第五章 自分への宣戦布告

     1

「やっぱりいいわあ、友井は。いぶし銀というかなんというか」


 こんどうゆうは、しみじみと呟いた。

 八月十七日、日曜日。JFL後期第十七節。

 烏ノ山陸上競技場での、ハズミSCのホーム戦だ。

 ともよしとは、ハズミSCに加入したばかりのDFである。J1のチームで能力的に足りず、戦術的に合わず、といった問題で使われていなかった選手であったが、それを格安でレンタルしてきたものである。JFLレベルとしては、役立つに決まっているというものであろう。

 サポーター達は、戦場ランクを大きく落とすことになる友井のモチベーション低下を危惧していたようだが、ピッチ上で働く姿を見る分には、どうやら大丈夫そうであった。

 ハズミSCは開幕から前節までずっと3―5―2の布陣だったが、今節は4―4―2だ。

 CBをつとめるのは友井芳樹と、J2クラブからたびたびオファーのあるおかざきけんの二人だ。個人能力のみで判断するのであれば、4バックの真ん中としてはJFL最強といっても過言でないだろう。

 しかしサッカーは、十一人対十一人で行う競技である、二人だけで守備出来るものではない。全体としてもよく耐えたほうだが、結局後半三十六分に相手のセットプレーから失点してしまい、現在0―1でリードを許している状況であった。

 運悪く失点こそしたものの、全体的な内容としては以前と比べ格段によくなっている。

 もう少し守備陣の連係がよくなれば、前線も活性化してくるに違いない。そうハズミSCサポーターに期待を抱かせるに足るゲーム内容だ。

 近藤悠子の隣には、佐久間風子が座っている。

 悠子の恥も外聞もないような叫び声に比べればまだまだだというか、一生かけても追い付けないようなものであったが、風子も他のサポーターと一緒に応援の声をあげたり、無意識のうちに色々と言葉を発するようになってきていた。「ゆ」「う」「じっ!」の仕草に関しても、悠子から充分に及第点を貰っている。

 さて、ピッチ上の試合であるが、サポーターの必死の応援も虚しく、リードを許したままタイムアップを告げる笛が鳴った。

 今日も、負けた。

 今日も、得点を決めることが出来なかった。

 内容が良くなっているから、だからこそ勝てなかったことが悔しい。そういう者もいるだろう。でも風子には、あまり悔しさはなかった。

 あきたかてつの、ポスト直撃のミドルシュート……ここ最近の試合で一番惜しいと思えたシュートシーンだった。

 残念といえば残念だが、ボランチである彼が、流れの中であそこまで上がれたのだ、あそこまで相手を崩し、フリーな状態からシュートを打つことが出来たのだ。

 風子のように思う者も、多かったのだろう。一部のサポーターからは激しいブーイングが起きたが、ほとんどのサポーターは選手達に拍手を送っていた。


「今日も負けちゃいましたねえ」


 と、風子は、若い男に声をかけられた。

 試合前にサポーターの交流会が行われるのだが、最近風子は、悠子と一緒だからとはいえ、その輪の中に入って行けるようになった。今日も、お店の余りものの焼き菓子をたくさん持っていって配ったところ、喜んで受け取って貰えた。男は、その中にいた一人だ。


「はい。……でも、どんどん良くなっているのが分かって……なんだかわくわくしますね」


 風子は応えた。


     2

 風子は帰宅し、二階の自室で着替えを済ませると、疲労で重たい身体に鞭打って、一階居間のiMACで本日の試合詳細を確認する。

 公式ページで試合の流れ、監督や選手のコメントを読んでいると、あらためて今後への期待感がわいてくる。

 初ゴール、初勝利、そう遠い日ではないのではないか。


 トップページのお知らせ欄に、秋高鉄二選手、第一子誕生と書かれていた。

 風子はちょっとびっくりした。

 結婚していたんだということに。別に不思議なことでもないのに。

 なお、子供は女の子だった。

 

     3

「あたしの財布がない!」


 かさはらかおりが突然、金切り声を張り上げた。

 バッグの中身を全部机の上に出し、中を覗き込んでいる。続いて、机の中身を全部床にぶちまけた。


「どこにもない。誰か、あたしの財布知らない? 体育の前には、絶対にあったんだよ、バッグの中に! 誰か盗んだんじゃない?」

「クマじゃねえの? なんか笠原のバッグ漁ってたような気がすんだけど」


 とおがねが、けだるそうな表情で、小指を耳に突っ込んでかき回している。

 当然、全員の視線が風子に集中する。

 風子は反論せず、黙って自分の机に手を突っ込んだ。教科書やノートなど授業道具を取り出して机の上に積んでいく。彼女としては、単にないことを証明したかっただけなのだが……

 風子の手に財布が握られていた。


「あたしの財布だ!」


 笠原が叫んだ。


「やっぱりだ。ついにこいつ、人の財布に手を出しやがった。最低な奴! 泥棒!」


 遠金は表情を急変させ、楽し気な笑みを浮かべて、はしゃぐように叫び出した。

 疑われた風子は、席を立つとゆっくり笠原へと歩み寄った。

 手にしていた財布を、差し出した。


「誰かが……入れたんだと思う」


 笠原は奪い取るように、自分の財布をつかみ取った。とほとんど同時に、風子の胸を突き飛ばしていた。

 風子はよろけ、床に尻餅をついて倒れた。


「あんた、この前のこと、まだ根にもってたの? ねちねちして、気持ち悪い。ほんっとに嫌らしい性格! だからいじめられるんだよ」


 先日の、缶ジュースを買って戻るまでの時間を勝手に賭け対象にされていた件であろう。


「根にもつなんて……そんなこと、思ってない。それに……財布だって、盗んでいない」

「盗んでないわけないでしょ。なんであんたの机の中にあるの?」

「誰かが……」

「誰よ。いってみなさいよ」

「それは……」

「ほら、いえやしない」


 当たり前だ。誰が貶めたい本人のいるところで、分かるように他人の財布を盗んで机に入れるものか。


「人のせいにしようとして、ほんと最低だね。恥ずかしいと思わないの?」

「知らない……本当に……」


 消え入りそうな声で、弁解にもならない弁解をする風子。

 全員、特に女子の冷たい視線が鋭い刃になって、風子の心臓をずばりぐさりと斬り付け刺し貫いた。

 と、その時であった。


「犯人は佐久間じゃねえぞ!」


 ばしゆうが立ち上がった。

 がりがりで色も白く、まさにもやしのようなという表現の似合う男子生徒である。

 しんと静まり返った教室で、小橋は続ける。


「おれ、またお腹壊してよう、体育の授業に大幅に遅れちゃって。体育着を取るために教室に来たら……」


 小橋は携帯電話を取り出した。

 なにやらボタンを操作すると、ノイズ混じりの音声が流れ出した。




 「……んだよそんなこと。笠原がクマから金をぶんどったっていうじゃん。だから、クマの机に財布入れとけば絶対信じるって。笠原の馬鹿、単細胞だしさ」

 「クマのやつ、隠して自分のもんにしちゃうかもね。財布見つけたーって」

 「そんな度胸ねえよ、あんなやつ。おろおろした挙げ句、正直に差し出すよ。だだだ誰かがいいい入れたんだと思う、とかいって」

 「信じるわけないよね。そしたら、笠原怒っちゃうよねえ」

 「そういうこと。あの女さあ、凶悪に底意地が悪いから、クマが犯人だと思っても思わなくても、いいきっかけとばかりに、クマのこといびりはじめるだろうな」

 「だね」

 「だから財布がそのままなくなっちまったっていいや、そしたら笠原ざまみろだ。あの女も、前々からむかついてっからな、あたし。笠原さ、顔の造りがいじめられっ子みたいだから、自分がいじめられないようにいつも他の誰かを標的にしていたいんだよ」

「わはは。ちょっと酷いよお、恵理香あ」




 ノイズだらけの音質であろうとも、聞き間違えるはずもない。それは遠金恵理香と、いつも一緒にいる谷澤達子、矢野舞子、三人の会話だった。


「ふざけんな小橋、馬鹿野郎」


 遠金は、小橋の携帯電話を振り下ろす手で叩き落とした。


「録音してんじゃねえよこのアホ!」


 さらに遠金は、小橋の顔を握り拳で殴ろうとする。

 叫び、大袈裟に腕を振り上げたことで動きのロスが生じたとはいえ、運動神経が鈍く気の弱い小橋は避けることが出来なかっただろう。

 しかし彼の顔面は、なんともなかった。風子が、間に割って入ったのだ。

 鼻っ柱をグーで殴りつけられた風子の顔が、苦痛に歪む。たた、と後ろによろけた。

 なんとか踏ん張って、倒れそうになるのを堪えると、風子は、


「わ……悪いのは……そっちだと思う」


 きっ、と遠金の顔を見据えた。


「うるせえな、てめえ、ぶっとばすぞ」


 遠金は声を荒らげた。

 だが、彼女の前に、一人の女子生徒が立ちふさがる。

 笠原香である。


「ちょっと遠金さん、さっきの音声、あれどういうこと? あたしの財布がそのままなくなってもざまみろって、どういうこと? 詳しく教えてもらいたいんだけど」


 彼女は、頬をひきつらせていた。


     4

 まだ、体が震えている。

 怯えているのではない。

 なんと表現すればよいのか分からない感情が、頭の中を支配している。

 なんだろう。

 この感覚。

 自分は、変わってきている。

 それが、果たして成長と呼べるようなものなのかは分からない。

 だけど自分は今、このまま進んで行きたいと思っている。

 この先にあるものを、見たいと考えている。

 自分に戦いを挑みたい気持ちだ。昨日、一分前、一秒前の自分に。


     5

 風子はようやく入る部活を決めた。二学期になり、担任が毎日のようにうるさくいってくるようになったからだ。

 以前、二年生のすずうちたつがサッカー部に入るようすすめてきたことがあった。だが風子は、運動部に入るつもりは毛頭なかった。

 自分にとってサッカーとは、ハズミSCの観戦以外にない。

 そもそもスポーツそのものに、あまり関心がない。だから、サッカー部のマネージャーになることにも興味はない。

 人と接するのが嫌だから、というわけでもない。何故ならば、風子が選んだのはブラスバンド部。コミュニケーションなくてバンドは成り立たない。

 最近までは、部活に入るのなら幽霊部員でも通じるようなところがいいと本気で思っていた。参加するつもりが全くなかったからだ。

 しかし現在は違う。

 精一杯部活に挑戦してみるのも悪くないと考えている。

 アルバイトの時間が削られてしまうのは痛いが、仕方がない。

 仕方がないけど、でもやはり、日曜日は隔週で働かせて貰えるよう店長に頼んでみようか……

 などと考えながら放課後の廊下を歩いていた風子は、突然、肩をびくりと震わせた。

 遠金恵理香ら三人と出会ったのだ。

 三人は憎々し気な表情を隠しもせず、風子にぶつけている。

 風子は俯き肩を縮め、黙って通り過ぎた。

 ざわめきの中なので勘違いかも知れないが、ぱたぱたと彼女らの足音が追ってくる気がする。

 ちょっと怖くなって歩調を速めるが、背後からの足音もテンポが速まる。

 ついて来ている……

 間違いない。

 ここで走ったりしたら、なんで逃げたんだって後で殴られるかも知れないし。

 どうしよう。

 困ったような顔で歩き続けていると、階段への曲がり角のところで鈴内達也とぶつかりそうになった。


「お、彼女、部活決めたんだって?」


 唐突に尋ねられた。


「……はい」


 風子は頷いた。


「ブラバンだって?」


 いったいどこから仕入れた情報だ。


「はい」


 また、風子は頷いた。

 そわそわ、落ち着きのない表情であった。

 後ろが気になって、仕方がないのだ。

 でもなにも知らず無邪気な笑みを見せる先輩を無視するわけにもいかず、助けてなどと巻き込むわけにもいかず、葛藤の中、冷静を装って答える。


「もう九月だし……中学の頃からやっていた人が多いそうなので大変だと思いますけど、気にせずに自分のやってみたいことをやってみようと思って」

「そっか。しっかり頑張るんだぞ一年生」


 鈴内達也は風子の頭に、ぽんと手を置いた。


「はい」


 鈴内達也は去って行った。

 風子は、はっとした表情を作り、おそるおそる後ろを振り返った。

 遠金恵理香らの姿は、どこにも見えなかった。


     6

「おい」


 駅前通り、アルバイト先に向かうため自転車を押して歩いていると背後から呼び止められた。

 振り返ってみるまでもなく、遠金恵理香の声であった。


「今日は、さんざんコケにしてくれたねえ」


 遠金はひきつった笑みを浮かべている。


「お前なんかに、ここまでてんこ盛りをくらうとは思わなかったよ」

「別に、自分はなにも……」

「記憶力がねえのか、てめえは! 思い切り馬鹿にしたろうが」

「していない……」


 誰がいつどこで彼女のことを馬鹿になどしたか。本当に、風子にそんな自覚などはない。


「笠原とは掴み合いの大喧嘩になるしよお」

「そ、それは気の毒だけど、でも……」

「自分のせいじゃないみてえな顔してんじゃねえよ。しかも上から目線かよ、てめえ、ふざけやがって! こっちこい!」


 遠金は風子の手を掴むと、強引に引っ張った。

 自転車が倒れるが、遠金はまるでお構いなし。

 風子はなおもぐいぐいと引きずられるように引っ張られ、慌ててなんとか通学バッグだけ拾い上げた。

 風子が引っ張り込まれた先は、小さなドラッグストアの店内であった。


「なんか一つかっぱらえ。そしたら許してやるよ」


 耳元で遠金が囁く。


「そんなこと……」

「それで水に流すっていってんだよ!」


 囁き声の語気が強まる。

 怒鳴り声のような囁き声だ。


「……出来ない」


 風子は小さく、だがきっぱりと断った。

 そもそも、なにを許すというのか。

 ぱし、という音が二度、響く。風子の両の頬に、遠金の平手打ちが炸裂したのである。

 凶器の宿ったような笑みを浮かべた遠金は、すぐそばの棚から目薬の箱を二、三個掴み取り、風子の通学バッグを開いて突っ込んだ。

 そして、叫んだ。


「おじさん、こいつ、万引きしてます!」


 狭い店内に、大声が響いた。

 一つ隣の島で陳列をしていた男性店員が飛んできた。


「ま、万引きって……君ら」


 男性店員は、風子のバッグを見た。


「か、勝手に……押し込まれただけです」


 風子はバッグから目薬の箱を取り出すと、もとの位置に戻した。


「はあ? てめえ、適当なこといってんじゃねえぞ!」


 遠金は、風子の胸倉を掴み、先ほどよりも大きな声を張り上げた。

 風子は辺りをきょろきょろ見回すと、棚のすき間にきらりと光る物を見付け、指さした。

 防犯カメラであった。


「きっとこれに映っていると思うから……」

「やべえ!」


 遠金たちは、脱兎のごとき素早さで逃げ出してしまった。


「きみ、今の人達と知り合い?」

「いえ……知らない人です」


 嘘を付いた。

 別に恩を売ろうなどというつもりは毛頭なく、自分の発言が発端での騒動に巻き込まれるのを恐れたのである。



 その後、学校で何事もなかったことから、どうやら通報されることはなかったようだ。


     7

「あ、ありがとうございます、ケーキショップ、ノワゼットです。……はい、お、お世話になっ……なっております! ……はい。……はい。ささ、左様ですか。はい……では戻り次第連絡させるよう伝えます。失礼しますっ」


 受話器を置いた。

 長い溜め息。溜め息は溜め息でも、安堵の溜め息だ。

 よしっ、と小さく声に出すと、風子は小さくガッツポーズを作った。

 電話接客を終えて、本来の業務へと戻る。

 奥へ戻り、トレイにぎっちりとケーキを詰めると再び店頭へ出る。

 ショーケースウィンドウの後ろ側から、角度や間隔に注意をしながら陳列していくのだ。

 数名の客がいるのだが、いつの間にかカウンター前が小さな行列になっていた。

 今日の表番ははやしひじり一人きりなので、すぐに行列が出来てしまうのだ。


「お、お次、お待ちのかた、こちらのレジにどうぞ!」


 風子はカウンターのもう片方の側に立つと、元気よく声を出した。


     8

 つま先に、針で刺されたような激痛を感じた。

 上履きの中に画鋲が入っていた。

 以前は常に注意を払っていたのだが、最近はこうした攻撃もなく、すっかり油断をしていた。

 教室に入ると、風子の机に彫刻刀かなにかで深く文字がほられていた。「死ね」と。

 机の中に残しておいた教科書やノートは、すべて表紙にカッターで切り裂いたあとがあった。

 筆箱の中を見ると、鉛筆という鉛筆すべて芯が折れている。

 シャープペンの芯がケースに入っているが、これもすべて折れている。外に出してから折って、また戻したのだろう。

 風子は、引き裂かれた教科書を開いて授業を受けることになった。

 まともな筆記用具がないため、まったくノートをとることが出来なかった。


     9

 風子は、体育用具室に来ていた。


「部活のことで話をしたいので、放課後、体育用具室で待っている」という担任の伝言メモが机に置いてあったのだ。

 不自然に思いながらも、結局来てしまった。

 職員室に確かめに行くより、体育用具室のほうが近いためだ。

 もしいなければ、そのまま職員室に行けばいいのだから。

 と、自分にいい聞かせてここへ来たのであるが、おそらく距離が逆でも風子の行動は変わらなかっただろう。



 用具室の扉を開けたが、案の定というべきか先生の姿などどこにもなかった。

 扉を閉めようと、あらためて手をかけたところで、背後から声をかけられた。


「誰を待っているのかなあ?」


 上級生と思われる男子が三人。

 一人、見たことがあるのがいる。

 以前、遠金とよく一緒にいたのを見たことがある、確か竹田という名だ。

 三人とも、実に柄が悪そうであった。

 風子は嫌な予感を覚えていた。

 そう思えば走って逃げればよかったのかも知れないが、風子は足がすくんだようにそこから動くことが出来ないでいた。


「……先生に……呼ばれて」


 おずおずと、答えた。


「へえ」


 竹田は薄い笑みを浮かべている。

 風子は、ひっと息を飲んだ。竹田がいきなり風子の腕を掴んだのである。

 用具室の中に引っ張り込まれる風子。残る二人の男子は、ニヤニヤ顔で後に続いた。

 ドアが閉められた。

 二人の男子は、落ちている竹の棒を閂にして、扉が開かないようにした。


「おれたちがさ、先生だよ」


 竹田はまた、風子の腕を掴み、自分のほうへと引き寄せた。


「教えてやるよ、男女のいろんなことをよ!」


 竹田は、風子の顔面に容赦のない拳の一撃を浴びせた。最初の一撃が強烈なほど、女はあっさり抵抗を諦める。そのように考えたのであろう。

 いきなり殴られるなどまさか想像するはずもなく、風子は体操マットの上に叩き付けられ、崩れた。

 竹田は気味の悪い笑みを浮かべると、風子の上にのしかかった。

 風子のスカートに手をかけて、上にまくりあげようとする。風子は抵抗するが、また容赦のない拳を頬に受けた。

 遠のきかける意識の中、男たちの声が聞こえる。


「竹田あ、独り占めすんなよ」

「分かってるよ。それより、おさえてろよ横山」


 竹田の言葉に、横山といわれた肥満気味の大男が、風子の上半身に馬乗りになった。

 容赦なく体重をかけられた風子は、苦しさと恐怖とにばたばたと足を動かし、逃れようと身もだえした。

 しかし体格差が大人と子供。風子がいくらもがこうとも、のしかかった山はぴくりとも動くことはなかった。

 竹田は下品な笑い声を発しながら、風子のスカートの裾に手をかけた。

 鼻息荒く、めくり上げていく。

 閉じた膝を動かす程度しか、風子に出来る抵抗はなく、当然それは抵抗と呼ぶには遠いものであり、スカートは完全にめくり上げられ、太ももや、白い下着が彼らの前に晒されることになった。

 拍手喝采の男子たち。

 当然ながら、これで終わるはずがなかった。

 竹田は、風子の下着に手をかけた。腰の右側と左側、それぞれを掴み、脱がそうと引っ張った。

 太ももをぎゅっと閉じて必死の抵抗を見せる風子であったが、頑張りも虚しく下着は少しずつ下げられて行く。

 太もも、そして膝。完全に下ろされ、抜き取られるまでにさして時間はかからなかった。


「パンツゲットお!」


 高々と掲げる竹田。

 風子は羞恥に顔を赤らめ、身をよじろうとするが、相変わらず巨大な山にのしかかられてどうにも身動きすることが出来ず、太ももをぎゅっと閉じ続けることくらいしか出来なかった。

 だがしかし、そんな風子の両の膝に、ついに竹田の汗ばんだ手がかけられたのである。

 閉じた足を、開こうと。

 風子の必死に隠そうとしているものを、晒してやろうと。

 ばたんばたん、と身体を暴れさせる風子。自分に馬乗りになっている横山の巨体が、それでわずかたりとも揺らぐことはなかったが、それでも風子は暴れ続けた。もがき続けた。

 声を立てて、笑っている男子三人。

 男子の力である。風子のすべてを知ろうと思えば、簡単に知ることが出来ただろう。からかっているのだ。風子のことを。からかって、手を抜いているのだ。

 分かっていても、風子は必死に抗わないわけにはいかなかった。

 しかし、

 段々と、風子の抵抗する力が、弱まって行った。

 横山の肥満した身体に乗られているため、もがき続けることに疲労してしまったということもあるが、それだけではない。恐怖で畏縮しているということもあるが、それだけではない。心の中に、どこか他人事のような、冷めた、すべてを諦めた自分がもともと存在しており、その比重が大きくなってきていたのである。



 ああ。

 またか……

 結局、どう頑張ったって、なにも変わらないんだ。

 もう、どうだっていいや。

 下らない。



 竹田達の下品な笑い声。

 自分に馬乗りになっている横山の、今にもよだれを垂らしそうないやらしい表情。いやらしい息遣い。

 中学時代の記憶が、頭の中を駆け巡る。

 あつの、恨めしげな表情。

 少年達の楽しげな笑い声。



 もう殴らないで、おとなしくしているから……

 なんでも、いう通りにしますから、

 だから……



 すすり泣き、懇願する自分。

 また、あの繰り返しだ。

 なにをしたって、なんにも変わらないんだ。

 いや……

 違う。

 違う!

 そんなことはない!

 もう、あの頃の自分じゃないんだ。

 叫んでいた。

 唐突に、風子は叫んでいた。

 まるで言葉になっていない大声を張り上げて、これまでにない力で身体をよじり、暴れさせた。

 振り回した足の、つま先が竹田の顔面に直撃しようで、鈍い呻き声が聞こえた。

 風子は、なおも叫び続けた。暴れ続けた。

 馬乗りになっていた横山が、ついにたまらずマットから転げ落ちた。

 束縛の解けた風子は、めくれ上がったスカートを直しながら立ち上がると、足下にあるものを手当たり次第に拾っては竹田達に投げつけた。横山がソフトボールの直撃を顔に受け、鼻血を噴いた。


「おい、やめろてめえ!」


 怒鳴る竹田は、ハードルをぶつけられ、よけようとして逆に足をもつれさせて引っ掛かって転んだ。

 風子はまたソフトボールを拾い、投げた。

 ガラス窓の割れる音が響いた。


「な、なんだよ、こいつ、絶対に大きな声出さないからって……おとなしくやらせてくれるからって、聞いてたのに、話が違うじゃんかよう」


 竹田達は、なおも獣のように叫び続ける風子の正気の沙汰でない形相におそれをなしたか、それともガラス窓が割れたことで誰かが来るのを心配したか、たまらずに退散してしまった。

 それでも風子は叫び続け、手当たり次第に周囲の物を蹴飛ばし続け、投げ続けた。

 なにも、見えていなかったのである。

 いや、過去の自分、過去の、クラスメイトたちに取り囲まれていただろうか。

 自分のことながら、まったく分からなかった。

 ただ、狂っていた。

 必死だった。

 吠え続け、投げ続けた。

 どのくらい、そうしていただろうか。

 気が付くと体育用具室には風子一人きりだった。

 暮れかけた夕日が窓から差し込み、すべてをオレンジ色に染めている。

 風子は力抜けたように、ロールケーキのように巻かれている体操マットの上に座り込んだ。

 焦点の定まらない、うつろな視線。

 風子は、淡い光と静寂の中に包まれていた。

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