第2話 死が隣にある世界

「ゴブリン……だよね……」


 私はカウンター内でうずくまり、またしてもパニックに襲われていました。


 どうしよう! どうしよう! どうしよう!


 カウンター下に設置された非常ボタンを、さっきから何度も押しています。意味がないと分かっていても、押し続けてしまいます。

 思考は空回りして、何も考えられない状態です。


 チラリと外を窺うと、やつらは確実にこのお店に向かっています。

 緑のやつが五体ほど。

 

 カウンターに隠れてじっと見ているだけの私は、緊張のあまり動く事が出来ません。

 そして、やつらはついにお店の入り口に辿り着きました。


 扉の前でしばらく様子を窺っていたゴブリンたちは、扉を壊す事なくその手で開けました。

 入店を知らせるチャイムが、電気の通っている店内に響きます。

 緑のやつらは一瞬だけ驚いた様子でしたが、すぐに店内に侵入して荒らし始めました。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 やめてやめてやめてやめて!


 私はカウンターの下に隠れるように座り、頭を抱えています。

 ガシャンガシャンと店内を好き放題に荒らす様子が嫌でも伝わってきて、大きな音がするたびに、私の体はビクッと反応してしまいます。


 怖い怖い怖い怖い怖いよっ!


 やつらに見つかったら、私はどうなるのでしょうか。


 殺されるのでしょうか。殺されるに決まっています。どうやって殺されるのでしょうか。なぶり殺しに決まっています。殺されるだけで済むのでしょうか。犯されるかもしれません。痛いのでしょうか。痛いのは嫌です。怖いのも嫌! 嫌! 嫌!


 しばらく派手な音が続いていましたが、そのうちそれも収まって静かになりました。


 ……。


 一分か二分か……十分か。もはや時間の流れる感覚が分からなくなっています。

 どれくらい、沈黙と静止の時間が流れたでしょう。

 何故静かになったのか分かりません。


 私は少しだけ顔を上げ、カウンターに少し手をかけ、少し膝を立て、少しだけカウンター越しに、店内を覗きました。


 目の前に私と同じように、こちらを覗きこむゴブリンの顔がありました。

 目が合った!!!


「きゃあああ!」


 私はのけぞって、カウンター後方に設置された、タバコの陳列棚に激突しました。


「痛い!」


 でも痛みなどに構っていられない! 逃げないと! はやく!


 私はバックルームに駆けこみ、その先にある店内に通じる扉を見て愕然としました。バックルームへの入り口はもう一つあるのです。

 鍵も付いて居ない扉を開ければ、簡単に店内へと行き来が出来るのです。


「逃げ場所なんてないじゃない!」


 私はまた頭を抱えてうずくまります。


「もうやだ。やだよお」


 バックルームのデスクの下に潜り、しゃがんだまま、泣いて震えていました。


「うう……ひっく。ひっく」


 しばらく経っても、やつらは襲ってきませんでした。ここまで入ってこなかったのです。


 何故とかどうしてとか、思考する事は既に出来ません。私はただデスクの下で丸くなって、泣いているだけです。


 やがて外が暗くなって、この世界にも夜が訪れる事を知りました。

 泣き腫らした目をこすり、デスクの下から這い出して立ち上がります。

 暫く前に、お店のチャイムが鳴ったのを聞きました。


 やつらは出て行ったのだと思います。確認はしていませんが、そう思いたいです。

 カウンターまで戻って店内を見渡せば、やはりやつらの姿は消えていました。


 でも、――店内は見るも無残に、荒らされてしまっています。


 お弁当やおにぎりやパンなどの食べ物が食い散らかされ、商品棚は転倒し、お酒の瓶は割れて辺りにアルコール臭を漂わせています。

 飲料のペットボトルは開け方が分からなかったのか、真ん中から千切られるようにして破けています。

 本や雑誌もほとんどボロボロになって、……でも何故かカウンターに設置してあるホットケースの中身は昨日のままの状態で無事で……。


「……ひどい」


 外を見れば、真っ暗になっていました。

 お店の壁のほぼ半分はガラス張りで、外が容易に望めます。逆に言えば、外から店内が丸見えなのです。

 暗闇から誰かが覗いているような気がして怖いです。なんでコンビニにはシャッターもないのかと思いました。


 そうだ、扉に鍵は掛かります。


 私は急いで扉に鍵を掛けに行き、駆け足でカウンターに戻りました。

 

 あんなガラス張りの扉に鍵を掛けた所で、意味もない事くらい分かってます。

 でも、そうせずにはいられなかったのです。


 カウンターに戻った直後に、ドンドンドン! とガラスの扉が誰かに叩かれたかのように、鳴り響きました。

 ビクッと反応してそちらを見れば、銀色の鎧を着た人が扉を叩いています。

 顔の部分は鎧に覆われていないので、男の人だと分かります。


 ぞっとしました。――だってついさっきあの扉の所へ行って、鍵を掛けたばかりなのです。

 あと数秒遅れていたら、あの鎧の人と扉で鉢合わせしていたのだと思うと、鳥肌が立ちました。

 街灯もない外は真っ暗で、人影などまるで気付かなかったのです。


「そこの君! 大丈夫か? あけてくれ!」


 どう見ても西洋人の顔立ちをした男の人が、日本語で叫んでいます。

 それは物凄く不自然でした。

 ここはやはり日本で、この人は日本語が流暢な外国人で、――なんて、そんな発想は思い浮かびませんでした。


 だって、話す言葉と口の動きが明らかに合っていないのですから。

 海外の映画の日本語吹き替えを、生で見ているようでした。

 私はその違和感に、何者かが私を弄んでいるのだという思いに囚われました。


 それがこの世界のシステムなのか、神なのか、誰のせいなのか知りませんが、都合のいい翻訳もお店に電気が通っている事も、すべてゲームを進めるための設定のような……そんな気がしました。――そういう仕様なのだと。


 男の人はまだ扉を叩いています。


「この建物はなんだ!? 状況が知りたい! あけてくれ!」


 私に戦う力はありません。ゴブリンだろうが人間だろうが、襲われたら終わりなのです。

 この人が良い人だなんて保証は、どこにもありません。


 絶対に開けない。開けるもんですか。

 そう思った矢先、ガシャン! と大きな音と共に扉のガラスが割られました。

 

 なんて事をするのよ!


「扉壊さないでよお!」


 私は叫んでいました。


「え……あ、すまん」


 こいつ、ガラス割って入って来ました!

 剣なんか持ってます!


 落ち着いて! 私!

 ゴブリンと違って言葉は通じる。なんとかするのよ私!


「この建物からゴブリンが出て行くのを見たんだ。そいつらは倒したから心配はいらない」

「そ、そうですか」


「襲われなかったか? 大丈夫か?」

「はい……大丈夫です」


 油断しないで、私。


 この人はゴブリンではない、言葉の通じる人間だ。だけど、……男だ。


 男の人と二人だけなんてこんな状況、この人がいつ私を襲わないとも分からないんだよ。


「ひどい荒れようだが、ゴブリンの仕業か? それにこの建物はいったいなんなんだ?」

「お店……です」


「店だって? なるほど、確かに商品らしき物が散乱している」

「好きなの持っていっていいですから、すぐ帰ってください」


「それはいいが、君はこんな所で何をしてるんだ? ひとりなのか? それに随分と奇抜な恰好をしているな」


 奇抜? このコンビ二の制服の事でしょうか。

 それよりも――

 ここで正直に一人と答えたら、どうなるのでしょう。男の人が獣になる確率は上がるのでしょうか。

 だけど誰か居ると答えても、それを証明するすべ がありません。

 狭い店内なので、確認されたらすぐにバレてしまいます。


 どうする!? どうする私!!


「ああ、その顔は何か心配しているようだが、俺が襲い掛かったりはしないから安心してくれ」

「え?」


 私の考えを読んだかのような言葉でした。


「この鎧を見ても気付かないのかい? 俺は王国騎士団だ。それにほら、これ」


 コンコンと男はカウンターに向けて空を叩きます。


「ここから先は入れないみたいだ」

「え?」


 私はカウンターの上あたりを手でなぞりました。

 当然のように何もありません。


「あれ、おかしいな。ああ、そうか……どうやら君の結界だから君は適用されないようだね」

「けっかい……」


 男の人はまた、コンコンと空中を拳で叩きます。

 音もします。確かに何かあるみたいです。


 そういうことだったのですね。だからゴブリンもこっちに入って来れなかったのですね。

 それで助かったんだ。……私。


 今更の安堵と、今更の恐怖に、私はまた泣き出してしまいました。


「おいおい、大丈夫か?」

「ううう、ひっく。怖かったよぉ」


「そうか、襲われる寸前だったんだな。俺はさっきも言ったが、王国騎士団の者だ。今はパトロール中だったんだ。外に馬も繋いである。よかったら保護するがどうする? 王都はすぐ目と鼻の先だ」

「……」


 私の気持ちは、悩んで……揺れました。

 町は近いらしい。だけどここを離れていいのでしょうか。


 確かに保護はされたい。けれどここを離れてしまったら、私の元の世界との繋がりも、絶たれてしまいそうで怖いのです。

 私には、とても異世界の町で暮らして行ける、という気もしません。

 とは言え、このお店に残って生きて行ける自信もありません。


 しかし電気も水道もそのままで、私のライフラインは守られている感じもします。

 食糧はバックルームのFF(ファーストフード)の在庫などがまだ沢山あるので、しばらくは大丈夫です。


 それにここに居れば明日になったらまた、元の世界に戻っていたりするのかもしれません。

 

 迷っていた私の心に決断をさせたのは、先ほど分かった結界の存在です。

 これがある限り、私の安全は保障されているのではないでしょうか。


「あの、しばらくはこのお店に居ます。だから、その、たまに様子を見に来てもらえませんか?」

「それは構わない。ここはいつも巡回するコースだ。今日は突然この建物があって驚いたが、君はここに住んでいるのか?」


 王国の騎士団というのは、私の知る警察みたいなものなのかもしれません。

 いつもパトロールをしているようです。


「しばらくは、そうなります」

「そうか。わかった。ならば毎日この店の様子を見に来る事にしよう。結界は解除するなよ」


「はい。……ありがとうございます」


 解除するなと言われても、私にはどうする事も出来ません。

 けれども、この結界がどうなっているのかは知りたい事なので、私はこの人に協力してもらってお店の結界の範囲を調べました。

 

 その結果、カウンターとバックルームは結界の範囲内という事が分かりました。

 お店の壁に沿って、くの字に結界があるみたいです。トイレがその範囲外なのが不安で仕方がないです。


 こんな事まで手伝ってくれて、この騎士さんはいい人なのかもしれない、そう思いました。

 獣やゴブリンと一緒に考えてしまった事を、心の中で謝ります。


「ではまた明日来る。死ぬなよ。それと……扉は、その、すまなかった。君が怪我でもして動けないのかと思ってしまってね」

「いえ、大丈夫……です。明日も見回りお願いします」

 

 王国の騎士さんは馬に乗って去っていきました。


 死ぬなよと言われました。――さらっと言われました。

 この世界では、当たり前のように出る言葉なのでしょうか。


 私の居た世界ではそんな言葉が交わされる瞬間なんて、一生に一度だってあるか分かりません。

 映画や小説とは違うのです。

 これは本当に現実なのでしょうか。

 夢なら早く覚めてほしいです。


 朝になれば元の世界に戻っているかもしれない。そんな希望さえ残されていないのでしょうか。


 ガラスの割れた扉の外には、暗闇が広がっています。

 すべてを飲み込む、漆黒の闇です。

 いくら睨んでもその闇が、元の町の風景に戻る事はありません。


 静かすぎる店内に、私が一人だけ。


 いつの間にかまた、泣いていました。

 私は立ち尽くし、静かに泣いていました。


 ここは異世界。


 死がすぐ隣にある世界でした。


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