三章 二節
夕方、お祝いの会がお開きになるとアメリアはコーヒーテーブルで遊ぶユーリエを見つめていた。ユーリエは木彫りの小さなペンギンとゴリラの置物を積んで遊んでいた。
アメリアは小さな溜め息を吐いた。
ちょっぴり寂しいお祝いの会だったな。イポリトとネイサンがやけに楽しそうで妬けちゃう。……もしかしてユーリエも毎日こんな気持ちなのかな? 事件以来、人形の続きを作らなかった、自分の事で手一杯だった。帰宅してから床に就くまで一緒に居るよう努めたけどユーリエは寂しいのかな。……他の死神だって寂しいよね。パートナーを見つけても独りぽっちなんだもの。死神の夫婦以外で同居する事はないもん。……あたしにはイポリトがいる。最初はヤな奴って思ってたけどへそ曲がりなだけで優しいし、兄さんみたい。家族が側に居る。あたしって恵まれてるな。
アメリアは立ち上がると、作りかけの男性人形を組上げた。そして長い黒髪のウィッグを人形に被せ、息を吹き込む。
しかし人形は動かなかった。小首を傾げたユーリエはアメリアを見上げる。
やっぱり素人のあたしが作ったから動かないのかな。人形作家を探して作って貰わなきゃダメなのかな。でも折角組み立てたんだし……今作ったこの子が可哀想。
アメリアが瞳を伏せて黒髪の人形を抱いていると、イポリトが現れた。彼はプラモデルの箱と道具箱を抱えていた。
「おう。作業終ったんだろ? どけどけ。今からここは俺が使うんだ」
革張りの黒いソファにイポリトは無遠慮に尻を落とす。彼はプラモデルの箱を開け説明書片手に中身を確かめた。ユーリエは興味深そうにパーツの山を眺める。
彼は手慣れた手つきでニッパーでランナーからパーツを切り離した。
アメリアは声を掛けた。
「ねぇ」
「あ?」イポリトは顔を上げる。
「それ、どうしたの? 昨日まで部屋に無かったじゃん」アメリアはプラモデルの箱を指差した。
「ネイサンから『お近付きの徴に』って貰ったんだよ。貰いっぱじゃ悪ぃから自作のエロフィギュアと交換した。凄ぇ喜んでたぜ」
「ふーん。仲良いね」アメリアはつまらなそうに返事をした。
「んだよ。俺の趣味を理解してくれんのはあいつだけだな。今度あいつとプラモ・エロフィギュア談義しに飲みに行くんだ」
「あ、そう。仲良しで羨ましいなー」アメリアは人形の黒髪を撫でつつイポリトの手許を眺めていた。
大きな手は器用に小さなパーツを切り離す。パーツのバリをナイフで削りヤスリをかける。
「髪をセンス良く切ったりピアノ弾いたりプラモ組み立てたり……イポリトって器用だよね」アメリアの口から賞讃が漏れる。
「おうよ。俺に出来ねぇ事はねぇんだよ」顔を上げたイポリトは歯を見せて笑った。
「……あのさ。世界一器用なイポリトにお願いがあるんだけどいい?」
「あんだよ?」イポリトは視線を手許に戻す。
「イポリトじゃないと絶対に出来ないと想うの!」
「だからあんだよ?」
人形の作り直しをアメリアは頭を下げて頼んだ。イポリトは渋った。しかし惚れた女の頼みを断れない。作ってやる事にした。作り掛けのパーツをジッパー付きビニール袋に入れると彼女が抱いていた男性人形を受け取り眺める。
「……クソじじいに似てんな」
「父さんに似せて作ったの。ユーリエの友達にと想って」アメリアは隣に座した。
「んじゃ『友達』じゃなくて『夫婦』じゃねぇか」イポリトは豪快に笑った。アメリアは頬を赤らめた。
イポリトは人形のメイクを調べた。そしてアメリアに紙幣を渡すと『デカい文房具屋か画材屋で茶系とピンク系、グレー系のソフトパステルを買って来い』と遣いに出した。
アメリアが家を出るとイポリトは人形からウィッグを外した。頭部のネジを外し分解する。身を乗り出したユーリエが手許を覗く。
「危ねぇから下がってろ。のっぺらぼうになんぞ」
薄め液を使って人形のメイクを剥がし、艶消しスプレーをパーツに噴く。乾燥させている間にスリーショットの写真を元にメイクのデザイン画を描いた。そして遣いに出したアメリアの帰りを、コーヒーを飲みつつ待っていた。
アメリアが帰宅するとイポリトはソフトパステルをカッターで削り、アクリル絵の具をパレットに出す。そしてソフトパステルの粉を乾燥させたパーツの頬や瞼にはたきかけた。最期に細筆をとって眉や下睫毛を搔き込んだ。
再び艶消しスプレーを噴いた。
「パーツ組上げんのは明日にしとけ」
一服しようとキッチンでコーヒーを淹れていると背後からアメリアに抱きつかれた。ユーリエも彼女に倣ってイポリトの肩に抱きついた。
「ありがとう、イポリト! 大好き!」
イポリトの逞しい背にアメリアの頬と豊かな胸が当たる。
「あっぶねーな。ひっつくんじゃねぇよ」眉をしかめたイポリトはグラスポットを傾け、マグにコーヒーを注いだ。
「夕飯奢るよ! 何食べたい?」アメリアは更にきつく抱きしめる。
「いいから離れろって」
「何で?」
「……勃つから」
アメリアとユーリエはイポリトをはたいた。
アメリアに散々貶された後、イポリトはステュクスで一杯奢って貰う事にした。ラッカーの匂いで嗅覚疲労を起し、食欲がなかった。それに久し振りにピアノに触れたかった。
二柱がステュクスに入ると先客が居た。
アメリアとイポリトに微笑むパンドラの側のボックス席には長身の男と上半身裸の少女が座していた。黄色と鈍色が混在する不思議な瞳をした男は華奢な眼鏡越しにタブレットを見つめている。彼のプラチナブロンドの髪は美しい。赤毛の少女は頬杖を突きショートカクテルを飲んでいる。彼女は鈍色の瞳でイポリトとアメリアを捉えた。彼女が微かに動くと慎ましい乳房も少し揺れる。彼らの右手は包帯を巻かれておらず白かった。
先客と視線が合うとアメリアは会釈をして、イポリトと共にカウンター席に座した。彼女はキールロワイヤルを頼んだ。イポリトはウォッカ・マティーニを頼むとパンドラに耳打ちする。
「ボックス席、誰だ? 死神じゃねぇみてぇだが」
パンドラは微笑む。
「悪魔ヘルマン・ファン・ライル様とホムンクルスのダム様、ディー様で御座います」
イポリトは携帯電話をわざと落として拾った。そして眼の端でボックス席を見遣る。プラチナブロンドに華奢な眼鏡をかけた男と、赤毛で眼鼻立ちのはっきりした美少女が座している。
「ヒョロ吉一人に嬢ちゃん一人じゃねぇか」イポリトは小声で問うた。
「まあ。いいえ。お三方でいらっしゃいますよ」パンドラは微笑んだ。
「なあにぃ? こそこそと僕達の事を聞いてさぁ。一緒に飲もうよー」
二柱の背後にいつの間にか男と少女が佇んでいた。男は微笑む。
「君、ヒュプノスのイポリト君でしょぉ。それと僕の大好きなアメリアちゃん。僕の島でも君達は有名だよー」
イポリトとアメリアは顔を見合わせた。
タブレットを大切そうに抱えたライルはロングカクテルを持ってイポリトの隣に座した。少女もショートカクテルを持つとアメリアの隣に座す。二柱は悪魔とホムンクルスに囲まれた。
「アメリアちゃん、僕を覚えてなさそうだねぇ。仕方ないよねぇ。赤ちゃんの時に抱っこしたきりだもーん」
ライルは微笑むと自己紹介をした。
彼は悪魔ランゲルハンスと共に魔界を追放された夢魔だった。彼は島を持ち、そこに神族から追放された神や異形の者を住まわせているそうだ。ライルもランゲルハンスと比肩する程の魔術師らしい。しかし魔術や錬金術よりも科学に興味がある。彼が所有するライル島には携帯電話やタブレットが普及しているようだ。
「ハンスは生粋の魔術師だから最低限の科学しか受け入れないんだぁ。でも僕はこの手の玩具好きなんだぁ。人間って弱っちいけど色々考えてて可愛いよねー」ライルはタブレットを愛おしげに撫でた。
「ライルさんと会った事あったんですね」アメリアは独りごちた。
「ライル、でいいよぉ」ライルは微笑む。
イポリトはカウンターの奥に居る少女を見遣った。彼の視線を機敏に読み取ったライルはダムとディーを紹介した。
「ディー。見せてお上げー」
ライルに長い赤毛を掻き揚げられたディーは二柱に背を向けた。
彼女の背は白く美しい。それが不気味さを引き立てた。背骨を避けて左半身の皮膚が引き攣っている。そこには血管が張り巡らされた顔が張り付いていた。顔はディーと瓜二つの容貌だ。彼女は瞳を閉じていた。
彼女達は夢魔であるライルが男性から精液を採取して鋳造したホムンクルスだった。ランゲルハンスがパンドラを鋳造した事をライルは羨ましがった。パンドラを含め、ホムンクルスは蒸留瓶から出られない。ライルは器から出られるホムンクルスを鋳造しようと研究に研究を重ねた。そして瓶の中で双子の女のホムンクルスが生を受けた。ライルは狂喜乱舞した。しかし順調に育たなかった。姉が妹の体内に潜り込んだ。月日が満ちて健康な妹は姉の顔を背負い瓶から出てきた。妹の名はディー。ディーの背に貼り付いた顔だけの姉をダムと言った。
「こ、こんにちは」アメリアは挨拶する。しかし返事はなかった。
「ダムは気難しい」ディーは髪を下ろすとカウンターへ向き直った。
「ディーの体内にダムの脳はちゃんと存在するんだよぉ。一体で二頭分の酸素を使うから、頭だけのダムは滅多に喋らないんだぁ。でも時々騒ぐよー」ライルはタブレットを繰ると、二柱に動画を見せた。
キィキィと駄々をこねるダムが映っていた。背を向けたディーは頭を垂れている。撮影者であるライルがダムを宥めすかす声が聞こえる。
「病院に行きたがらないお前みてぇだな」イポリトは悪戯っぽい笑みをアメリアに向けた。
「あたしこんなに子供っぽくないもん」アメリアは頬を膨らませた。
アメリアとディーは魔術やランゲルハンス島について話に花を咲かせた。
ディーはパンドラを凌ぐ程の魔術の才を持っていた。しかし師のライルやランゲルハンス、キルケーには及ばなかった。ディーはライルに連れられランゲルハンス島を訪れた時、大魔女キルケーから薬草の知識を授けられた。海では人魚と共に泳ぎ、ケイプやライルと共に昆虫採集し、ユウとリュウの店でパンプディングを頬張ったそうだ。当時のユウはアメリアを身籠っていたので腹が大きかったらしい。小柄な妊婦はまるで可愛いボールのようだったとディーは微笑んだ。懐かしい島民達の話を聞き、アメリアは眼を細めた。
イポリトはライルと話し込んだ。ライルは芸術にも興味があるようだ。時々ディーを連れて現世を歩いては劇場やコンサートホールに向かい、個展や美術館を巡っているらしい。
「半裸の嬢ちゃん連れ回してんのか?」イポリトはグラスを傾けた。
「まさかぁ。児童ポルノ処罰法で捕まっちゃうよぉ。ダムの機嫌が悪くなるけどシャツ着せてるよー」
「悪魔の口から児ポなんて言葉が聞けるとはな」
「それよりさぁ。お願いがあるんだけどさぁ。聞いてよー」
「ヤだよ」
「聞いてくれたら何でも一つだけ願い事叶えてあげるよぅ。監視役の任を解いてあげられるし、好きな女の子をモノに出来るよぉ。どーお?」
「興味ねぇな。それに自分の力で惚れさせないなんざ気に入らねぇな」
ライルは喉を小さく鳴らして笑う。
「漢だねぇ。かっこいいなぁ。ねぇ。僕、女性に変身出来るからさぁ、精液取らせてよぉ。君のホムンクルス作りたくなっちゃったー」
「断る」眉をしかめたイポリトはグラスに口をつけた。
「お願い聞いてよー」
「あ? しつけぇな」
「違うよぅ。精液じゃなくて頼みたいのは別件だよー」
ライルは店の奥を指差す。
「僕にピアノを教えてよぉ。まだ『猫踏んじゃった』しか弾けないんだー」
「何で俺が弾けるって知ってんだよ?」
「パンドラちゃんから聞いたんだぁ。僕も『幻想即興曲』とか『熱情ソナタ』とか弾けるようになりたいー」
イポリトはパンドラを見遣った。グラスを拭いていたパンドラは淑やかに微笑んだ。
「パンドラの姐さんに習えよ。姐さんだって結構な腕前だぞ」苛立ったイポリトはウォッカ・マティーニを飲み干した。
「パンドラちゃんが『是非イポリト様に』って勧めるんだぁ。『死神にしておくには勿体ない程の才能だ。イポリトにしとけ』ってティコちゃんも言ってたしー」
額に青筋を立てたイポリトは舌打ちする。
「……姐さん、アブサン。瓶で」
「まあ。イポリト様、火を吐くおつもりですか」
「いーから」
「畏まりました」
イポリトの我慢は限界に達した。
余計な事言いやがって。好きにピアノくらい弾かせろよ。アメリアは一緒に寝て欲しいだのツーリング付き合えだのネイサンに稽古をつけろだの、ローレンスは娘を任せただの、クソばばあもさっさと口説けだのピアノ教えろだの! どいつもこいつも言いたい放題やりたい放題で俺を便利屋扱いしやがって! 俺は好きに生きてぇんだよ! もう鶏冠にきた!
アブサンの瓶を差し出されたイポリトはそれを握った。そして乱暴に立ち上がるとアップライトピアノへ向かう。無遠慮な足音を立て無表情の彼はピアノへ近付く。瓶をピアノの屋根に乗せると、席に座さずにピアノを弾いた。ロックだった。弾くと言うより鍵盤を叩き付けると言った方が妥当だ。背を思い切り逸らした彼は良い声で歌った。
自棄になりつつ『グレート・ボールズ・オブ・ファイア』を弾くイポリトをライルは微笑み眺めた。
聴いた事がある曲だ。アメリアはディーとの会話を中断してピアノを見遣る。アップライトピアノの屋根には緑色の瓶がある。彼女は以前イポリトと共に観た映画のワンシーンを思い起こした。同じ曲だ。曲の中盤でピアニストがグランドピアノに酒を掛け、火を点け演奏するシーンの曲だ。
血相を変えたアメリアは席を立つと、アブサンに手を伸ばすイポリトの背に抱きつき腕を掴み制止を試みた。
「ダメ! 燃やしちゃダメ!」アメリアは瓶を掴む。
「いーんだよ! もう! どいつもこいつも俺を便利屋扱いして!」イポリトはアメリアを振り切る。
「ダメ! ティコとの想い出が詰まってるんでしょ!?」アメリアはイポリトにすがった。
「どうでもいいんだよ! 俺は俺だ!」
「ヤダ! あたしはこのピアノを弾くイポリトが好きなの!」
「じゃあピアノが無くなったら俺はどうなんだよ!?」
「ピアノがなくてもイポリトはイポリトでしょ!?」
「嘘こけ! 馬の代わりにしか想ってねぇじゃねぇか!」
「家族よ!」
「もう、ごめんなんだよ!」
振り向いたイポリトはアメリアを睨んだ。彼女は射すくめられた。
「もう……ごめんだ」
項垂れたイポリトは瓶を床に置く。
もうごめんなんだよ、家族なんて。
アメリアを軽く突き離すとイポリトは長い溜め息を吐いた。そして逞しい体躯を折り曲げて右手の包帯を解きつつ出口へ向かう。
「……頭冷やすわ。悪かったな。先帰る」
彼は後ろ手でドアを閉めた。
「……イポリト」アメリアは呆然と立ちすくみ、閉まったドアを見つめた。
ライルはパンドラに小声で問う。
「なぁに、なぁに? どうしたのー?」
パンドラは掌で口を覆うと淑やかに微笑む。
「恋だよ、恋」気怠そうにカウンターに凭れ掛かったディーは呟いた。
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