君は僕の愛しい下僕

ゆいみら

第1話殺意から始まる君と僕

「殺してやる!!」




 彼が私を見て言った第一声。




 怒りで爛々と光る朱の瞳が、私を視線で射殺そうとするかのように睨んでいた。


 私は平静を装い、正面からそれを見据えた。




「殺れるものなら殺ってみなよ」




 挑発した途端、その場の空気が一転した。赤い靄のようなものが満ちて息苦しいほどの圧迫感が肌を粟立たせる。




 ああ、綺麗なヒトだ。




 その刹那の間に私は彼…………『魔』と呼ばれる存在を観察していた。




 窓もない地下室。


 私の足元に置いた灯りだけが頼りの薄暗い中でも、彼の朱の瞳は篝火のように光っていた。切れ長の目で鼻筋はスッと通り唇は薄く、後ろで束ねられた髪は一見すると黒のようだが、見る角度によって深紫だったり深青や深赤に映る不思議な色彩。中性的な顔立ちながら体格は男性のそれで長身のようだ。




 ようだと思うのは、彼が立っているのではなく石床に片手をついて蹲るような姿勢を取っているからだ。彼の意思ではなく私の「ひざまずけ」という言霊によって強いられているのだ。




 赤い靄のようなものが急速に収束して球体へと変化し、私へと向かってくる。普通の人間には見えないエネルギー体、いわゆる魔力を私の瞳は捉えていた。


 これに包まれでもしたら酷い死に方をするだろう。容易に想像できたが、一歩も動かずに一言命令を発した。




「止めよ《リ・プト》」




 途端に魔力は打ち消され、彼は目を瞠った。私が消した訳ではない、彼に無意識に消させたに過ぎない。だが効果はてきめんだ。




「動くな《アク・レ》」




 更に上乗せすれば、動けなくなった彼は悔しげに呻いた。




「貴様…………人間風情が…………」


「とても強い精神力だね、僕に逆らおうとするとは…………話すな《ラス・マ》」




 言霊による強制術は、我が〈神久地家〉に代々伝わる秘術だ。それは血から血へ受け継がれる能力であり、私は次代を継ぐ唯一の血脈だ。




 200年に一人と言われる強力な能力者である私の術に、彼は抵抗しようとしている。


 ギリギリと歯を食い縛り、手足に力を込めて術から逃れようと諦めない。瞳は、私を射殺そうとするかのようにこちらを睨み続けている。身体の自由が利かずとも決して心は渡すかと言わんばかりの姿に、私は唇を上げた。




 そうでなくては。


 私の従魔となるのだ、従わせるなら彼のような魔がいい。




 コツコツと歩き近付くや、彼の顎に手をかける。




「っ……………!っ!」




 怒りでフ―フーと息を吐く男の背には、黒い蝙蝠のような大きな翼がある。髪や目の色彩と共に、『魔』である特徴だ。


 顎にかけた親指を動かし彼の唇へ。微かに開いた口には人間よりも発達した犬歯があって、そこに迷わず指を宛がうと鋭い歯によりぷつりと小さく指先が切れた。




 傷のできた指先から、つうっと血が流れるのを見た彼は、何かを察したらしく顔を背けようと抵抗を続ける。




「ふ……………っ、あ」


「無駄だよ」




 そうは言ったものの、彼ほどの精神力なら術の効力が切れるまで長くはない。額に汗が浮き出るのを無視して、彼の顎を上向かせると、無理やり口の中へと指を捩じ込んだ。




 この『魔』を完全に支配する為には、私の血を飲んで体内に取り込んでもらわなければならない。




「飲んで」


「……………………」




 微かに目を細めた彼の唇から私の血が垂れた。飲み込ませる為に術を調整したというのに、それを逆手に取り意識して飲まないようにしている。




 早く服従させなければ。この『魔』は私の術が解けた瞬間に私を殺すだろう。


 だがそれよりも、必ずこの強力な『魔』を従わせて、周りの期待に応えなければという気持ちが強かった。




 内心焦った私は指を引抜き、自らの口に含み血を舐めた。そして訝しげな様子の彼の両頬に手を添え、更に上向かせた。




「んむっ?!」




 とにかく血を飲ませようと、問答無用で唇を押し当てると舌を使って血を唾液と共に流し込む。




「うう……………ふ、ふうっ」




 驚いて目を見開く彼が、唇の端からもがくように息をしていた。やや顔を傾けた私は、蓋をするかのように未だ唇をつけたままで彼の喉元をじっと確認していた。


 思わずといったように、やがてコクリと喉が動いて血を飲んだのを見て唇を放した。




「我に絶対的な服従を《ラピエ・ディエン・レ》」




 袖口で口元を拭い、直ぐに契約の術を紡いだ。


 彼の胸から血の色をした鎖の幻影が浮かび上がり、蔦のように手足を巻いて縛っていく。




「其は我が下僕ダ・クレネ




 彼のこめかみから汗が滴る。この期に及んで尚抗おうというのか。




「我が手足となれ 《ラ・ディジャハ》」




 契約の言霊を乗せれば、彼を縛る鎖が首や手の先足の指にまで伸びてギリギリと四方に引っ張り、立つことを余儀なくされた彼は標本にされた蝶のよう。両手両足を広げて貼り付けされたような格好を眺めれば、私の背筋をゾクゾクとした何かが走る。




「さて…………」




 手を伸ばして彼の頬に触れる。今度は抗う様子はなく、彼はこちらをじっと見ていた。


 術が完遂したのを感じ取り片手で指を鳴らすと、鎖の幻影は跡形もなく消え去り、そこには佇む『魔』が一人。




「僕の名はあおい。君の名を聞こう」


「我が名は…………朱明しゅめいです、御主人様………!?」




 自らの言葉に、信じられないとばかりに手で口を塞いだ朱明に、私は腕を組んで考える。




「君は普段はもっと粗雑な物言いをするよね?君らしさが無くなるのは、僕もつまらない。敬語はいい、それから御主人様も柄じゃないだろう?僕のことは葵と呼んで…………分かった?」


「ああ、葵」




 さっと顔を赤くして、朱明は一歩後ずさった。契約の術は、主が許せば行動はある程度自由になるが、命令には必ず従うようになる。


 気位の高い『魔』の朱明には、死ぬほど屈辱的だろう。術で無理矢理従わせることはできても、彼の心を従わせているわけではない。


 だから今、朱明の心の中は怒りで満ちているままだ。




「君は僕と主従の契約術で結ばれている。僕が術を解くか或いは死んだ場合のみ、君は自由になれる。でも契約術の間は君が僕を傷付けたり殺すことはできないし、君が自死や逃亡を謀ることもできない。君は僕の従魔。君は主である僕に常に服従し、護り、命じられたことを遂行するんだ」


「分かった……………葵」




 術が効いて、朱明は素直に頷く。


 だが私の名を呼んだ低い声音は憎しみで満ち、私を見る瞳は鋭い刃のようだった。




「よろしく…………君を大切にするよ、朱明」




 その頬をスルリと撫で、私はニッコリと笑いかけた。




 この魔は、私だけのものと思うと嬉しかった。




 それが僕…………いや、私と彼の特異な出会い。

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