第25話 気づき
佳子ちゃん先生と学年主任の先生が慌てた様子で、図書室に駆けつけてきた。
詳しい話は職員室で訊くとのことで、芦谷君と今村君たちは大人しく連れていかれた。それを見た紗希ちゃんは「私も関係者ですので」と言って、先生たちに付いて行った。
それに倣うように、同じ部屋にいた他の生徒たちもせっせと荷物をまとめ始めて、帰路につく。
今、この部屋に残っているのは私と恵奈先輩と黒野君だけだ。
嵐がようやく過ぎ去った安堵から誰も口を開かなかったので、この空間には沈黙が居座っている。
周りは静かなはずなんだけど、さっきから私の心臓の鼓動がうるさい。芦谷君が私を庇ってくれたときからずっと。
顔もなんだか熱い。風邪ひいてるわけじゃないのに、体温が異常な気がする。
そんなわけない。だって芦谷君は紗希ちゃんの……だよ。私がそんな気持ちを抱いていいわけがない。きっと何かの間違いだよ。今だって非日常感が引き起こしただけのドキドキに違いない。
私は体内の上がりきった熱を外に逃がすように、深く息を吐いた。
「恵奈先輩」
「ん?どうしたの、羽衣さん?」
恵奈先輩は不思議そうにコテンと首を傾げる。その表情からはいつもと変わらない聖母みたいな温かさを感じ取れた。
何かあったら、よく相談したな。中学の時も。
テストの点数が低くて、親からラノベを取り上げられそう、助けて。とか、クラスの友達と喧嘩しちゃったとか。
でも今から私がするのは私らしくない、すごくセンチメンタルな問いかけだから。
緊張で、なかなか言葉にできなかったけど、恵奈先輩が文句ひとつ言わず待ってくれたおかげで、何とか重い口を開くことができた。
「自分が恋をしたかどうかってどうしたらわかるんですか?」
「恋?」
何でそんなこと訊くんだろと言わんばかりに、恵奈先輩は再び首を傾げた。
私もよくわからない。何でこんなことになってるんだろ?
恵奈先輩は手を顎に当て、十秒ほど思考の世界に入っていた。
そして、「うーん」と唸り、
「自分が恋かもってちょっとでも思った瞬間、それは恋になってるんだと思うわ」
「え?」
いまいちピンと来なかったので、思わず訊き返していた。
「例えばね。あんなことがあったから恋だ、とか。あの時こう感じたからこれは恋だ、とか。そういう具体的な理由ってないと思うの。恋人同士がお互いの好きなところを挙げろと言われたときにちょっと悩むのと一緒。あれは好きに明確な一つの理由があるわけじゃなく、いつのまにか恋に落ちていたからなんじゃないかな」
周りの雑音なんか一切私の耳に入らず、恵奈先輩の言葉だけが私の中でこだまする。
「だからね。羽衣さん。恋って気づいたらそこにあるもの、嘘で取り繕えないものだと思うの。自分じゃどうしようもできない、出会えば向き合うしかないものかな」
「そう……ですか…………。あ、ありがとうございます。さすが恵奈先輩。大人ですね」
「えへへ、そうかなー」
大人な意見をのたまった恵奈先輩は子供っぽく照れた。
天然だから私が何で急にこんな話をしたのか、たぶん理解してない。先輩はそういう人なんだ。だからこそ純粋で真っ当な言葉を聞けたのだけれど。
私の中のもやもやとした疑問はもう解消はされた。解決はしてないけど。
そっか。私そうだったんだ……
あの日からずっと……
これからどうしよ。誰にも言えないよね。こんな気持ち。
どこか冷静なのは、実感がまだ湧かないからか、意外とドライな自分にやや不気味さを感じる。
そろそろ帰ろうかなと私も支度を進めようとすると、黒野君から四つ折りにされたルーズリーフをポンっと目の前に置かれた。
何か、私に伝言なのだろうか、裏からでもうっすらシャーペンで書かれた文字が見える。内容はわからないけど。
「どうしたの?」と問うと、
「昔の俺と同じ顔してたからさ。つい余計なお節介をしたくなったんだよ……」
黒野君の真剣な表情から、あ、これバレてるなと勘繰った。いつものふざけた態度からは想像もつかない。
「さあー衣鳩先輩帰りましょー」
「そうね。じゃあ羽衣さんも一緒に……」
「駄目だよ。千花さんには頼み事しといたから、一緒に帰れないんだよー」
「えーそうなんだー。でも私、黒野君と二人で帰るって身の危険を感じるんだけどー」
「ちょいちょい!衣鳩先輩誰にでも優しいキャラじゃないの?俺に辛辣過ぎない?」
黒野君は明らかに不自然な様子で、恵奈先輩と部屋を退出しようと躍起になっている。先輩はしぶとく居座ろうとしているが。
「大丈夫ですよ、恵奈先輩。終わり次第すぐ合流するので」
「そ、そう。わかったわ。じゃあ先に行ってるね」
「はい。また後で」
私の応答を聞くと、二人は足早に部屋を出ていった。まあ黒野君が半ば強引に恵奈先輩の背中をグイグイ押していたのだが。
黒野君、何書いたんだろ?
手元に残った紙に目を落とし、二人の背中が見えなくなるのを確認してからその折られた紙を丁寧に開いた。
すると、そこには、
『好きなだけ泣いてから帰れ。人払いはしとく』
とだけ書いてあった。
そのメッセージが目に入った瞬間、感情の大きな波が一気に押し寄せ、私の胸を強く圧迫した。
そうだよね。悲しくないわけないよね。私はドライだと思っていたけど、黒野君から見れば、さっきの私、相当暗かったのかも。
止まらなかった。紙が濡れ、文字が滲んでいるのがわかっていても止められなかった。
スカートの裾をギュッと握りしめようが、唇を固く結ぼうが、止まらない。ただただ頬を伝って流れ続ける。
黒野君のせいで気づいてしまった。
黒野君のおかげで気づけた。
「これが私の初恋……だったんだね」
もう限界だった。
止まることを知らないそれは私の顔をくしゃくしゃにし、視界はすでに濡れてぼやけていた。
「ああ……うわあああああ………………」
言葉にならない嗚咽がこの部屋中に響き渡る。
これが一ページ目で始まり一ページ目で終わった私の初恋の物語。
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