第七節

 しんみりと呟く華那はるな雪弥ゆきやは寂しげな微笑みを浮かべながら眺めていた。

 華那が辛い時、俺が傍にいて支えたかった……。いや、違う。これからは俺が支えていくんだ。……ああそうだ。あの事を華那にちゃんと謝らなきゃいけない。

 自分を疫病神だと思う三つめの理由でもあるそれは──、

「ごめんな」

「……えっ?」

「俺が話しかけたせいでお前への虐め……じゃなくて、嫌がらせがエスカレートしたから」

 美里や、美里が怖くて逆らえなくて、美里と共に華那への虐めを行っていた女子生徒たちに聞いたのだ。

 美里は雪弥に好意を寄せており、雪弥と仲良く喋っていた華那に嫉妬したから虐めを開始した。なのに、雪弥は華那に普通に話しかけ続けた。その結果、虐めがさらにエスカレートしていった、と。

 雪弥が話しかけた途端に華那は嫌そうな顔をした。だからしつこいから嫌われたのだとショックを受けて話しかけるのをやめた。

 だが、華那は雪弥と話す事で美里から嫉妬されるのを何よりも恐れていたのだ。

 ただし、美里が華那を虐めた理由は、恋愛絡みの嫉妬だけではない。

 美里は、小一の頃に隣に引っ越してきた華那の家が新築で広い家かつ優しい母親なのを知って、密かに妬んでいた。小六の頃に美里本人が雪弥にそう語った。

 だが。それは美里の目から見た華那の家であって、実際はどうなのかは華那本人に聞かない限り分からない。

「違う。雪弥のせいじゃないよ」

「いや。俺はマジで疫病神だよ……。好きな人を傷つけて……」

 言いつつ雪弥の顔は苦しげに歪んだ。

「えっ、雪弥って本当に私の事が好きなの?」

 華那が怪訝そうに尋ねるので今度は悲しそうに顔を歪める。

「……二回も告白したのにまだ信じてくれないのか? 小三の頃から今までずっと好きだよ。初恋だ」

「初恋?」

 華那は、本当かよ、とでも言いたげな冷めた眼差しを雪弥に向けている。

「いつ好きになったの?」

「お前の後ろ姿に惚れたんだ」

 そう答えると、華那が睨んできた。

「いや、マジで! ふざけてねぇよ本当はちょっとふざけたけどっ」

「ふざけたんじゃん!」

「お前の後ろ姿を見て好きになったのは本当だよ。……俺がこれから話すのは、お前のトラウマかもしれない。だからきつかったらすぐに言ってくれ。話すのをやめるから」

 華那はこくりと頷いた。


 美里に靴を隠された日の事を覚えてるか?


 雪弥がそう訊くと、華那は一度目を瞑って再び開いてから無言で頷いた。

 小三の頃に華那は美里から靴を隠され、偶然通りかかった雪弥が一緒に探して見つけた。

 その後、二人で美里の家を訪ねたのだが、美里は反省していなかった。

『生ゴミの中に突っ込んでないだけまだマシだと思うけど?』

 雪弥は思わず『華那に謝れ!』と怒鳴った。

 美里は驚いたように目を見張る。

『……ごめん』

 やがて、不貞腐れたような顔で華那に謝り、そのまますぐに玄関のドアをガラガラと閉めた。

 夕暮れの中、雪弥が先にその斜め後ろを華那が地面を見ながら歩く。

『ねぇ……。さっき、何で怒鳴ったの?』

 華那が暗い声で雪弥に尋ねてきた。雪弥は戸惑うあまりうまく答えられない。

『怒鳴んなかったら、美里ちゃんと仲直りできて友達になれたかもしんないのにッ!!』

 すると、華那は嘆くように叫ぶや否や、雪弥から逃げるように走り出す。

 どんな言葉をかけたらいいのか分からなくて、雪弥は華那を追いかけなかった。しばらくの間、呆然と突っ立ったままだった。

「……美里と友達になる機会を奪ってしまって本当にごめんな」

「ううん、謝るのは私の方だよ。靴を探して見つけてくれた上に、私の代わりに美里ちゃんに『謝れ!』って怒ってくれたのにごめんね。……それから、ありがとう」

「いや……、どういたしまして。……俺はな。あの時、お前の後ろ姿から、悲しみや寂しさだけじゃなくて逞しさとランタンのような優しい光を感じて好きになったんだ」

 本当に驚かされたよ。自分に酷い事した奴と、まだ友達になりたいと思えるんだな、スゲェなって……。

「何それ」

 華那が眉を顰めながら少し笑った──が、「怖い」と唐突に言い出した。

「え、何がだよ?」

「……花火の音」

 はっ、花火の音!?

「待て、いつからだ!?」

「雪弥が来てから……、」

「ずっと我慢してたのか!?」

 うん、と華那は半泣き顔で頷く。

「言えよ!」

「だって……言い出すタイミングが掴めなくて」

「取り敢えず、打ち上げ場所からもっと離れるぞ」

 雪弥が華那の手を掴もうとするとさらりと交わされた。

「雪弥は花火見なよ。私は……大丈夫だから」

 不自然な間だな。絶対大丈夫じゃないだろ……。

「俺の方こそ大丈夫だ。花火はTVでも見れるし、今はお前の傍にいて花火の音に対する恐怖や不安を少しでも和らげたい」

「でも……、」

 雪弥は正面から華那の両耳を自分の両手で覆った。

「雪弥……何で……?」

「怖いんだろ?」

「うん。でも、障害者に見られないかな?」

 華那は不安げに訊く。

「大丈夫だよ」

「でも、言われた事あるの。私が耳塞いでたら……」

「誰だそんな事言った奴は。俺がぶっ飛ばしてやる」

「私のお母さんなんだけどぶっ飛ばす?」

「……ぶっ飛ばせねぇ。けど、華那を傷つけたのは許せねぇな。いくらお母さんでも」

「うん。……雪弥。一個だけ──いや、二個質問があるんだけどいい?」

「ああ」

「……まず一つめは……美里ちゃんが好きな人を雪弥から崎田さきたくんに変更した理由が分からなくて……雪弥は分かる? 変更して、私への嫌がらせが終わったのは嬉しいんだけど……」

「ああそれは……。俺が『華那を傷つけたお前を好きになる事はない』って振ったからだと思うぞ」

「えっ!?」

 華那は高い声を上げて、なぜか暗い表情で俯いた。

「美里ちゃん、傷ついただろうな……」

「傷つくほどあいつは俺の事好きじゃないだろ?」

「ううん、好きだよ。好きだから『そいつらを殺すの、私も手伝うよ』って雪弥に言ったんだと思う」

「そうか?」

「そうだよ! ──でも、雪弥のお陰で嫌がらせが終わったんだね……。ありがとう」

 いや、と雪弥はかぶりを振る。

「本当はもっと早く気づいてお前を助けるべきだった……」

 放課後、教室内でクラスの女子三人が華那の陰口を叩いているのを目撃した雪弥はすぐに注意した。注意された女子たちが皆、『美里ちゃんから命令された』と口を揃えて言うので、雪弥は美里を問い詰めた。すると、美里は華那を虐めていると素直に白状したのだ。

「ううん、雪弥が美里ちゃんに何も言わなかったら、もっと続いてたと思う」

 華那が「本当にありがとう」と嬉しそうに微笑むので、ややあって「どういたしまして」と雪弥は小声で応じた。

「……あのさ。もう一つだけ質問してもいい?」

「ああ、もちろん。遠慮すんな」

「…………」

「遠慮すんな」

「聞こえてるよ。雪弥が耳塞いでくれてても聞こえる。……迷ってるの」

 ……なるほど。急かして悪かった。

「……じゃあ待つよ。いくらでも」

「待たせるのは申し訳ないから言う。……雪弥はあの時何で笑ったの?」

「あの時?」

「小三の……私が算数の授業中に解答を間違えた時」

「いつだ?」

「私も正確な日付までは覚えてない。雪弥に笑われてショックを受けた事だけははっきり覚えてるけど」

 雪弥は記憶の中を必死に探してから徐に口を開く。

「悪い、覚えてない。けど……笑ってねぇと思う」

「覚えてないのに何で分かるの?」

 その質問はもっともだと思うが、

「人の失敗は笑わない。俺も笑われたら傷つくから」 

「じゃあ、本当に笑ってないんだ?」

「ああ笑ってない。別の事……友達の冗談で笑ったとかじゃないか?」

「冗談……。私が馬鹿だから嫌いになったんじゃないの?」

「何言ってんだ。俺がお前を嫌いになる事はないから大丈夫だ」

「嘘ばっかり……」

 華那が呆れたようなため息を吐いた。

「これも嘘だと思うのか? ……じゃあ、華那に心から信じてもらえるように、俺はこれからもっと頑張るよ」

「それなら、私も雪弥の言葉を信じられるようにもっと頑張る。……ごめんね。面倒くさい女で」

「いいよ。俺も充分面倒くさい男だから」

「そうだね」

「いや、即答かよ! そこは否定してくれ……」

「あっ、ごめん! ──あれ……? でも雪弥も『俺も』って返してるから否定してないじゃん!」 

「お、確かにそうだな……。悪い」

 ややあって、雪弥と華那の二人はおかしそうにクスクスと笑い合った。

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