第37話 呪い
『敏雄にも小学生になった子供がいるのか』
『ああ。小学二年生の息子がいるぞ』
『小学二年?なら俺の娘と同い年だな』
互いの仕事が軌道に乗り、俺は弁護士の父として、光司は医者の父として立派に社会人していたときだ。
久しぶりにこうして電話で連絡を取り合っていると、俺も光司も子供がいることが判明した。
『へえー。
『おいおい。お前も直美さんっていう可愛い子捕まえておきながら、人の嫁さんにも目をつけているのかー?』
『なわけあるかっ。弁護士が親友の嫁さんに不倫なんて微塵も笑えない』
『言えてる』
こんな感じで冗談を交えながら、旧友と談笑に花を咲かせていくうちに、お互いの子供が見てみたいということになり、実際会うことになった。
だが、光司の娘さん、紗希ちゃんは極度の恥ずかしがり屋(特に異性に対して)ということもあり、俺の息子、凌太を連れていくことはできなかった。
ゆえに、仕事のついでで光司の家に寄って、紗希ちゃんの顔を拝むことにした。
紗希ちゃんの第一印象を一言で言うなら……………………天使だった。
光司の家の玄関で家族三人に出迎えられたのだが、紗希ちゃんは光司の後ろにビクビクしながら隠れていた。
知らないおじさんが来たから怯えてるんだよね、ごめんね。
ただ、俺を見つめる子供特有の純粋な眼差しは天使そのものの癒しの波動を感じさせた。それにやっぱり光司の奥さんの
あ、いや俺さっきから熱弁してるけど、ロリコンじゃないぞ。本当だぞ。
玄関で立ち話もなんだからということで、俺はリビングに連れてこられ、冬知屋家族とティータイムを過ごしていた。
「おじさんおじさん。これ紗希が作ったんだよぉ?」
「そうなんだ!すごいね紗希ちゃん!」
「えへへ~」
可愛い。このお菓子は紗綾さんがほとんど作って、紗希ちゃんはほんの少しだけ手伝っただけらしいけど、そんなことどうでもいいくらい紗希ちゃんの笑顔は破壊力抜群だった。
この笑顔守りたい。いや、だから俺ロリコンじゃないから。
冬知屋家族とちょっと話をしていると、紗希ちゃんはこのように俺にも懐いてくれた。いい子だ。
光司は幸せ者だな、と感慨にふけっているときだ。
突然、紗希ちゃんが涙目になって不穏なことを訴えた。
「ああああっ!!お父さん危ない!車に轢かれちゃうよ!!!」
もちろんここは光司の家の中なので、車に轢かれるなんて奇天烈な事件は起こるはずがない。
ん?なんだなんだ?と俺が驚いていると、紗綾さんがおだやかに説明してくれた。
「この子、たまにおかしなこと言い出すときがあるのよ。全く困った娘だわ」
フフフっと紗綾さんは笑った。
ただ、何だろう。
紗綾さんのそれがどこか乾いた笑い声に聞こえたのは俺の気のせいだろうか。
光司もなんだか神妙な顔つきをしているような……
「どうかしたか、光司?顔色悪くないか?」
「え?あー。いや、お前がうちの娘を狙ってるんじゃないかと思うと、心配になってな」
「杞憂だバカヤロー!何てこと言うんだっ」
光司は高笑いした。まるで心のもやもやを吹き飛ばすかのように。やっぱり気のせいか。俺こそ、杞憂だな。
そうして、再び俺らを囲む空気は和やかさを取り戻し、仕事に戻る時間まで俺は冬知屋家に滞在した。
その半年後だった。
光司が死んだ。交通事故に巻き込まれたそうだ。
***********
俺は葬式に参列した。
あいつは医者だったということもあるが、それ以上に交友関係も広い奴だったので、参列者は二千人弱も訪れていた。
これは一般人にしては異例の数で、改めてあいつの人の良さなんかを感じていた。まあ、もうそれをあいつに直接伝えることはできないんだが。
俺は泣いた。慟哭した。いじめられていたときでさえ流れなかった涙は、こうも簡単に堰を切ったかのように溢れだし、感情を悲しみ一色に色濃く染め上げてしまった。
「ぐあああああああああああああああああ」
どれだけ泣いても叫んでもあいつは戻ってこない。無意味だ。今俺がやっていることは何の意味もない。
意味がないと頭ではわかっていても、口からの悲鳴が止まらない。
「何でっっっ!!?何でお前がっっ!?お前はこれから何百、何千人以上もの人を救っていくんだろっ!くたばってんじゃねえよ!」
返事はない。当たり前だ。
一緒にいた直美もハンカチで目元を覆っている。
そして、代わりに隣から優しい、でも悲しみも含んだ声音で紗綾さんに感謝を述べられた。
「芦谷さんにこんなにも悲しんでもらえるなら主人も少しは報われるのかもしれません。ありがとうございます」
「いえ。でもすみません。今は誰とも話したくなくて……すみません」
「あ……」
紗綾さんはそれ以上喋ることを止めてくれた。俺に気を遣ってくれたのだろう。一番泣きたくてやるせないのは紗綾さんのはずなのに。
だが、それでもこの重苦しい空気の中で、一人口を開いた人がいた。女の子だ。
「びょ、病院……倒れる……そこの女の人…………」
そう言って直美の方へ指を差し、怖いものを見たかのように途切れ途切れ呟いたのは、紛れもなく紗希ちゃんだった。
お父さんのことが大好きだった紗希ちゃんは光司が亡くなった悲しみを拭えるはずもなく、未だ目には大量の涙が顔を覗かせていたが、その発言にはどこか不思議と軽く受け流せない何かがあった。
「こ、こらっ。紗希。なんてこと言うの!」
紗綾さんは青ざめた顔で紗希ちゃんを怒鳴りつけた。それをきっかけに紗希ちゃんは「うわ~ん」と大声で泣き出してしまった。
「すみません。うちの娘が失礼なことを……」
と、紗綾さんが謝罪してきたのに対し、直美は「いえいえ。お気になさらず。紗希ちゃんも悲しくて混乱しているでしょうから」と返事していた。
しかし、俺にはこのやり取りに既視感があった。
ちょうど半年前。
俺が光司の家を訪れた時。
紗希ちゃんは確かに言った。
車に轢かれる…………と。
まさかな……そんなばからしいことがあるかとその時の俺はまともに考えず、その場をやり過ごした。
そのまた半年後。
直美が脳梗塞で倒れ、入院することになった。
********
俺はバカだろうか。愚かだろうか。子供の言ったことだ。偶然の可能性だってある。むしろその方が真実味がある。
でも、立て続けに重なる不幸に対し、俺は怒りをどこにぶつければいいかわからなくなっていたんだ。
だから、つい口をついて出てしまった。
眠っている直美のお見舞いということで病院に訪れた紗綾さんと紗希ちゃんに。厳密に言うと、俺は紗希ちゃんの目を見てこう言った。
「呪われてるんだよ、君は」
言った瞬間、俺は後悔の念に駆られた。いくら心がすさんでいたとしても、言ってはいけないことを俺は言ってしまったと。
だが、俺は知っている。一度口から出た言葉は永遠に取り消すことができないと。弁護士の俺には痛いほど身に染みている経験だ。
ハッとして彼女らの顔を窺ってみると、意外なことに怒りや嫌悪などの感情は読み取れず、まるで自ら犯した罪を必死に償おうとする被疑者を彷彿とさせた。
つまり罪悪感だ。
紗綾さんはひどく泣きながら「申し訳ございません。申し訳ございません」と繰り返し、俺に頭を下げていた。紗綾さんも何となく俺と同じ思考に辿り着いているのだろうか。
でも、そんなことをされても光司は戻ってこない。直美が倒れたという事実は消えない。
凌太は今度こそ守らないと。
俺は冬知屋の娘が他人に不幸をもたらす魔女に違いないと内心決めつけるしかなく、あとは勝手に口が動いていた。
「消えてください。今すぐに……」
返事はなかった。
が、気が付くと、冬知屋の母と娘は無機質な病室から忽然と姿を消していた。
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