第一章 流花の刃
第1話
「まさか――ルカ・ナカトミ辺境伯が自らお出でになられるとは思いませんでした。重ね重ね、とんだ失礼を――」
「もう、気にしなくてもいいのに」
領館を歩きながら、ルカは振り返って困ったように微笑む。
ステラは思わず俯き加減に視線を逸らし、内心で小さくため息をつく。
(市場で、リコのお母さんが変に狼狽えていたのは……領主様だったからかぁ……)
他にも、騎士であるステラにタメ口で話す遠慮のなさといい、気品のある振る舞いといい、気づいてもおかしくない点はいくつもあった。
(だけど、一人でまさか私を出迎えに来るなんて、思わないよぅ……)
ステラは下っ端の騎士なのだ。わざわざ出迎えを寄越すほどの価値はない。
だけど、ルカは屈託のない笑顔で励ますように笑いかけてくれる。
「それだけ、貴方が来るのを楽しみにしていたの。私が、勝手にやったことだから、気にしないで。貴方が、重荷に感じる必要はないわ。いいわね?」
「――分かり、ました」
ステラはおずおずと頷く――その笑顔を眩しく思う。
(すごく……強引な人……)
だけど、とても気さくに接してくれるせいか、不思議と悪い気はしない。
何より、その笑顔と視線がとても魅力的で――見つめられるだけで、どきどきしてしまうのだ。視線を戻ると、ルカが微笑んでくれて、またどきっとしてしまう。
ふと、そのルカが足を止める。扉を一つ開け、ステラを振り返る。
「さて――と、貴方の部屋は、ここね」
「――え?」
(私の、部屋?)
その部屋を恐る恐る覗き込む――そこは、広い空き部屋だった。
ベッドとクローゼット、机が置かれた簡素な部屋だ。だが、二人で過ごせるくらい、大きな広さがある。
それに――。
「あの、個室……ですか? しかも、領館の……?」
「何か、不都合がある? あ、もっと広い部屋にする?」
悪戯っぽいルカの声に、慌ててステラは首を振った。
「ち、違います! わ、私は中騎士ですよ? 普通なら兵舎で、相部屋のはずです」
ウェルネスの王国騎士団の階級において、中騎士は下の方だ。
階級は上から順に、大団長、小団長、将軍――これは指揮官クラス。
次に、大騎士、正騎士、中騎士――これは部隊長クラス。
そして、従騎士、小騎士、准騎士、騎士見習い、と兵卒クラス。
中騎士は、一応部隊を指揮することがあっても、それは百人規模であり、いくら多くても五百人規模だ。割り当てられる部屋も、相部屋になることが多い。
だが、ルカは気にした様子もなく、首を振った。
「領館の部屋が余っているから、気にしなくてもいいわよ。あ、それとも、私と一緒の部屋がいいってことかしら?」
「そ、そういう意味じゃないです! お願いですから、からかわないで下さい……」
ステラは小さく吐息をつき、まばたきをしながらおずおずと訊ねる。
「別に、他の中騎士と同じ待遇で、構いませんから……」
「それは無理ね。というより、不可能よ」
「え……どういうことですか?」
わずかに、ステラは嫌な予感を抱く。それを裏付けるようにルカはにっこりと微笑む。
「貴方以外、この辺境連隊に中騎士はいないわ」
思わず、くらり、とした。ステラは額を抑えながら目をぱちくりさせる。
「あの、どういう意味ですか……?」
「そのままの意味よ――詳しいことを、話しましょうか」
そういう彼女は小さくはにかんで、少しだけ申し訳なさそうに告げたのだった。
「改めて名乗るわ。私は、ルカ・ナカトミ――父に代わり、辺境伯を務めているわ」
場所を移して、ルカの執務室。
そこにある応接用のソファーに向かい合って座ると、ルカは胸に手を当ててそう告げる。その目は相変わらず吸い込まれそうな輝きがある。
ルカはその瞳を見つめ返しながら頷いてはにかんだ。
「お父上――シズマ・ナカトミ様からお伺いしております。ルカ辺境伯」
若き女騎士、ルカが辺境伯を務めているのは、彼女の父が多忙だからだ。
彼女の父、シズマは女王の信任の厚い騎士であり、他国まで名の知れた猛将である。その実績から騎士団大団長に任ぜられ、責務を全うしている。
その忙しさで領地にいられないので――彼女が代理として務めている。
だからこそ、正確には辺境伯代理、というべきなのだが。
(まあ、それ以外にもいろいろ事情があるのだけど――)
それはひとまず置いておき、ステラは背筋を正して胸に手を当てる。
「ステラ・ヴァイス――ただいまより、辺境連隊に着任致します。辺境伯」
「受理しました。よろしくお願いするわね。ステラ」
優しい笑みを受け止め、ステラはぎこちなく笑い返し――早速、気になっていたことを訊ねる。
「それで――私以外に、中騎士がいない、と仰せでしたが……」
「ええ。加えるなら、貴方の上司は私だけよ」
先回りして言われてしまった。ステラは少しだけ引きつり笑いを浮かべる。
「なんで……部隊長クラスの人間がいなかったのでしょう?」
「手が足りていたからよ? だって――」
彼女は形のいい唇にそっと苦笑いを載せて、その言葉を続ける。
「この辺境連隊は実働部隊が二千人しかいないの」
「ええと……一応、ここは辺境、なのですよね?」
「そうなるわね」
「北から異民族が攻めてくる、とお伺いしたのですが」
予め、以前の上司から引き継ぎを受けていた。
ナカトミ領の北方には、異民族の共同体があり、以前はそこから異民族が侵攻、カグヤ州の地で略奪を行っていた。そこで、当時の国王は猛将、シズマにその土地を任せたのである。これがナカトミ領の始まりなのだが――。
ルカは少しだけ曖昧な表情を浮かべて、首を傾げる。
「実際、あまり攻めてこないのよ? みんな、勝手にそう言っているだけで」
「だから――二千でも足りる、ということですか?」
「ええ、みんな精鋭だし。それに、お父様の方針で、増やし過ぎてはいけない、と」
どういうことだろうか? 思わずステラは首を傾げると、ルカは苦笑いをみせた。
「お父様は強いから――あまり兵を抱え過ぎると、国家転覆を目論んでいるんじゃないか、ってありもしない噂を立てられるの」
「まあ……そう邪推されても仕方ないかもしれませんね」
そう言われてしまうだけの実力が、シズマには存在する。
彼の若い頃は、千の精鋭部隊で、三万の敵を敗走に追い込んだことがあり、彼が負けたという戦場は存在しないのでは、と言われる。
本人曰く、最初は負けっ放しだったというのだが――。
「二千いるだけでも、住民は安心するし、異民族も恐れるの。『五万の敵が来ても安心だ』とか言うけど――さすがに、ねえ?」
困ったように小首を傾げ、ルカはきゅっと眉を寄せる。その綺麗な表情の動き方に一瞬だけ、見惚れてしまった――が、すぐに我に返って咳払いをする。
「か、かしこまりました――そういうことなら、納得しました」
「ん、よかったわ。じゃあ、軽く具体的な職務内容を話すわね……といっても、私の副官として傍にいてもらうだけど」
「――辺境伯の、補佐ですか?」
「そうなるわね。部隊の調練、書類の整理、指揮代理――まあ、挙げればキリがないけど……それよりも、ステラ、いいかしら」
ルカはそう言うと、わずかに不満そうに片眉を吊り上げた。
「辺境伯、なんて他人行儀の呼び方、いやよ? ルカと呼んで。敬語は仕方ないけど、あまり堅苦しいのは嫌いだわ」
「えと、いいのですか?」
「ええ。それに――他人行儀の相手に、背中を任せたくないから」
ルカの目は少しだけ寂しそうだった。ダメ? と首を傾げるのがどこか幼気にも見えて、ステラは少しだけ微笑み、頷き返す。
「かしこま――分かりました。ルカ様」
「うん、よろしい」
満足げに頷き、ルカは嬉しそうに表情を緩めて手を差し出した。
「改めて、よろしく。ステラ」
「はい、よろしくお願いします。ルカ様」
ステラはその手を握り返す――やっぱり、その手は柔らかくてしなやかだった。
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