★第五章★ 願いの先は(7)

 今日もヴィエラは戻ってこなかった。

 自宅の窓から空をぼんやりと眺めながら、ベネットは深い溜息をついた。

「ミーティアの次はヴィエラまで……。一体どこに行ってしまったんですの――」

 カップを傾け、ぬるくなった紅茶を口に含む。

 ふと空を飛ぶ影が目に入った。

「あれは――シホ? それに星団長も……。こんな時間に一体、どこへ行くんですの……?」

 妙な胸騒ぎを覚え、ベネットは家を飛び出した。

 …………

 そこは森に囲まれた美しい丘だった。

 ベネットは巨木の影に身をひそめ、そっと様子を伺う。丘の中腹あたりには、数十人の人影が見える。魔女だ。その中心には星団長――プラーネの姿が確認できた。

 そして向き合うように立っているのは――シホ。どうも様子がおかしい。

 下を向いたまま、抜け殻のように立ち尽くしている。

「大丈夫? 少しは落ち着いたかしら?」

 そんなシホにプラーネが軽く首を傾げてみせる。

「……星団長。教えてください……わたしは願いを叶えたはずです。それなのに……、どうして……」

 シホが俯いたまま言った。震えているようだった。

 すると……周囲の魔女たちからくすくすと微かな笑い声が漏れた。

 プラーネはそれを諫めるように、周りをくるりと見回すと――口を開いた。

「いいこと、シホ。良く聞いてね。……願いが叶う魔法なんて――本当は無いのよ」

「は……っ?」

 シホは自分でそうとは意識などしていないが――他人から見れば、間の抜けた声を出した。

「良く考えてみて。本当に願いが叶う魔法があるのだったら、私たちが奇跡を求めて、必死に『失われし魔術書』を探すはずがないじゃない」

「で……でも! わたしはこれまで実際にいろんな人のたくさんの願いを叶えてきています! それは確かにこの目で……!!」

 シホが手を胸にあて、必死に訴える。

 再び周囲にざわめきが起こる。それは――嘲笑、だろうか……?

「そう――。そう思うのも無理はないわ。それだけあなたの魔法が優秀だったって事ね。でも、あなたたちが見てきたものは――夢。幻なのよ」

「ゆ――夢……?」

 何を言われているのかわからない。シホは呆然としたままプラーネを見つめる。

「ええ。全ては私たち星の魔女が依頼人に魔法で見せている幻。術者である魔女も同じ幻覚に入り込んでしまうから、慣れない内は自分でも自覚できないでしょう」

 そう言ってプラーネが優しくシホの両肩を掴み、顔を覗き込む。

「願いを抱く者に魔女の吐息をかければ――世界は白い光に包まれ――そして夢の世界へと入る」

 シホから離れると、右手を軽く上げながらプラーネは続けた。

「その中でのストーリーは依頼人の願う方向に進んでいくわ。当然よね。彼らこそが夢の主なのだから」

「じゃあ――じゃあ、あれは本当は……」

 シホは病室からカナエが現れたときの事を思い出す。

 あれはレイナちゃんの願った――未来ストーリーであり、そして――幻。

「どうして……教えてくれなかったんですか……」

 シホが顔を伏せ、呟いた。

「この魔法はね、繊細なものなの。術者である魔女が幻と強く意識してしまうと、消え失せてしまうほどに」

 プラーネの吐く息が白い霧となり――風に消える。

「だから慣れない内は本人にも知らせないようにする決まりなの。それこそ、何度も繰り返して経験をつんで、そうしてやっと真実を知っても魔法を使えるようになる」

 軽く腕を組み、下を向きながら彼女は続け――

「だけれど、シホ……あなたはもう大丈夫。これからはそれを自覚した上でも夢を自在に扱えるでしょう」

 そして最後は――まるで吉報でも伝えるかのように弾んだ声でプラーネは言った。

「ど……どうして! どうして星の魔女はそんな事を……!」

 不自然に弛緩した雰囲気を吹っ切るようにシホは叫んでいた。

「それは――決まっているじゃない。ヘクセリウムを回収する為よ」

「ヘクセリウムって……一体……何なの……!?」

「それを説明するのは難しいわ。でも、そうね……言うなれば――魂、といったところかしらね?」

 そう言ってプラーネは笑みを作る。自分の例えに満足でもしているかのように。

 シホの瞳孔が開いた。

「魂は願いを、欲求を満たそうとするとき、強いエネルギーを発生させるの。それこそ魂を削るようにね」

 動揺したシホとは対照的に、淡々とした口調が続く。

「そして不思議な事に、願いが満たされたとき、そのエネルギーを放出する」

 言いながらプラーネは人差し指を立て――

「だから――夢の世界で偽りの快楽を見せるの。願いが叶ったと錯覚させ、エネルギーを放出させる為にね」

 そして手を返して握る。やがて――

「そのエネルギーを法器が吸引、結晶化する。そうしてできるのがヘクセリウム。魔力の源として使える――魔力の代替品よ」

 それを見ながら結論に至った。

「じゃあ――もし大量のヘクセリウムを生み出したら――まさか……」

 それが引き起こす恐ろしい末路を予見し、シホの視界が歪んでいく。うまく焦点を合わせることができない。

「魂は時間をかけて自己修復していくから、必ずしもどうこうなるってわけじゃないけれど……魂の全てを賭けるほどに大きな願いの場合、生命力を失って死に至ったり、精神異常をきたすこともあるわね」

 さして感慨もない様子でプラーネが事実を口にする。

「例えば――そう、これくらいだとほぼ全ての魂に相当するかしら」

 そう言ってプラーネはソフトボール大のヘクセリウムを取りだし――シホに手渡す。

「あげるわ。あなたのおかげでもう十分なヘクセリウムは確保できたし。『失われし魔術書』を見つけたご褒美よ」

 シホが手に入れた――カナエやレイナの――ヘクセリウムではない。

 これは……一体誰の――

「ああ……良かったらコレもとっておきなさい。オートマチック型の法器を持っていないのはあなただけだし」

 プラーネの合図に一人の魔女が前に出ると、シホに一振りの法器を差し出した。

 光沢のある青と銀のパーツで造られたボディ。

 見覚えがある――見間違えるはずがない。これは――ヴィエラの法器だ。

 シホは手の中のヘクセリウムを見る。

 ……まさか、これは――

「ええ。もうあなたは使われる側じゃない。能力のあるあなたの方が、‘使う’べきよ」

 そう言って星団長は微笑する。もう寒さすら、感じなかった。

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