小説 養護施設 2 くすのき学園編
与方藤士朗
捨て猫のような目をした子どもたちの「家」でおきていたこと
第7話 網戸も扇風機も冷房もない部屋の夏
あの施設は、本当にひどい場所でした。
後にくすのき学園とよつ葉園で指導員をされた山崎良三さんが、施設名を名指しこそされていませんでしたが、いつでしたか、××ラジオのあなた方の番組に出演されて、おっしゃっていましたよね。
「最初に勤めた養護施設は、子どもたちが捨て猫のような目をしていた」
ってね。それ、間違いなくそれはよつ葉園ではなくて、くすのき学園ですよ。
とにかく、ベテラン保母の白井先生が、小さい子どもたちに対して、大きな声で叱っていることが多かった。
愛ちゃん、いや、合田先生とか各務先生のような、そうではない人もいたが、若い保母でも、子どもたちを怒鳴りつけて指導した気になっている職員が何人かいましたね。確かに、子どもたちが思うように動いてくれなかったら、怒鳴ってでも従わせることで、その施設の秩序を、表面だけとはいえ保てますから。
相手が幼児さんや小学生ぐらいなら、恐怖を感じて従うでしょう。ただ、力がついてきた男の子は、中学生にもなれば、その気になれば保母の一人やそこら吹っ飛ばすぐらいの力はつく。女の子はどうかというと、こちらも、陰湿な形での対立になっていく。
そこで、女性の保母でカバーできないことは、男性の児童指導員にできるだけ担当させる。特に、中高生の男の子は、ね。もちろん、保母のすべてが中高生の男子を担当できる能力がないわけじゃない。そういう子らへの対応に向く保母も、もちろんいました。しかし、当時の職員たちの対応を第三者の目で見直してみても、その場限りだなと思うことが、多かったですね。
あの年、一度だけ、愛子先生を困らせかけたことがありました。くすのき学園は、夏の暑い盛りであっても、窓を閉め切って子どもたちを寝させていました。といっても、当時のことです。冷房なんてありませんでした。温暖化の言われる今ほど暑いことはなかったはずですが、いくらなんでも、それはないだろう。しかも、部屋には扇風機もない。そんな場所で、寝られますか、あなた?
私はある日、あまりの寝つけなさに、何人かで部屋を抜け出して、屋上で涼んでいました。あの頃にしても、気温の高い夜だったと思います。とにかく、暑かった。
そんなことをしていたら、見回りの職員にばれますよね。あの時の宿直は各務先生という若い保母さんでした。といっても、愛子先生より8歳ぐらい年上で、当時29歳でしたっけ。大ベテランの白井先生を除けば、最年長の保母でした。そのころすでに結婚されていて、くすのき学園には住込みではなく、近くのアパートから通っていました。
「あんたら、なにしとるんでぇ」
「暑うて寝られんけぇ、涼んどるんじゃ」
「そんなこと言わんと、寝られえ。暑いのはみんな一緒じゃが」
「ようそんなことが言えるな! アンタラは窓開けて、蚊帳吊って寝とるじゃねえか」
「大人は、ええんじゃ。子どもは、風の子じゃ」
「だったら、風、入れえや、部屋に。何ならここは、シケた場所じゃのう」
「しょうがねかろう、学園には、お金がねえんじゃ」
「金がのうても、網戸ぐらい買えようが! ケチなこと言うな!」
「私らだって、そんなに高給なんかもらってねえんよ。ホンマに・・・」
実際、彼女たち保母の給料は、最初の3年ほどこそ他の施設と同じぐらいありましたが、その後の昇給は、明らかに抑えられていました。要は、どのみち結婚などを理由に退職していくだろうし、下手に昇給の余地を作ってしまうと、学園の経営が苦しくなってしまうから、というのがその理由でした。
男性の児童指導員についても、そのあたりは大差ありませんでした。
園長に小学校長を定年退職した稲田先生を招聘したのも、定年後の元校長なら、年金もあり、退職金も受取っているので、さほど高額の報酬を用意しなくてもいいからというのが、実態だったようですね。
各務先生にしても、O大学で助教授を務める夫がいて、妻である各務先生が仕事をされることへの理解もあったから問題なかっただけで、結婚してしまえば、安月給の上にきつい職場にいる必然性など、なかったでしょう。
「こんな施設、とっとと潰れやがれ!」
「潰れたら、どけえ行くんなら」
「アンタラの知ったことか!」
起き出した稲田園長が、声を聞きつけて、屋上に上がってきました。
「各務先生、どうしたのですか?」
「義男君たちが、寝られないと言って、屋上で涼んでいましたから、注意しました」
「暑いのは、みんな一緒じゃ、各務先生に言うても、暑さは引かん。別に無断外出をしたわけでもないが、こんなところで涼んでいないで、部屋に帰って寝なさいよ」
「阿呆! 寝られんからここに来とるんじゃ、そんなこともわからんのか!」
「大人に向かってそんな言い方はなかろうが!」
「だったら、大人らしゅう、仕事せえや。おまえら職員、雁首揃えて、わしらの部屋で一週間、いや、一晩でもええ、寝てみさらせ! 寝れるか、お、園長センセイよう・・・」
稲田園長は、私のその言葉に、一瞬、ひるみました。
「われ! 死にさらせ!」
一匹の蚊が左腕のあたりに食いつこうとしたので、右手で思いっきり叩きました。
蚊の死体から、赤い血が飛び出しました。
「わしらの血、吸いくさりよって」
腕を右手でこすると、蚊の姿は、跡形もなくなりました。少しの間、蚊が吸っていた血の匂いがほんのりと、鼻をつきました。
道路の街頭と信号機がちらほら見えるぐらいで、辺りはすでに、寝静まっていました。
「それじゃあ、こうしようか。まずは、風呂に行って、水を浴びなさい。少しは汗も引くだろう。それで、今日のところは、寝てくれるか」
「今度は泣き落としか? くすのき学園には金がねえから網戸も買えん、ってか?」
「今日の今から買えと言われても、業者はどこも閉まっているだろう」
「明日には手配するんか?」
「今日に明日は、無理じゃ」
「見え透いた言い訳をするな!」
「言い訳しとるつもりは、ない!」
園長の言葉に、ぼくらはさらに食いついた。
「ようそれで、子どもに言い訳するなとか言えるな」
「なっさけねえ大人じゃのう、ええ年して」
小5のキヨシ君が、吐き捨てるように言いました。
「小学生にそこまで言われて、悔しゅうねえのか、園長センセイよう」
「どうせわしらは捨てられ子じゃ。悪かったな!」
「園長センセイは窓開けて蚊帳の中で御就寝か、ええ御身分じゃのう!」
「そりゃあそうじゃ、天下の丸の内小学校の校長先生でいらしたお方じゃけぇ。退職金も年金もばっちりもらえて、このヘッポコ学園で小遣い稼いで、あとは、国から勲章をもらうだけ! ってか?」
「わっはっは! キャンディーズのミキちゃんがやっとったのう、ミナミ辺ぼく村のコーチョーセンコーの、あれな」
中1のマサルとアキトの二人が、いささか面白おかし目に、テレビで見たキャンディーズのコントのネタを出して、ここぞとばかり、言い返しました。
「こんなところで寝るぐらいなら、岡山駅の地下街で寝たほうが、よほど、涼しゅうて、よう寝られようなぁ。ルンペンやっとるほうが、まだましじゃ」
「義男君の言う通りじゃ。アホらしゅうもねえ」
園長は、しばらく黙ったまま、私たちの不満を聞いていました。ふと園長の目元に目をやると、街頭の光が反射して、私の目に飛び込んできました。
「じゃあ、これから、少し窓を開けて、蚊取り線香を焚こう。それから、風呂で水を浴びて、汗を流してきなさい。今日のところは、それで寝てくれるか。ここはおまえたちの「家」だ。そんなひどい「家」に住ませるようなことをして、悪かった。辛い思いばかりさせて、本当に、ごめんな」
「ごめんで済んだら、警察は要らんわ。ようもわしらを、こねぇな蒸し風呂みたいなところで寝させてくれたのう。わしら、肉まんちゃうでぇ・・・」
マサルの言葉に、園長は黙って頷いただけでした。
その年は結局、網戸はつけられないままでした。その代わり翌日から、毎晩、窓を開けて蚊帳のような網をガムテープで張って、それで寝ることになりました。
さすがに翌年の夏までには、網戸も入れられ、扇風機も1台、各部屋の壁に備え付けられました。あの締め切った中での暑さに耐えていた私たちにとっては、天国とまではいいませんが、随分、快適になったことは間違いありません。
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