第65話主への反逆(朱明視点)
「おまえの命じたことは、一体いつまで有効だ?」
「………………僕が君に命じれば、いつまでも。僕が取り消さない限り君が死ぬまで命じたことは続く」
葵へとゆっくりと歩を進めるが、彼女は表情を固くしたまま動かなかった。
「なるほど。例えば『触るな』と命じれば、俺はずっと触れないのだな……………」
肘掛けに置かれた彼女の両の指先に触れるか否かの位置に軽く手をつき見下ろした。
そして今しがた記憶した術を唱える。女王と同じように魔力を言葉に込めた術だ。
『打ち消せル・フェリ………』
最後の語句を唱えながら、怪訝そうな葵へと手を伸ばす。その頬に触れた途端、彼女が目を見開く。
「な、ぜ?」
「ああ、触れたな」
「何をした?!」
「神久地家の者は自分の力に見合った、つまり同等の力を持つ魔を呼ぶことができるそうだな?葵、おまえが神久地家の血筋の中でも傑出した力を持つというのなら、俺も同等の強さを持っているということだ。以下ではない」
並の魔力では、母の造り上げたこの術は行使できなかっただろう。
ショックを受けている葵の横髪を一房掴まえる。さらりと滑らかで力を緩めれば直ぐに指から流れ落ちていきそうだ。
戯れに指に絡めたままでいても気にする余裕などないのか、ぐっと唇を噛んで悔しさを堪えきれないといったようだ。
そんな顔をさせたのが自分だと思うと、気分が良い。
「まさか契約術を破ったというのか?」
「まだ完全ではないがな。そもそも葵の力は、元はと言えば魔の血脈から受け継いだものだ。人間と魔の血が交ざり合って為した特殊な力とはいえ、同じ魔である俺が何の対処もできないわけがないだろう?おまえと同等の強さの力を持ち、おまえの力を間近で観察して調べ上げれば強力な契約術も破れないことはない」
女王の力を打ち破れば、葵に手が届く。
「まだ残っているな」
彼女の襟元の隙間から覗く淡紅の痕を指でなぞり、そこに唇を寄せて思い出させるように弱く吸う。するとピクンと身体を揺らして我に帰ったようだ。
「あ…………………やめろ!」
両手を突っぱった葵が言葉で抵抗すれば、俺の意思とは関係なく彼女から離れるようになってしまう。
「ああ、やはりまだ契約術を破るのは不完全か」
襟元を直して顔を背ける葵を見ながら、自らのの唇を舐めた。
契約術を破れると分かっただけで大きな収穫だ。彼女の生意気な自信も奪ってやったのだから。
「……………いつから、知っていた?」
「何を、だ?」
頬を紅く染め、片手で俺の付けた跡を隠すようにしている葵を見つめる。
さすがに気付いたようだ。
「僕は……………」
魔力を奮って言い淀む彼女の襟を裂いてやった。
「女だな」
締め付けていた布切れから、予想よりも豊かな膨らみが溢れて、確証を得たことに安心した。
少々手荒く暴いてやったが、この頑固者にはそれぐらいでいいだろう。
だが次の瞬間、勢い良く葵の平手が頬に飛んだ。
怒りで息を荒げて無言で睨み付ける彼女に正直感心する。矜持をこれだけへし折っても尚、俺に立ち向かうのか。並の女なら、へたり込んで泣き出すところではないのか。
「そんな細い首の男は、まずいない。おまえの首に触れて次第に確信した。女だと疑ってからは、俺には男に全く見えなくなった」
「………………知っていながら黙っていたとは、君もヒトが悪い」
片手で目元を隠すようにして言った彼女が力なく肩を揺らして笑い出した。どこか投げ遣りにクスクスと笑う彼女の顎を掴む。
「契約術など無駄なことだ。俺はおまえと主従でいる気はない。だが……………………」
いい加減諦めてしまえ。俺に自分を委ねればいい。
「俺のものになれ、葵」
笑うのを止めて俯いた彼女の口元を、じっと見守る。ただ一言肯定することに期待した。
「跪け《シャギア》!」
「くっ………………!」
強い口調に比例するように、抗うことは敵わず膝をつく。
「何故拒む?!」
どうして離れようとするのか。
ここまでしたのに俺を受け入れないとは。虚無感に、葵という存在のいない安寧を願う。
「僕がそれを望んでいないからに決まっている」
頬を両手で挟まれて上向かせられれば彼女の顔を見上げる形となり、俺は泣き出しそうな瞳に気付いた。
「動くな」
「……………………葵」
彼女の顔を見上げたままの状態から動けないでいると、自分の指を傷付ける様子に意図を知り溜め息が出た。
「やり直すと言っただろう」
「俺はその内、契約術を破る。これは一時しのぎに過ぎないと分からないのか?」
「分かるさ、その度に繰り返し契約術を結び直せばいいだけだ」
血を口に含んだ葵が顔を寄せる。
「まだ俺に殺されると思っているのか?殺さないと何度……………」
聞かないとばかりに唇を塞がれる。仕方無く薄く開けてやれば、おずおずと葵が血を流し込んできた。
俺の頬から首へと彼女の手が辿り、嚥下するのを確かめて喉を撫でられる。その指が不安そうに長く触れてきて、俺は目を開けて間近にある彼女の閉じた目蓋を見つめた。
「…………………殺されることなんて怖くない。怖いのは、君を失うかもしれないことだよ」
以前と同じように契約術による実体のない赤い鎖が巻き付くが気に障りはしなかった。それよりも、心細げな葵が今にも崩折れてしまいそうだと思ったのだ。
「君は僕の………………私のもの。いつか君に殺されるまで、私のものでいて」
こうする以外の方法を知らないのか。
哀れな娘。俺が離れていくことに常に怯えて、その為に俺から逃げていく。
自らさえ信じられない悲しい女。
「手を、自由にしてくれ」
目を瞑って顔を背けた葵に乞う。
「……………頼む、から」
こんな風に願うなど自分ではない。だがそう思う前に言葉が口をついた。
驚いて葵がノロノロとこちらに顔を向ける。両手は自由がきいたので、彼女の頭を包むようにして怖がる前に素早く導いた。
「朱明」
声が震えている。
宥めるように唇を奪う。
重ねて生まれた熱が、せめて葵に届けばいい。
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