第13話

 じんわりした温かな感触が肌に伝わる。


 暖房の感触だ。どうやら俺は暖房を入れては切るのを繰り返した結果、暖房を付けるという決断をしたらしい。もしも切っていたら寒すぎてベッドから一生出られなくなっていたと思う。それになんだかんだあったがベッドで寝られたので熟睡できた。


 だから俺は七時ちょうどに、ぱっちりと目を開くことができた。


 視界には真っ白な天井と、真っ白な肌のマーちゃんが映っていた。


 マーちゃんが映っていた。


 ……なんかこういうの、もあった気がするんだけど。


「お、おはよう……」


 マーちゃんは、少し照れたような顔をしてぼそぼそと呟いた。仰向けになっている俺に跨っている、というよりはちょこんと乗っかっている。やっぱり昨日と同じ流れだこれ。


「…………」

「いや、これはだな。ちゃんと寝ているかどうかを確認しようとだな」

「ぐっすり寝れたよ。ていうか昨日もこんなのあったよね」

「い、いいだろうが別に」

「…………」

「なぜ黙る!?」

  

 マーちゃんが俺に叫んだ。朝からうるさいな。目覚まし時計か。


「……じゃ、顔洗うから」


 俺は唖然としているマーちゃんを退けると、そそくさと洗面所へと向かった。


 こじんまりとした洗面台にある、こじんまりとした鏡に俺の顔が映る。


 ……うん。昨日と同じだこれ。


 俺の顔に、ペンで何か書かれている。鏡文字だけど、思いっきり日本語だったから解読するのにあまり時間は掛からなかった。


 やれやれ。どれどれ。


「ありがとう」


 こういうの書かれると反応に困るんだけど。感謝されるのはまあわかるけど、でも落書きだからねこれ。落とすの結構時間掛かるんだからね。


「反応に困る!」


 そのまま部屋へと戻り、だらーっと座椅子に座りながらテレビを観ていたマーちゃんに言った。


「ふっ……だろうな」

「ドヤ顔すんな」

「感謝しているのは本当だぞ」

「だからそういうの言われるとなんか恥ずかしいんだけど!」

「今日は学校に行くんだろう? さっさと落としたらどうだ」


 結果、いつもより二倍くらい時間を掛けて洗顔をした後、身支度を済ませて朝食のシリアルをマーちゃんと一緒にさくっと食べた。「朝はパンだろう」なんてマーちゃんはぶつぶつ言ってたけど、俺は毎朝シリアルなのである。牛乳かけたらすぐ完成で楽だし。諸説あるみたいだけど色々栄養豊富らしいし。


「じゃ、行ってきます」

「ああ。行ってらっしゃい」


 洗顔のせいであまり時間が無かったため、ちょっと急いで家を出る羽目になった。でも、見送られて家を出ていくのはちょっと夫婦っぽいかも……って思ってしまったが一体何を考えてるんだ俺は。召喚の歯車とやらの影響がまだ続いているのか。


 *


 学校にはあっさり着いた。雲一つない青々とした空の下の晴れた通学路は、少々雪が積もって歩きづらかったが、死ぬほどの危機は感じず靴下が少し濡れた以外には特に何事も無かった。まるでに起こった事が嘘のようだった。


 俺が通う学校――札幌彩盟高校さっぽろさいめいこうこうは、札幌駅からさほど遠くない距離にある(最寄りとは言っていない)にある私立高校である。部活動が盛んな高校だが、俺は帰宅部である。最初はせっかくだしどこかに入ろうかとも思っていたが、運動部のレベルはめちゃくちゃ高いわ一人暮らしは予想以上に大変だわで結局どこにも入らなかった、というより入れなかった。無理して適当な文化部に入るのも何か違う気がしたし。


 時刻は八時ちょうどくらいであるが、正門前には既に多くの生徒がいた。まるで昨日行けなかった分がぎっしり詰まってるみたいだった。


「何その髪の色!」

「はぁー!? 別にどうでもいいっしょ!?」

「よくない! 戻しなさい!」


 ……早速、黄色い髪の知らない女子生徒が生活指導のおばちゃん教師に捕まっていた。マーちゃんがここにいたら色々とんでもない事になりそうだな。二十一歳だけど。



 俺のクラス――一年四組の教室に入ると既にクラスメイトが数人来ていた。だからと言って会話とかは別に無い。朝の時間はいつもそんな感じだ。でも、そんないつもだからこそ、どこか安心した。昨日は全くいつもじゃなかったし。


 いつも通り、誰かと挨拶をするでもなく自分の席に着くと、鞄を置いて防寒着を脱いで椅子に座った。とりあえずスマホでも見るか。と思ったら。


「竹浦くん! おはよう!」

「お、おはよぉお」

「裏返ってる! あはは!」


 既に来て座っていた隣の席のふわふわ茶髪な女子――青島萌乃あおしまもえのさんに声を掛けられた。とっさに返したけどなんか裏返って変な感じになって笑われた。恥ずかしい。言い直そう。


「おはよう」

「なんでもっかい言ったの!? まあいっか、竹浦くん。昨日何してた?」

「何してたって言われると……」


 昨日何してたんだ俺。異世界転移でいいんだよな? でも一泊して帰って来たしな。それで一緒にこっちに来ちゃった異世界人に色々教えて……一緒に寝た。事実だけど、そんな事言っても信じてもらえる訳がない。


「説明ができない」

「なにそれ!? そんなヤバい事してたの!?」


 なんだかんだあって異世界人と一緒に住むことになったなんて確かにヤバい事だ。大事件だ。そんな事だとは知らない青島さんは大きくてくりくりした目を見開いて驚いていた。何に驚いているんだ。


「本当に説明できないんだよね……」

「そう言われるとすごい気になるんだけど! 教えてよ!」

「いや……そう言われてもな……」

「お願い!」

「お願いされてもな……」


 下手に説明すると誘拐か変態か何かと誤解されそうだ。どうしよう。必死に頭を回転させる。転倒、歯車、容姿端麗頭脳明晰天真爛漫最強でも美少女かどうかはちょっと怪しい魔法使い、歯車、接吻、テレビ、エアコン、ケトル。あ、これだ。


「女の子と家でカップ焼きそば食べて、一緒に寝た」

「もしかしておうちデート!? 吹雪で休校の日に何してるの!?」

「本当に何してるんだろうね……」


 デートじゃないんだけど、詳しい説明なんてできないのでこのままデートだと受け入れる事にした。というよりつっかかるとこそっちなのか……。


「ダメだよ高校生で一緒に寝ちゃったら!」

「う、うん」

「寝るにしてもさ、順序とかを大切にして心をこう……ガシっと掴まないと! ダメだよ!」

「は、はい……」

「まったくもう!」


 青島さんはなぜかわからないけどぷんすか怒り始めた。多分だけど、とんでもない誤解をされてしまっている気がしてならない。でも訂正するにも何をどう言ったらいいのか全く見当がつかない。詰んでるかな、これ。


「おはよー萌乃ー……ってなんで怒ってんのー?」


 気がつけば次々とクラスメイトが登校してきて教室は賑やかになっていた。そして青島さんと仲が良い土谷菜乃花つちやなのかさんが俺たちの近くにやって来ていた。


「ちょっと聞いてなのか! 竹浦くんおうちデートでしたんだって!」

「ダメだよー! 不純異性交遊はー!」

「ご、ごめん……?」


 なんで謝ったんだ俺は。確かに不純異性交遊だと言われたら否定出来ないけど、いやその前にやっぱりとんでもない誤解をされてしまっている!


「まったく最近の男子はなんでみんなこうなのかなー?」

「だよね! なんか頼りがいが無い癖に手を出すのだけは一丁前に早いんだよね!」

「そーそー! この前わたしもデートに誘われて行ったんだけど夜になってからホテルでこのまま一晩過ごさないって言われたんだよー! 無理って言ったらなんか微妙な表情されたけどならそんな顔するなら最初から言うなよって感じー!」

「うわー! マジキモいねそれー!」

「ほんとそれなー!」

「わかった? 竹浦くん!」

「す、すみま、せん?」

「ほらそうやってすぐ謝るとことか! 頼りないよね!」

「わかるー! 貫くんなら貫けって感じだよねー!」


 俺を置き去りにしてとんでもなく生々しい女子トークを始めたと思ったら急に俺を引っ張り上げてきた。ていうかなんで俺が世にいる全男子を代表してるみたいにこんなボロクソ言われなきゃならないんだ。だけどデートの相手に一切触られないのは都合が良かった。ハートはチクチクするけど。


「そういえばこのまえ北二十四条のとこ行ったんだけどさー」

「あ、あそこ? でもなんか味薄くない?」

「そこがいいんじゃん!」

「そうかなぁ? ねえねえ、竹浦くんはあっさり派? こってり派?」

「こってり派、かな」


 唐突に話題がラーメンの話になったかと思ったらまたいきなりボールが飛んできた。とりあえず誤魔化す余裕も無かったので正直に返した。女子もラーメンの話とかするんだな……。もっとキャッキャウフフでドロッドロデギッスギスな話ばっかしてると思ってた。


「だよね! やっぱりそうだよね!」


 いぇーいとなぜか青島さんが手の平をこっちに向けてきたのでとりあえずこっちも応える。そしてぱしーんとハイタッチ。なんなんだよこれ。


「えー? でもあっさりの方がいいと思うなー。ヘルシーな感じするしー」

「ラーメン食べてる時点で変わらないよ!」

「そういうの気にするかしないかでどんどん変わるんだよー!」

 

 結局、俺は始業式で体育館に移動するまでの間、こんな謎すぎる女子トークに終始付き合わされ続けたのだった。そうして事あるごとに俺は謎にディスられ、次第に心がシクシクと痛んできたのだった。

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