第26話生温い水2

 神域である大鳥居の先へは徒歩で歩くことが習わしだ。


 深く被衣かつぎで顔を隠して、私は星比古の後ろを歩いた。




 草履で玉砂利を踏みしめる私に、一度振り返った彼が手を差し出す。




「平気です」


「………………そうか」




 浮かない顔で星比古は私を見て、また背中を向けた。激昂した後から口数が少なくなり、考え事をしている様子だった。




「星比古」




 そこへ歩を休めて松の根元に座っていた男が、彼を見るなり近付いてきた。




「これは兄上、いかがされましたか?」


「そなたを待っていたのだよ。共に行こう」




 日に焼けていない細面をした痩せた男が、言いながらこちらへ視線を寄越した。




「この女人が噂の想い人か……………ふうん」


「この方は、第三皇子であられる雪比古兄上だ」




 星比古は雪比古に肩を組まれながら私へと紹介する。不躾に見ているのを、丁寧に頭を垂れる。




「第三皇子様、お初に御目もじ仕まつります。弥生と申します」




 示し合わせていた通りに偽った名を名乗った。


 この皇子のことは以前から知っている。一見優しくて印象が良いが、自らの妃や下働きの者には冷たく、機嫌が悪いと八つ当たりをして暴力を振るうと聞いたことがある。


 楽しそうに会話をしているが、星比古が私の名を呼ばなかったことで、彼もそれを知っていて警戒しているのだと推測できた。




「弥生か。ふむ、面おもてを見せよ」




 いきなり雪比古が被衣を取ろうとするので一歩下がったが、どうやら間に合わなかったようだ。ふわりと舞い上がった端から顔を晒してしまった。




「これは……………星比古が隠すわけだ」




 少しばかり屈んだ状態で雪比古が納得したように呟いた。尚覗こうとするのを、星比古が私を後ろ手に庇ってくれた。




「兄上」


「けちるなよ」


「私の想い人です」


「想い人ねえ」




 舐め回すような視線が気持ち悪い。だが下手に口出しするのは得策ではなさそうだ。


 代わりに星比古の袖を引っ張ると、意図が通じたらしく私の手を握ってきた。




「兄上、今は重要な神事の最中なれば速やかに行うのが先決かと」


「父上と皇太子がいればいいだろう。どうせ我らは予備に過ぎないのだ」




 ああ、分かりやすい。




 幾分言動を見ただけで心の内が分かるとは、雪比古は浅い人間だ。


 それに比べて、あいつときたら何を考えているのか分からない。




 段々と腹が立ってきた。






「星比古様、さっさと参りましょう」


「あ、ああ」


「第三皇子様、ご挨拶は後ほど。失礼致します」




 強引に引っ張るようにして、雪比古の脇を通り抜ける。




「弥生とやら無礼だぞ!」




 面倒だ。追ってきそうな気配に邪魔な裾をたくしあげる。




「星比古様、走って」


「またそなたは!」




 脚を出すと、目を覆った星比古だったが意を決して私の手を引いて走り出した。片手で被衣を押さえながら驚いている皆の横を抜けていると、以前頭突きを喰らわした貴族の子息達がいて呆気に取られているのが目に入った。




 途中で左へと脇道を入り、支社が幾つも点在している所へと出た。人のいないのに一息ついて、小さな社の裏に凭れて座った。




「さぼるか」




 諦めて星比古が呟いたのを聞いた途端、笑いが込み上げてきた。




「あはは!皆の顔見ました?」


「全く、人の気もしらないで」




 軽く睨んでから星比古も笑いだした。




「ああ人前で走ったのは久し振りだ。いつもは澄まして上品にしていなければならないからな。なかなか気分が良いものだ」




 ひとしきり笑った後、星比古は隣に座る私の額に触れて滲む汗を拭った。




「本音を言えば、雪比古兄上に絡まれるのは嫌だったから助かった」


「そうですか」


「宿は別だし、葵は女装もしているから今後は兄上と話すようなことはないと思うが気を付けるのだぞ、私から離れぬようにしているのだ。また目を付けられれば面倒だからな」


「それを言うなら、あなたが私から離れぬほうが良いのでは?」


「ああ………………そうだな」




 遠くから鈴の音がする。祓いを受けているのか。




「神域で走ったりして神の怒りに触れねばよいな」


「神が怒るとでも思っているのですか。神は何もしませんよ」




 被衣を脱ぎ膝を抱えて、苔むした土に影を落とす楠の大樹を見る。




「何も?そなたは神を信じていないのか?」




 星比古には、神久地家の者がそんな風に言うのが意外だったらしい。




「いいえ、信じていますが神は私達に何も働きかけないと思っているのですよ。罰を与えたり、或いは試したり、神託を授けたり、人の生き死にを決めたり、命あるものたちの運命を決めたり、そのようなことを神が果たしてなさるでしょうか」


「では神でないとすれば誰が決めている?」




「自然の摂理と自らの意思でしょうか。自らの進む道ぐらいは自分自身が切り拓くものです。神を頼るなど甘えている」


「勝者の言い分にも聞こえるぞ」


「まさか、儘ならぬことの方が私にも多いですよ」




 そうだ、しっかりしなければ。自分自身が決めねばいけないことを流されないようにしなければ。




「……………………そなたは、やはり面白いな。そうか、私も決めなければな」


「え?」




 星比古へ顔を向ければ、指の背で首筋をなぞられた。




「実は迷っていたことがあるのだ。それなりに大きな決断がいるものだから二の足を踏んでいたのだが、横から掠め取られそうになってしまった。だからもう決めねばならない」


「何のことですか」


「………………まだ言えない」




 まだということは、今度話してくれるのだろうか。




「健闘を祈りますね」




 こちらを見つめる星比古を励まそうと思い、私は彼に微笑んだ。





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