#38 モブPの血が騒ぐ?
僕は
僕は自分には音楽の才能なんて1ミリもないことは分かっているが、聴く耳だけはけっこうあるんじゃないかと
もっともプロデューサー本人でもない自分がヒット後にいくら「僕はブレイクすると思っていた」と言ったところで、「どうせ後出しジャンケンだろ」と言われてしまうのがオチだよな。だから、そういう確信は自分の胸の中にだけ、秘めておくようにしている。
たいていの場合はそうじゃないんだろうけど、もしかしたら穂花はとんでもない才能を秘めたアーティストなのかもしれない。明日のスターなのかも知れない。
そう思うと、とてつもなくワクワクして来た。僕は我慢できずに、店長に尋ねた。
「店長、姪御さんはどこで歌っているんですか?
実際にお聴きになったことは、あるんですか?」
店長はいつものクセで指で鼻をこすりながら、こう答えた。
「僕は実際に聞きに行ったことはないんだが、よく来てくれと言われるよ。
でもこの商売をしているだろ? 時間帯がちょうど一緒だから、聴きに行くのはなかなか難しいよね。
場所は、穂花に聞いたところでは、
うちの店がお休みなのは唯一日曜だが、僕もなけなしの休日はなんだかだと用事が入っちまうので、まだ行けずにいる。叔父として、一度は聴きに行ってやらなきゃと思ってはいるんだが、なかなか」
「そうなんですか……。いえ、僕、ちょっと聴きに行ってみたいと思ったんです、彼女の歌。
今度、時間があったら綾瀬まで行ってみます」
「それはどうもありがとう。綾瀬だから、
それに……」
店長は一瞬、間を置いた。
「なんですか?」
「ストーカーもどきの変なお客が彼女にまとわりついていないか、見て来て欲しいってのもあるんだ。
身内の僕が言うのもなんだけど、ほら、穂花ってなかなかのルックスだろ?
お客相手の商売をしていると、悪い虫がいっぱいついてしまう危険性はあると思うんだ。
モブくんのような紳士的なお客が、ファンとして彼女をしっかりガードしてくれるとありがたいんだがな」
「それはそれは。僕のこと、高く評価していただき光栄です。
でも、それは買い被りのような気もしますし、もしかしたら僕自身が、そういうたちの悪い虫の1匹なのかもしれませんよ、店長」
僕がそう冗談まじりで答えると、店長は含み笑いをしながら言った。
「まぁ、それならそれでも構わないけどね。
穂花も今のところ、彼氏とかいないみたいだし」
えっ、そうなんですかという言葉が僕の口をつくより早く、ひとりの女性スタッフがいきなり厨房に飛び込んで来た。
話題の当事者、穂花そのひとだった。
「おじ、じゃなかった、店長。オーダー入りました。
串焼き盛り合わせ、すべてタレで一丁、お願いします!」
大声でそう伝えると、なぜか軍隊式の敬礼をして、穂花は厨房からあたふたと消えて行った。
「いまあの子、叔父さんって言おうとしたよね。その呼び方、お店では二重の意味でありがたくないって言っているのに。
まぁ、きょう一日だけだから、しかたないか」
苦笑いを隠し切れない、店長だった。
本人登場がきっかけで、穂花についての話はそれきりになった。
僕としても、彼女のストリートライブの情報をキャッチ出来たので、ひとまず満足だった。僕の唯一の休日、次の日曜日にでも出来れば綾瀬まで行ってみよう。
そこでふと、僕は
僕は店長に尋ねた。
「店長、そう言えば、
「名越さん? あぁ、今度きみの代わりに木曜から入ってくれるきみの同級生ね。
あったよ、昨日電話が。
開店前の4時台にかけてきて、まずは『なにとぞよろしくお願いします』と、丁重なご挨拶があった。
それから、労働条件についていくつか質問事項をまとめてくれていて、例えば当日の人員体制、休憩の取り方とか、アルバイト代の支払いシステムなどだ。
口頭でなくメールで答えるのでもいいと名越さんが言うから、それらについては、きょうの昼ごろ、メールにして彼女に返答しておいたよ。
いやー、きみの同級生だけあってしっかりしているね。週一勤務でそんなことまで、こと細かに質問してきた女性スタッフは初めてだよ。
店長としてもうかつなことは言えないから、メールの文章も何度もチェックしてしまったよ」
「お手数をおかけしてすみません。でも彼女らしいなと思いました、そのお話を聞いて。
名越さんって、何か気になる点があったら遠慮せず、納得がいくまでとことん聞く、そういう性格の子なんですよ。
…って、別に付き合ってよく知っているわけじゃないんですが」
なんとなく誤解されそうな言い方をしてしまったので、僕は最後にそういう言い訳を付け足した。
「ハハッ、そんなことまでは聞いてないよ。
でも彼女、将来は優秀なビジネスパーソン、あるいは学者になれそうだね」
「同感です。僕などより、よっぽど将来有望と言えるんじゃないですかね。
でも、まだじかに会っていらっしゃらないので分からないと思いますが、彼女、パッと見には今どき風のお洒落な女子大生でもあるんですよ」
「そうなんだ。僕はその言い方だけで、てっきり引っ詰め髪に度の強いメガネをかけた女史タイプかと思ってしまったよ」
「それは秘密にしときます。彼女、ショックを受けますから」
僕、そして店長に、なごやかな笑いが湧き起こった。
「それはさておき、モブくん。きみの仕事の時間だよ」
そう言った店長の手元には、少し前にオーダーを受けていたシーザーズ・サラダがしっかりと完成していた。
こんなよもやま話の最中にも仕事をする手はまったく休めることがない、というのが櫻井店長の偉い、そして凄いところだ。僕にはとても真似が出来そうにない。
僕は「はい、承知しました」と一礼、さっそくそのサラダをお客のもとへ運びに行ったのだった。
⌘ ⌘ ⌘
僕はその後、仕事の合間を見ては穂花に近づいて行き、何か困ったことはないか、分からないことはないかと尋ねた。
疑問点をほかの女性スタッフに聞くという手もあるのだろうが、彼女は初対面の相手にすぐになじむひとではないようで、実際に遠くからしばらく様子を観察していると、あとの女性スタッフ同士が親しげに言葉を交わしている中に、穂花は進んで入ろうとしていかなかった。
感性を研ぎ澄ませて楽曲を紡ぎ、自ら歌うことがその本業である穂花には、社交的なパーソナリティというよりは、クリエイターと呼ばれる人々に共通した、一匹狼の「匂い」がどことなく感じられた。誰とも一定の距離を置いているがゆえに、持つことの出来る「独自の視点」があるのかもしれない、僕はそう思った。
そういうことなら、僕のほうから積極的にかまってやったほうが彼女としても助かるのではないか、そう考えて僕は彼女に進んで声をかけるようにしたのだ。
さいわい、穂花はその持ち前のカンの良さで、最初の数時間でこの仕事の内容を完全に把握してしまい、アルバイト1日目の新人としては驚くほど失敗もなく、自らの役割をソツなくこなしたのだった。
勤務初日のスタッフといえば、たいていなんらのポカをやらかして、筆頭スタッフの僕がお客に平謝り、なんていうのがお決まりのパターンだっただけに、これは嬉しい肩透かしだった。
午後11時の閉店後、僕や店長より早上がりする穂花を前に、僕はこうねぎらいの言葉をかけた。
「穂花隊員、きみの働きぶりは優秀で、とても勤務初日とは思えなかったな。
出来ればこのままここで働いて欲しい、これで即退役なんて本当に惜しいとは思うけれど、きみの才能はたぶん、この仕事では収まりきらないくらいのスケールなんじゃないかとも思う。
明日からは本来の持ち場に戻って、やりたいことを思い切り追究して欲しい。
そして僕も、時には穂花隊員の歌を、聴きに行って構わないだろうか?」
バンダナをはずし、背中半分を覆うくらいの長い髪となった穂花はこう答えた。少し顔を赤らめ、恥ずかしげに。
「おじ、失礼、店長からわたしのこと聞いてくださったんですね、モブ隊長。
もちろん、聴きにいらしてください。楽しみに待っています」
僕と穂花は、そうやって再会を約束したのだった。(続く)
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