第4話


Act.4



「……あのう、どう見ても男なんですけど?」

 『イヴ・エインズワース』のページを指差したせいは、僅かに口の端を引く攣かせた。

 自分の前世は『イヴァンジェリン・エインズワース』だけじゃないのか。

 それとも何か、前世の自分は男装癖か女装癖でもあったというのか。

 しかし、完全オフィシャルガイドブックでは別人物として取り扱われている。人物説明を読んでみると『イヴ・エインズワース』は『イヴァンジェリン・エインズワース』の秘匿された双子の弟だったらしい。

 では、今の自分は双子が元の一つに戻った状態とでも言うのか。

「さすがにそんなこと起こるわけなかろう。これは一回目の魔物のスタンピード――ようは暴走だな。が、起きたあとに、お前がお前自身の側近と作り上げた偽りの姿だ」


 □


 イヴァンジェリン・エインズワースは、大国アウクトゥスの第一王子アレクシス・アウクトゥス・スペンサーに見初められるまでの七年間、エインズワース領から出ることなくして育った。

 貴族の子供たちは通常、五歳前後で社交界に披露される。

 多くの場合は王室のパーティーに合わせたタイミングであり、イヴァンジェリンにいた双子の兄も、第一王子の生誕パーティーの際に社交界へ顔を出している。

 本格的なデビューはずっと後の話だが、こうして徐々に地盤固めをし、円滑な関係性を築いてから魔窟と呼ばれる貴族の社交界へ個人進出するのだ。

 しかし、エインズワース家の末娘は、出生の報以来、噂だけは多く出回るものの、長い間“姿なき”姫だった。

 重い病を抱えているだとか、二目と見られない醜い姿、もしくは逆で絵物語のような美しさで一家総出で隠しているだとか、――そも、人ではないとか。

 

 □

 

「ちなみに正解は下の二つだ。お前は、定められたチェンジリング。魔を司るすべてのモノの主となるべくして産まれた。ゆえに、我も苦心してな。それはもう、絶世の美女となるように美の女神と相談しつつ、ありったけの要素を詰め込んだのだ。甘すぎず辛すぎず、最終的には赤ん坊でありながら美の女神が自分で引き取りたいと申すほどの可愛らしさであったのだぞ。もちろん魔力は世界随一になるように、体内で非常に効率よく循環するように整えた」

 と、答えたのは自称・神である。

 バレーボール大で割と強めに発光しているので、いっそ電気を消して寝物語として話を聞きたいが、そうもいくまい。

 何せ、自称とはいえ神直々にお話しいただいているのは、誠が“イヴァンジェリンという少女だった”前世の人生である。

「……ほおー、そりゃ随分、壮大なご身分だな。イヴァンジェリン」

 欠伸を噛み殺しながら、誠はくだんの『Hometown of tears~愛しのオンブラ~ 完全オフィシャルガイドブック』を見下ろした。

 そうか、このビジュアルは自称・神の趣味が反映されているのか。

 正直、いまだにこの可愛らしく描かれた銀髪美少女が前世の自分だ、と言われるたびに顔が引き攣って仕方がない。

 目の前で自由浮遊している発光バレーボールが“神”というのも信じがたいが、ファンタジー物にあまり明るくない誠の知る限りでは、魔を司るすべてのモノの主=魔王ってやつだと思うのだが。

 そうするとやはり、自分は悪者だったということになる。

 いやいや、しかし。

 魔物がすべて悪者ではないのかも知れないし。

 が“神”をやっている世界だから、不安要素は大いにあるが、偏見はいけないぞ、自分。

「……今、何か失礼なことを考えなかったか?」

「イエイエ、別に。ちなみにチェンジリングって何?」

 自称とはいえ神と名乗るだけあり、勘が鋭いと見える。

 誠は、慌てて話題の矛先を変えた。

「取り替えっ子ってやつだ。それも、妖精やトロールの子供と人間の子供の」

「……それって、バレんじゃね?」

「案外バレないもんさ。現にお前のすり替えはスムーズに行われたぞ」

 

 □

 

 ――エインズワース家に、初の娘が産まれて十日も経った頃。

 

 どこから侵入したのか、一匹の白い子狼が赤ん坊のそばで眠っていた。

 狼の多くは“フェンリル”と呼ばれる魔物であり、通常は黒か灰色の毛並みをしている。

 そのため、野良犬と勘違いした乳母が、慌てて箒で追い払おうとすると、泡食らった子狼はなんと口を利いた。

「まて、まって! おれはダーウィン家のフィン、フィン・ダーウィンだ!」

「えっ、だ、ダーウィン家のお坊ちゃん?」

 ダーウィン家とは、代々エインズワース家の当主専属の影となる一族である。

 そして、ダーウィン家の今代の娘は確かにフェンリルを伴侶として選んだ変わり種と聞いていたが。

 子狼は小生意気に一つ咳払いをすると、赤ん坊の横にちょこんとおすわりをした。

「ここにおわすは、魔を統べる姫となりうる方。よって、おれは生涯この方に尽くすことに決めた」

「――たしかに、夫妻から娘の影を選んだという文はもらっておったが……うちの娘が、なんと?」

 子狼、もといフィンに恐る恐る聞いたのは、乳母に呼び出されたイヴァンジェリンの父であり、エインズワース家の当主だ。

 その後ろには、彼の妻と双子の息子も控えており、怯え半分、敵意半分といった表情でそれぞれ成り行きを見守っていた。

「すべての魔を統べる方だ。いや、人間と魔物の架け橋となってくださる方だと、先見のばあ様が言っていた。だから、半魔のおれが影になるのがいいって父上と母上が……」

 あぐあぐ口を動かして一生懸命喋っていた子狼だが、不便さを感じたのかその場でくるりと一回転すると、人間の子供の姿に変化した。

 しかし、耳は狼のままで、獣人専用の服なのか、尻からはふさりとした尻尾も出ている。

 

 ――そして、視認できる部分の毛色はすべて雪のような白銀であり、その瞳は深海のような深い蒼である。


「おい、普通フェンリルってのは黒い毛に金色の目じゃないのか!?」

 場にいた赤ん坊以外の人間全員が呆気にとられた瞬間、果敢にも第一声を上げたのは、エインズワース家の長男だった。

 その横で、はっと気がついたように次男も追撃を繰り出す。

「そうだ! ダーウィン家のおじ様にお会いしたことがあるが、見事な黒髪に金眼だったぞ!」

 キッ、ときつくフィンを睨む兄弟は、二人とも父親譲りの見事な金髪に緑眼であり、美少年と呼んで差し支えない容貌だが、人型となって妖精の如き儚げな姿になったフィンには敵わない。

 何より双子は、溺愛してやまない妹とフィンが、色加減が違うとはいえ同じ銀髪なのが癪に障ったらしい。

 エインズワース家の奥方は、夕焼けのような淡く柔らかい色の赤毛であり、イヴァンジェリンの光加減によってアネモネのような色彩を放つ銀髪は、家系内でも母方を数代遡って一人いた程度である。

 だが、子供のうちに色素が飛び抜けて薄いのは珍しいことではない。成長すれば、社交界で仙姿玉質とその美しさを讃えられる母とよく似た淑女に成長するだろうとエインズワース家では囁かれていた。

 そして、生まれてからずっと「ふわふわでほっぺたと同じピンク色で可愛いねぇ」「自分たちも同じ銀色だったらお揃いだったのにねぇ」と妹から離れずに囁いていた双子にとってみれば、自分たちよりも血縁者に見えるフィンは青天の霹靂にして、即座に天敵認定となった次第である。

 そして、フィンにとっても自身の身体の色は気になる点なのか、うぐっと後ずさった。

「うるさい! しょ、正真正銘のダーウィン家の息子だ! 白かったり青かったりするのは母上譲りで……」

「半魔ってやつだろ!? そんなハンパ者がうちのエヴァを守れるのかよ!!」

「エヴァはおれらが守るんだから、お前は帰れよ!!」

「帰らない!! お嬢はおれが守るんだ!!」

 きゃんきゃん美少年同士が吠え合うのは大変絵になる光景だったが、あっさりとそのちびっこ対決を止めたのは、双方の父親である。

 どうやら、フィンは父親と一緒に来ていたそうなのだが、乳母とフィンの予期せぬエンカウントのせいで、来客と令嬢の危機で報告の順序があべこべになっていたらしい。

 双子は自分たちでうっかり後ろに押しのけていた父親から強烈な拳骨を同時に食らい、フィンはフィンで、いつの間にか家令に案内されて自分の横に立っていた父親から同じく拳骨を落とされた。

「お前たち、普段ダーウィン家の者からさんざん世話になっているくせに、そこの息子さんに悪態をつくんじゃない!! それに、うちのエヴァだって我が家じゃ珍しい銀髪だろが!!」

 父親に一喝されてか、頭の痛みでかは定かではないが、双子は喉の奥で唸る。

 双子にはそれぞれ、すでに専属のダーウィン家の影がついており、やんちゃ盛りの二人に手を焼かされているという報告は、父親に上がってきていた。

 辺境伯とはときに、戦時下においての防波堤となる地だ。

 その地を共に治める以上、上司と部下、という関係以上の信頼関係を築かなければならない間柄なので、衝突が少ないようにとかなり年上の実力者を充てがったのだが、双子の悪戯はお守り役の想像の遥か上を行くらしい。

「でも、父上ぇ……あいつ、おれらと同い年くらいですよ?」

「ええ、同い年ですよ、坊ちゃま方。挨拶が遅れた上に、愚息が失礼いたしました」

 と、腹に響くような低い声で丁寧な礼をしたのは、噂のダーウィン家が現当主兼、フェンリルの長である。

 その艷やかな黒髪と体格の良さは、精緻な作り物めいた息子と並ぶと、見事に正反対な逞しい印象を受ける。

「まあ変化は、ちと苦手ですが、身内贔屓をなしにしても武術、魔法においてはすぐにでも私を超す逸材です。必ずや、エインズワース家の姫をお守りするでしょう」

 すなわち、人間であるダーウィン家だけでなく、屈強さで知られるフェンリルたちの中でも、優秀ということか。

 ――という話を聞いても、まったく納得のいかなかった双子が、この後フィンに“決闘”と銘打った大喧嘩を吹っかけるのは、また機会のあるときにでもと自称・神は話を流した。


 □

 

「しかしまぁ、実はこの段階で赤ん坊はすでに入れ替わっていたわけだ。実際のエインズワース家の娘とお前がな」

「いや、だからなんでバレなかったのさ」

 誠が食い下がると、自称・神はあっさりと言ってのけた。

「お前な、この世界でも赤ん坊の取り違いがあるくらいなんだぞ。神が手を加え、美に磨きがかかっているとはいえ、ある程度はエインズワース家の娘に似せてある。何より、我の世界の貴族と呼ばれる人間たちは毎日母親が世話をするわけでないし、双子の兄とて毎日顔を見に来たと言ってもメイドに抑えられて遠巻きにだぞ。そうわかるものか」

「……じゃあ、エインズワース家の本当の娘はどこにいったんだ?」

 まさか殺したのか、と誠が若干顔を青褪めさせると、自称・神がくわっと噛み付いてくる。

「んなわけあるか!! 人間の赤ん坊の扱いに慣れたエルフの一族に任せたわ」

 なるほど、と誠はようやく首を縦に振ったところで、もう一つ気になった点を自称・神に訊いてみた。

「じゃあ、フィンが守ってたのは私の前世で、さっき言ってた側近なわけだ。実際そのフィンとやらは強かったのか?」

「当たり前だ。フィンは数いる魔物の中でも、地を疾走る種族の中では最強を誇るフェンリルたちの中で、その後、歴史上でも類を見ない強さを誇ったのだぞ。それもひとえに、お前を守るためであり、ハーフであるハンデを全魔物たちに感じさせないためで……」

「うんうん、そんで超美形だったんだろ?」

「そうだ。あれには我は手を加えておらんが、自然の摂理というのはときに神をも驚かす奇跡を生むものであり――」

「じゃあ、ここに載ってないわけなくないか?」

 話の経緯からいくと、いわゆる攻略対象キャラクターのように思えるが、二百ページを超えるオフィシャルファンブックを何度かパラパラと捲ってみた結果、フィンのページは見当たらない。

「そんなバカな!! 天啓を下すとき、あんなに念入りにフィンの情報を送ったというのに!?」

 誠を押しのける勢いでオフィシャルファンブックを覗き込んだ自称・神は、念動力のようなものでページを猛スピードで捲っていく。

 前世の説明といい、今の必死さといい、フィンに対しても並々ならぬ感情を感じた誠は、思わず目を半眼に眇めた。

「……何やってんだよ、神」

「やかましい!! 神とて美しいものを愛でたい気持ちはあるのだ!!」

 開き直りながら、自称・神が(見えないが)血眼で探した結果、『フィン』はいた。

 イヴァンジェリンの紹介ページ内にある小さなコラムと、イヴァンジェリンが描かれたスチルの数枚に。おまけに、自称・神が激推しする外見は目深に被ったフードに隠れて、見事に見えない仕様となっている。

「なぜだあああああああああああ!!」

「うるっせえな!! 知るか!!」

 相当予想外だったのか、自称・神が絶叫する。

 神にも予想外なことって起こるんだな、と自分の存在を棚に上げて感心しつつ、誠はふと思い出したことがあった。

「そういえば、このゲームってダウンロードコンテンツがあるって言ってたような……」

「……だうんろーどこんてんつ?」

 よほどショックだったのか、フラフラと頼りなげに誠に寄ってきた自称・神は、一縷の希望に縋るかのように、誠に迫った。

「なんだ、その“だうんろーどこんてんつ”というのは!!」

「近づくな眩しい!! ようは追加で金を支払えば遊べる内容のことだよ」

 自称・神から目を背けつつ、誠は自分のスマートフォンでスイスイと調べていく。検索ワードは「イヴァンジェリン フィン」だ。ゲームタイトルなど長くて覚えているわけもない。

 一昨年から施設内にWi-Fiが設置されたので、程なくして検索画面が表示される。すると、自称・神を救うようにダウンロードコンテンツ自体の公式サイトへのリンクが出てきた。

 リンクの下に書かれた説明書きによれば、やはり『フィン』にフィーチャリングした内容になっているらしい。

「ほら、フィンはこっちに出てくるんだって」

 配信されたのはオフィシャルファンブックが発売された後のようだ。

 どうやら続編扱いらしく、イヴァンジェリンの死後の話がメインになっているという文章まで読んだところで、タップしたリンク先のページが表示される。

 画像ファイルが大きいのか、イラスト全体が表示されるまで少し時間がかかる。

 誠がぼうっと寸暇を過ごし、ようやく映されたメインビジュアルで見た『フィン』は、自称・神が言うとおり白銀の髪に、蒼玉の目だった。だが、その瞳は涙に濡れ、暗く沈んでいる。

 キャッチコピーは『世界を喪った少年の救済――』なんて――大袈裟な。

 そう、自称・神に言おうとした瞬間。

 

 誠は、自分が涙を流していることに気づいた。

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