第14話 生身の愛へ7 ~終わってしまえばただの人

 「退職した日に、それぞれ、くすのき学園の中で何か言葉を交わされたのですか?」

 たまきちゃんの質問に、お二人とも、一切言葉を交わしていないとの答え。

 

 あの「布団事件」以降、くすのき学園内では、ほとんど言葉を交わさなかった。

 しかし、それはあくまでもくすのき学園内の話。その年の3月下旬、M中学校の卒業式の翌日、義男さんが叔母夫婦の家で4月以降のことを話していたとき、たまたま休みだった愛子先生があいさつに来た。

 そのときのことを、義男さんが語ってくださった。


「土屋さん、御免ください。くすのき学園の合田と申します」

「ああ、合田先生、いらっしゃい。どうぞ」

 叔母に促されて、愛子先生は叔母宅に上がってきて、叔母夫妻に、今年をもってくすのき学園を退職し、4月から保育園に勤めることを報告しました。

 「そうですか、先生、ご苦労様でした。今度は保育園ですね。うちの義男のような小生意気な中学生の相手よりも、まだ幼くて可愛らしい子らのほうが、世話の甲斐もあるでしょう。がんばってくださいね」

 「ありがとうございます」

 「ところで、愛美のほうはどうですか? あなたが担当されていますよね」

 叔母が、愛美のことを尋ねました。

 「はい。義男君がくすのき学園にいてくれて、色々助けてくれたから、私も、非常にやりやすかったですし、愛美ちゃんも、素直な子で、しっかり勉強しています」

 「そうですか。それはよかった。しかし・・・」

 「え、何か・・・」

 「義男がいて、あなたが担当してくださった間はよかったが、あの子は今年で小6、まだしばらく、くすのき学園でお世話になる。ありがたいのは確かですけど、義男が卒園して、あなたも退職されるとなったら・・・。養護施設は、職員も子どもたちも、いつかみんな、いなくなってしまう・・・。正直、そこが心配です」

 

 叔母の懸念に、愛子先生が答えました。

 「親族でもない元担当保母の私が行ってどうこうすることはできませんが、義男君が、時々くすのき学園に愛美ちゃんの様子を見に行くと、言ってくれています」

 

 そこでね、うちの叔父が、とんでもないことを言い出しました。

  「ところで、合田先生、あなた、結婚される気、ないのですか?」

 愛子先生の顔が、何とも言えないものになりました。

 「うちの義男が、もう少し年上でしたらなぁ・・・」

 「何言っているのよ、「年下の男の子」なんて曲があるでしょ、愛があれば、年の差なんか関係ないですって。あ、これは仮定の話ですけど、もし、義男が合田先生と結婚すると言ってきたら、あんた、反対するんかなぁ?」


 叔母の言葉が呼び水になって、叔父が、まくしたてるように自説を述べ始めました。

 「いや、せん! むしろ、大歓迎じゃ。義男にはもったいなさすぎるけどな。あんたの兄さんたちも、反対はせんはずじゃ。そうそう、倉敷の卓三義兄さんは、義男が早いところ結婚してくれたら落ち着くのにと、このところ、よく言っている。その上の東京の秀和義兄は、名門の中央大学の法学部に行った人じゃから、よほどの相手ならともかく、合田先生が義男より8歳年上と聞いても、男女の年齢差は結婚の欠格事由にならんとか、わしらにはようわからん難しい言葉をうまいことちりばめて話すが、それでも反対なんかせん」

 「合田先生、ズバリ聞きます。私の甥の義男のこと、好きなのでしょう・・・。あ、これは、女のカンみたいなものでして、あてにはなりませんから、もしそうじゃなかったとしたら、気を悪くなさらないでね」

 叔母の言葉に、愛子先生が、少し寂しそうな口ぶりで答えました。

 「いえ。これまでは養護施設の保母と児童という関係でしたけど、この3月末で、その関係は終わります。街中で会っても、お互い、タダの人同士ですから・・・」

 「そうかもしれん。けど、そんな寂しいこと、言いなさんなや・・・。あの、これは、私の個人的なお願いじゃけど、この4月からも、時折、義男の様子を見に来てやってほしい。これは、くすのき学園の保母としてではなくて、あくまで、義男の知人である合田愛子さんに対しての、個人的なお願いです」

 愛子先生、その言葉で、少しばかり顔色がよくなったように思えました。

 「わかりました。これからも、義男君の様子を時々見に来させてください。彼が立派な大人になるのを見届けるのも、個人としてのことになりますけど、大事な責務のように思われます。よろしければ、たびたび、こちらにも伺わせていただきます」

 

 ここで、叔父がまた、とんでもないことを言い出しました。

「ところで、あなたの職場と新住所ですが、先日いただいたお手紙によれば、義男の伯父の卓三の会社の近くですね。お住まいのアパート、どのくらいの広さですか?」

「台所の他に、3部屋あります」

「そうですか・・・」

 叔父は、何か考えていたようです。

「先生さえよければ、義男を住まわせてやったら、ええかもしれんね」

 愛子先生、ハッと驚いて、叔父の顔を見つめました。

 

 私ね、先日、義兄の卓三と飲んでいて、たまたま岡山駅前の居酒屋で稲田先生にお会いしてね、飲みながら、いくらか話させていただきました。

 合田先生が、義男のことが好きなようで、いろいろと問題があったとね。

 確かに、稲田先生からお聞きしたお話が事実とすれば、くすのき学園という養護施設内におけるあなたの行動は、問題です。

 ですが、あなたはこの3月で退職され、義男も偶然ながら同じ日に、くすのき学園を退所する。

 先程あなたはおっしゃった。

 あなたが義男と街中で会っても、お互いタダの人だ、って。

 お言葉だけどね、タダの人同士、男女が知合って仲良くなって結婚することなんて、世の中にはいくらもある話でしょう。

 今、義男は15歳。この4月で誕生日を迎えても、やっと16歳じゃ。あなたは23歳。8歳の差があるとはいえ、もう2年もすれば、義男は18歳。男は18歳になったら、親権者の同意がいるとはいえ、結婚できますからね。

 そんなもの、倉敷の大工のおっさん、喜んでサインしよりますわ。東京の伯父貴は、一言二言難しいこと仰せだろうが、あれは子どもにお菓子を与える前の説教みたいなもので、どうってものでもない。

 すぐにはお互い無理かもしれないが、機会を見て、もしよければ、あなたと義男が、そのアパートで同居してもらっても、私はいいと思っています。

 

 目の前のお茶をすすって、叔父はさらに、こんなことを言いました。

 「もしあなたが、これからも一人で生きていくおつもりなら、2人以上で住めるアパートなど借りなくても、よかったはずじゃ。一部屋だけの、何ですか、東京の秀和義兄の話では、ワンルームとか何とかいうそうだが、そんな場所で、よかったはずです。しかしあなたは、新婚家庭の入居可能なアパートを借りられた。そのことは、倉敷の大工のおっさんが、友人の不動産屋に確認して、わしらにも教えてくれました。もう、単刀直入にお尋ねする。合田さん、あなた、義男のこと、本当に好きなのですね」

「・・・は、はい・・・」


 私はそれまで、愛子先生に恋愛感情を持ったことはありませんでした。親切な若い女の先生だな、その程度の印象でした。しかし、今日のこのときを逃せば、もう愛子先生に会えないかもしれない。たびたび様子を見に来てくれるとは言われているけど、嫌われたと思ったら、来てくれなくなるかもしれない。

そう思うと、たまらなくなってきました。


「義男、おまえは、どうなんだ?」

 叔父の言葉に、私は意を決し、答えました。

「ぼく・・・、合田愛子さんのことが、好きです・・・」

 愛子先生の顔が、ほんのりと、赤くなっていました。

「このまま二度と会えないのは、嫌じゃ・・・」

 叔父が、畳みかけるように言いました。

「他にもまだ、言いたいことがあるなら、言いな」

「4月からは、先生じゃなくて、愛子さん・・・」

「そうね。これからは、名前で呼んで」

「じゃあ、愛ちゃんでも、いい?」

「そのほうが・・・、嬉しい・・・」


 程なくして、叔父が、私たちに「策」を授けてくれました。


 じゃあ、これからの作戦を申し上げよう。まず、くすのき学園を完全に出るまでは、お互い、学園内では素知らぬ顔で通すように。

 あの二人はできていると他の職員や子どもたちに気づかれたらまずい。

 愛美に変な形で知れるのは、特に要注意じゃ。ただし愛美には、いずれはどこかで伝えにゃあいけまあが、それは、状況を見てからじゃな。

 それから、義男は予定通り、しばらく、うちから伯父さんの会社に通えばいい。ほとぼりが冷めた頃に、合田先生のアパートに義男が行って、同居する。

 それで一緒に生活して、うまくいかなきゃそのときはそのとき、うまくいって義男が18歳になったら、そのときは直ちに婚姻届を出して、晴れて夫婦になればいい。結婚式は、機を見てやればいいだろう。

 東京の伯父さんは、婚姻届の提出がすべてであって、およそ結婚式など何の法的効果もないとか、あんなものに金をかけるぐらいなら、その金を生活費に回せば並以上の生活が当分できるとか、そりゃあ御説御尤もだけど身もフタもないことをおっしゃるが、自分と血のつながった甥が結婚することを正当な理由もなしに反対するような野暮な人じゃない。そういう流れで、愛子さん、うちの義男を、これからもよろしくお願いいたします。

 

 それからくすのき学園と叔母宅の行き来をしながら退園準備をして、3月31日の昼、くすのき学園に残していた荷物をすべてトラックに乗せてもらい、叔母宅に住むことになりました。愛子先生も、同じ日、同僚だった職員たちに見送られながら、くすのき学園を去って、倉敷市内のアパートへと去っていきました。伯父の指南通り、くすのき学園内では、愛子先生と何やら特別な関係がある素振は、お互い、一切しませんでした。

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