第50話恋ではなく

 白の着物を重ね、その上に床を長く引き摺る白地に藤色の花と蝶の描かれた婚礼衣装を纏った。


 まだ肩までの髪は後ろへ流し、額には太陽を模した冠を付ける。




 何人もの女官に身支度をされていたら、半分開けた障子窓から見える中庭に淡く雪が舞っていた。




「初雪か」




 綺麗なのに寂しい風景だ。体の芯まで冷えるようで、そっと視線を外したら鈴音と目が合った。




「お召し物の支度調いました」


「ありがとう」




 衣装は重いので床机に座して休息を取っていると、鈴音が茶を運んできた。




「大丈夫ですか?」


「平気だよ。少々重いし裾をさばきにくそうだがね。転んでしまわないようにしないと」




 冗談っぽく応えても、鈴音は私を真摯に見つめている。




「そうではないのです。私が心配しているのは貴女のことです」


「鈴音?」


「姫様は、幸せですか?」




 目元の皺を深めて問い、彼女は私の手を握った。




「葵様、貴女はいつも人のために動かれてきました。男として生きてきて、やっと娘として生きることを許されたのに、やはり御父上や家の為に…………」


「私は幸せだよ」




 彼女の手を握り返す。




「この身が大事な者達の為に役立つならいいのだよ。それが私の幸せだ」




 その生き方を恨んだことはない。誰かの為になるのなら、それだけで私の喜びだから。




「葵様」


「星比古様は良い方だ。私を大切にしてくれるし、私もあの方を支えて行きたいと思っている。きっと幸せにやっていけるよ」




 女官が恭しく近付き式場へ向かうように促してきたので、鈴音の手を離して立ち上がる。




「心配はいらない、鈴音。今までありがとう」


「葵様、御母上は………」




 長い裾を女官が持って介添えし、扇を手に歩き出した時、鈴音が追い掛けるように言葉を発した。


『母上』という単語に歩みを止めて彼女へと向き直る。今言わなければならないことなのだろうと感じたからだ。




 鈴音は口を開けかけて逡巡したように手元を見た後、ゆっくりと話した。




「貴女をお産みになられた御母上は、亡くなられる直前私と御父上に貴女のことをくれぐれも頼みますと言い残されました」


「そうらしいね」




 父上からも聞いている。


 母上の人柄は水羽が、より詳しく教えてくれた。記憶には無いが、死の間際にまで私を気にかけてくれた優しい方だ。




「それに『母親はいなくても、この子が自分らしく幸せに生きていけるよう願っている』とも仰っていました」


「……………………」


「御母上は、血筋や家によって貴女が縛られることを心配していたと思うのです。でも私には力がなく…………」




 鈴音にも私が無理しているように見えるとは。そんなに顔に出ているだろうか。




「ありがとう。母上がそんなふうに私を想っていてくれたのが分かっただけで嬉しいよ。でも鈴音は何も心配することはない。


 これでいいんだよ。さあ……………もう行かねば」




 しっかりしなければ。これは自分で決めたことなのだから。




 女官の案内で大広間に通されれば、父上や部署の長が既に座しているが人数はさほどではない。この後の宴は多くの者が呼ばれているが、式は身内や主だった者のみとなっていた。お上は慣例に従い、いらっしゃることはできないが一度星比古と事前にご挨拶申し上げている。




「美しいぞ、葵」




 白地に藤色の差し色の揃いの衣装を着た星比古の隣に座ると、彼がそう耳打ちしてきた。どう返せばいいかと戸惑いながら、何とか応える。




「ありがとうございます、貴方も良くお似合いです」




 世辞でなく本当のことを言えば、にこやかに笑った彼が私の手を握ってきた。しかし誰かのわざとらしい咳払いを聴くと何食わぬ顔をして離れる。




 祖神への婚姻にまつわる神事は終えているため、二人で祝詞を読み上げた後、巫女より神酒を授かる。


 朱の杯に注がれた透明な酒を、星比古の口へと運ぶと一口飲んでから、その杯を彼が受け取った。




 それを私の口元へと近付ける。小さく唇を開けて、杯の液体を見つめる。


 これを呑めば星比古と夫婦になる。一生、私は………




「葵?」




 杯から僅かに後ろへと逃げた唇に、星比古が怪訝そうに呼ぶ。


 酒を呑もうと思うのに、身体が動けない。動かない。




 鈴音の言葉が耳にこびりついていた。


 考えてはダメなのに、母上の願いが私を留まらせようとする。




「あ……………」


「どうしたのだ?」




 明らかに不安を浮かべた星比古が杯を更に近付けてきた時、いきなり大きな破壊音がして土埃に視界が遮られた。




「よくも…………よくも俺をハメたな」




 不気味に静かな声がした。懐かしい声が。


 耳にした途端に胸がざわついて相反する感情が交差する。




 少しずつ収まっていく埃の中から、信じられない気持ちで見上げた天井にはポッカリと穴が開いていた。そこには雪の舞う空があって黒き翼のある魔がいた。




「俺はおまえを一生許さない。生涯を掛けて俺に償え!」






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