第2話

 ステラがサンナに相談した翌日――。

(このタイミングなら……お姉さまは、屋敷にいないはず……)

 調練が終わった後、サンナは領主の屋敷に向かっていた。

 今、ステラはルカと共に、領内をぐるりと回っている。その二人の間は、わずかにぎこちなさがあり、サンナから見てももどかしかった。

 居ても立っても居られず、屋敷に向かう。正面から入るには気兼ねするので、ぐるりと裏に回り、使用人室と厨房につながる勝手口へ。

 ノックして使用人部屋の戸を開くと――そこでは、暖炉の傍でリヒトが椅子に腰かけて本を読んでいた。

「おや……サンナさんではないですか。どうかされましたか」

「あ――その、リヒトさんに、少しだけ相談があって……いい、ですか?」

 おずおずとサンナは勝手口から部屋を覗いて訊ねる。彼はにこりと微笑み、頷いてくれる。

「ええ、このおいぼれでよろしければ」

「リヒトさんは、まだ若いですよぅ……」

 思わず苦笑いを浮かべながら、サンナは足を踏み入れる。リヒトは隣接する厨房の戸を開き、中にいる使用人に声を掛けた。

「すみません、お茶を用意してもらいますか」

「あ、お構いなく」

「サンナさんはこちらに。この部屋で構いませんよね?」

「大丈夫です――あ、ありがとうございます」

 椅子に腰かけると、使用人の一人が緑茶を持ってきてくれる。それを受け取り、息を吹きかけて冷ましながら、サンナは上目遣いで訊ねる。

「お邪魔、しちゃいました?」

「いいえ、私も休憩中でしたし」

 リヒトは品のいい笑顔のまま、椅子に腰かけて自分もお茶を飲む。しばらくの沈黙の後、彼は少しだけ首を傾げて訊ねる。

「騎士団には、慣れましたか?」

「うん、大分……ステラ姉さまのおかげです」

「そうですか。腕も上げた様子ですね。少し、頑張りすぎな気もしますが」

「リヒトさんは、なんでもお見通し、ですね」

「ふふ、屋敷からでも、兵舎の訓練場は見えますよ」

 くすり、とリヒトは笑いながらお茶を口にして、さらりと言う。

「――リュオの方々と、会ったのですね。ルカ様から聞きました」

「……ん……まだ、叶わないんだな、って力の差を実感した。あと……多分、遠からず、また敵として会うんだろうな、っていう予感も」

 ぽつぽつ、と小さくつぶやくサンナの言葉に、リヒトは目を細めて頷く。

「強敵同士は、いずれ相見えるものです。そういう意味で、サンナさんはまたいずれ、リュオの方々だけではなく、シズマ様や、まだ見ぬ強敵と出会うでしょう」

「私は、まだまだ未熟ですよぅ」

「ええ、まだ。ですが、これから伸びます。ルカ様や、ステラ様以上に」

 リヒトは微笑みながら告げると、サンナは少しだけ目を見開いた。

「シズマ様がそう評されております。ですから、もっと自信をもって、強敵にぶつかっていって下さい。壁にぶつかったとき――それを助けるのが、大人の仕事ですから」

「あ……ははっ、リヒトさんには、本当に適わないなぁ……」

「ふふ、素直じゃない子たちを見てきていますのでね」

 リヒトはくすくすと笑いながら、椅子の背もたれに背を預けた。その視線が少しだけ細められ、小さな声で訊ねる。

「それで――相談というのは、多分、ルカ様とステラ様に関わることですよね」

「あ……はい」

 会話を挟んだせいか、少しだけ緊張がほぐれていた。背筋を正し、リヒトに向かって眉を寄せながら訊ねる。

「その、ケンカしている、というわけではないと思うのですけど――二人の距離感が、少しぎこちない気がして……時々、お姉さまもぼっとしているし」

「ふむ……ステラ様も、ですか」

「え、ということは……」

「ルカ様も、少しぼんやりされていることがあります。お一人で執務されているときは、特に――普段よりも、書類を決裁する速度が遅いので」

 まあ、いつもは早すぎて困るのですけどね、とリヒトは冗談めかして言い、緑茶を口にする。サンナは合わせてお茶を飲みながら首を傾げた。

「二人とも、変になって――何か、あったのかな。ツカサ城で」

「まあ、あったのかもしれませんが……いやぁ、二人とも若いというか」

「若い?」

「ふふ、まだサンナさんには分からないかもしれませんね」

 リヒトは意味ありげに微笑むと、机の上に手を伸ばす、菓子箱を開く。

「サンナさん、お茶菓子でもいかがですか。ルカ様がお土産でいただいてきた、お饅頭です」

「……リヒトさん、お菓子でごまかさないでよ」

「ふふ、ごまかしているつもりはありませんよ。折角ですから、サンナさんからも、ステラ様とルカ様のことを聞いてみたいと思いまして」

 リヒトはそう言いながら、茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せた。


「――とまぁ、サンナさんからも様子がおかしいと相談をいただきまして」

「そ、そう……心配をかけているのね」

 夜の執務室。リヒトはルカに時間をもらい、そういう相談をしていた。

 ステラはすでに寝室で休んでいる。ルカは燭台の灯りの中で、ふぅ、と憂鬱そうにため息をついて机に頬杖を突いた。

「ごめんなさいね、貴方たちに心配をかけて。そもそも、私が悪いのだけど」

「喧嘩ほどではないですが、すれ違っているのですね」

「そういうこと。喧嘩というか、そっちの方が程よかったわね……」

 また再びため息をこぼし、ぼんやりとした視線で燭台の揺れる火を見つめるルカ。その表情は物憂げで――熱に浮かされている目をしている。

(全く、こういうところはアスカ様にそっくりというか)

 リヒトは、ルカの母――アスカのことを思い出す。

 彼女も、シズマと思いがすれ違っているときは、胸に気持ちを秘したまま、うじうじとしていた。思い切りが甘いのは、親子ならでは、だろう。

 リヒトは懐かしく思いながら――小さくため息をこぼし、ルカに微笑みかける。

「ルカ様、なら折角ですので、お休みを取られたらいかがですか?」

 ふと、その言葉にルカは視線を戻す。彼女は苦笑いを浮かべ、首を振る。

「いいえ、折角なら、ステラが休んでいるうちにできる仕事は終わらせておくわ。彼女が帰ってきた後、しっかりと向き合えるように」

「それもよろしいのですが……大体の仕事は、終わっていますよね? 今月の経費の精算や、納税の手配諸々――領主様が行うことは全て終わっています。あとは、使用人でもできますので……たまには、任せていただけませんか?」

「うーん、使用人を働かせていて、領主が休むというのも……」

 苦笑いを浮かべるルカ。生真面目なところは、なんだかシズマにそっくりだ。

(隊長も一人だけ休暇を取らずに、頑張っていたなあ……)

 二人の面影を見つけて、少しだけリヒトは感慨にふける。だが、すぐに意識を戻すと、たしなめるようにリヒトは告げる。

「生真面目なステラ様ですよ? ルカ様がお休みを取らずに頑張っているとしたら、休みを返上してお傍にいる可能性がありますよ」

「う、ううん、そうね……」

「使用人一同としても、たまには、ルカ様もお休みを取るべきだと思っています」

「そ、そうかしら……」

「ええ、そうです」

 少し強引だが、と思いながら、リヒトはにっこりと微笑んで告げる。


「折角ですので――お休みを取って、小旅行してはいかがでしょうか」

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