してくるとことかは特に」

「なるほど。あの映画はやはりクソなのだな」

「クソだ」


 元とはいえお姫様がクソとか言っていいのかどうなんだと思ったが、そもそもこんな口調の時点で普通のお姫様じゃないよなと思い直した。そもそも普通のお姫様って何なんだろうか。やっぱり~ですわとか言うものなんだろうか。


「もっと見て回るぞ」


 俺がそんな事を考えていたらマーちゃんが白くて柔らかい手で俺の手を引っ張りながら歩き始めた。残った手で俺はアザラシに手を振った。アザラシは俺たちがいなくなるとわかると縦横無尽に水槽内を泳ぎ始めた。


「このカニはまだ赤くないな。私と違って」

「茹でると赤くなるんだよ。ていうか向こうの世界にもカニっているの?」


 タッチングプールでカニをつんつん触っているマーちゃんにざらざらしているヒトデを撫でながら尋ねた。マーちゃんがこの世界の事を知らないように俺も向こうの世界の事はよくわからない。こういう会話の中で知っていかなければ。


「ああ。たまに私も食べていた。だがアザラシはいなかったな、ペンギンもだ。カワウソも――いや、あれは違うか? うーむ……」

「色々同じだったり違ったりって事か」

「まあ……そうだな。そうみたいだな」


 よくわからないままだった。


 その後もマーちゃんはデンキウナギにお前は雷魔法の使いかと言ったり、仲間同士でマウンティングをしているペンギンに私の方が大きいなとマウントを取ったりして水族館を満喫していた。


* 


「待て」


 全体を見終わってそろそろ帰るかとなったところで、マーちゃんが俺の顔を真剣な顔で真っすぐ見ながら言った。薄暗い館内で白い肌がほんのり光っていて少しドキッとする。さらに身長差がだいぶあるので自然と上目遣いになっている。何を言うつもりなんだ。まさか告白か。告白なのか。いやいやでもそれはちょっと待って欲しいまだ心の準備ができてないし返事もどうすればいいか――


「セコマに行くぞ」


 マーちゃんはきっぱりとそう言った。


 恥ずかしい。それしか言えない。


「どうした。顔が赤いぞ」

「せ、セコマね。うん。でも何で?」 

「家の近所にもあるから気になっていたが、あれは何なんだ」

「コンビニだけど」

「コンビニ……小さな商店か。テレビで見たな」


 マーちゃんは主にテレビでこの世界についての知識を得ている。なんだかんだ言いつつやっぱりテレビは便利だなと思う。タイムズスクエアに行きたいと言い出した時はどうしようかと思ったけど(結局遠すぎて無理と断った)。でもセコマならちょっと歩けばある。ここからならローソンの方が近いけど。


「ほらさっさと連れていけ」


 マーちゃんは上目遣いのまま俺の袖をくいくい引っ張った。もう行くしかなさそうだ。



 こうして俺たちは水族館を出てちょっと歩いたところにあるセコマにやってきた。二十一歳異世界人、人生初のコンビニ来店である。


「色々売ってるな」

 

 マーちゃんが箱ティッシュを手に取りながら言った。そしてもう片方の手に持ってるカゴに入れた。買うつもりか。まだストックはあるんだけど。なぜだ。


「なんでティッシュ?」

「大きいから」


 単純な理由だった。

 

「北海道メロンソフトか。どんな味なんだろうか」


 マーちゃんはそれも入れた。


「カツ丼」


 マーちゃんはそれも入れた。


「なんで?」

「刑事が被疑者に出してた」


 単純な理由だった。


「ガラナ」

「つぶあんぱん」

「ミルクキャンディ」

「とり天丼」

「よくわからん容器」


 その後もマーちゃんは気になった商品を片っ端からカゴに入れた。


「この後どうするんだ?」


 パンパンになったカゴを両手に持ったマーちゃんが話しかけてきた。俺はレジを指差した。マーちゃんはてくてく歩いていった。俺も俺の分のおにぎりとお茶を手にレジに向かった。ところでマーちゃんは全部食べ切るつもりなんだろうか。そうなんだろうな。


「お会計合計、六七七二円になります」


 俺は隣に立っているマーちゃんを見た。マーちゃんは何もわかってなさそうな顔で見返してきた。


「買いすぎ」

「そうなのか?」

「買いすぎ」

「そうなのか。よくわからないな」


 やっぱり何もわかってなかった。


「あの……」

「ああすみません、俺が払います」


 財布の中身が一気に悲しくなる。マーちゃんが四つのレジ袋を全部手に持とうとしてバランスを崩しそうになったので二つは俺が持った。


「この後は?」

「ないよ。これで終わり。……財布も」

「意外と簡単だな。これなら私だけでも行ける」


 俺は今後が不安になった。なりまくった。


「家に帰るぞ」


 マーちゃんは楽しそうだった。小さな唇がくいっと上がって綺麗な歯がちらっと見えている。


 その笑顔を見て俺はまあいいかとも思ったが約七千円の予想外の出費は大きすぎる。また仕送り増やしてもらおうかな。


 そうして俺たちは重い袋を持ちながら再び地下鉄に乗り、ワンルームのアパートへと帰ってきた。


 早速不安が的中し、マーちゃんはカツ丼を食べ切っただけで満腹になった。買いまくった他の大量の総菜やら弁当は俺が食べた。それでも食べ切れなかった分は冷蔵庫に入れた。消費期限の事もあるから遅くとも二日以内には食べ切らないといけない。前途多難だ。


「今日は楽しかった。また明日も楽しい事をするぞ」


 でも、笑顔のマーちゃんの言葉を聞いてこういうのもたまにはいいかなと思った。財布のためにたまににしてもらいたいけど。


「おいハヤト。顔が暗いぞ。もっと楽しそうな顔をしろ」

「わかったよ」


 俺は笑い返した。


 こんなハチャメチャな一日も、たまには悪くない。

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