#33 記憶力の鬼
火曜日朝、7時台。
けさはちゃんと早起き出来たので、僕は家族、父と母と一緒に朝食をとっていた。
食後のコーヒーを飲みながら、僕は昨日の
4時過ぎから一家の夕食が始まる7時頃までの約3時間は、結局ほとんどラノベ談義で終始してしまった。
それもその8割以上は、鬼ヶ島
詩乃の好みのジャンルは、話の最初に「俺ガイル」が出て来たことから分かるように、もっぱらラブコメディのようだった。
それもファンタジー要素を含まない、いわゆる日常系ラブコメがお好きだと言う。
「何万回に一回かの奇跡が起こったり、人間以外のキャラが登場するようなのはダメね。
そういう、ウソ臭い話はわたしは受け付けないわ。
デフォルメが許されるのはキャラクター設定だけで、それも現実にかろうじて存在出来るレベルのキャラじゃなきゃ。
だからヤンデレみたいな、病的なのもアウト。
あれって、ただの頭のおかしいひとじゃなくって?」
詩乃のその考えかたには、僕もわりあいと賛同することが出来た。
僕も過去にラノベを書いていたが、もともとは高校時代に純文学系の小説(厳密には世間でよく見られるタイプのそれとも少し違っていて、フランスの
だから、大学1年のときに書いたラノベも、基本的には現実社会に起こりうるようなストーリーにして、非現実要素は一切入れなかった。
それゆえに、虚構としてのインパクトはイマイチだったかもしれないが。
「うん、そうだよな。
僕も現実には100パーセントありえないような妄想ストーリーは好きじゃない。
とてもじゃないけど、話にシンクロ出来ないな」
「そうよね。最近のラブコメラノベを読んでいると、大半が小説の
ラブコメマンガの発想や展開を、そのままラノベに移植したようなものばっかり。
マンガは『マンガだから、しかたないかな』と
マンガの後追いをするなんて、ラノベの敗北そのものよ。
それに現実世界のことを書いているはずなのに、出て来るキャラクターがファンタジー世界の人々になってしまっているのよ、いまのラブコメラノベの多くは。
何億分の1の確率でしか起きえない、都合のいい話ばっかり。
どんなに不自然で現実にはありえないようなことも、作り話だから許されるなんて勝手放題、わたしは認めないわ」
ラブコメラノベについて、クールな表情はそのままに、ひときわ熱く語る詩乃であった。
だが鬼ヶ島夫人がいらして、夕食の時間を告げると、その独演会もさすがに終わりとなった。
夫人は「
しかし、せっかくの家族水入らずの団欒タイムを邪魔するわけにはいかない。
僕はここの家族ではないのだから。
「お父様、弟さんには、後ほどご挨拶に伺いますので」
と言って、僕はその勉強部屋で夕食をいただくことを希望した。
夫人はそれ以上は夕食同席を求めず、「承知しましたわ」と言って、あっさりと引き下がってくれた。
ほどなくトレイに載った夕食が運ばれて来て、僕はデスクでそれをありがたく頂戴したのだった。
⌘ ⌘ ⌘
30分あまりして夕食を終えた詩乃が部屋に戻って来た。
時計の針は、8時前を指し示している。
1回につき5時間という契約上、僕はあと2時間は授業をしないといけない。
前半3時間も雑談に使ってしまったことを反省して、残りの時間は先週
詩乃は特に嫌がったりすることなく、素直に僕の要請を聞き入れて「はい、どうぞ」と答案類を見せてくれた。
すると、彼女が学業優秀であることはおおよそ知っていたが、予想をさらに上回る好成績であることが分かった。
どの科目も、おおむね80点以上。
特に驚いたのは、一般的に女性は不得手であると言われがちな理数系の科目で、軒並み高得点を叩き出していたことだ。
数学で90点台、物理で80点台といったぐあいだ。
これって、ひょっとすると僕よりよっぽど優秀じゃない?
ちょっと冷汗が出て来た。センセーも頑張らないと。
もちろん文系の科目も、彼女の興味関心が高い分野だけにソツなく高得点をとっており、70点以下のものなどほとんどなかった。
「どの科目もけっこう勉強しているんだな、きみは。見直したよ。
ふつう、文系科目はよくても理系はダメとか、あるいはその逆とかバラつきがあるもんだが、詩乃くんはそういう弱点がない。
これはスゴいことだよ」
「そうかしら。学校の授業をサボらずに受けて、予習はともかく復習はしている。
まぁ、それぐらいのことしかしていないわ。
予備校の講習も、夏休み、冬休みしか受けていないしね」
「それでもこのレベルの成績が取れるのは、一度聞いたら覚えてしまい決して忘れない、そういう
「お褒めにあずかり光栄だわ、先生。
でもその記憶力も、時として不評なのよ。
いつまでも過去の出来事を覚えていてことあるごとに蒸し返すから、鬱陶しがられるの。
最大の被害者は、わたしの弟でしょうね。
『お姉ちゃんには、忘却力が欠けてるよ!』ってよく抗議されるわ」
詩乃の良すぎる記憶力は弟くんだけでなく、学校のクラスメートにも煙たがられていそうだな、その毒舌と相まって。
「そういうことで、前回も申し上げましたように、モブ先生はわたしに勉強を教える必要などないのですよ。
お分かりいただけました?」
そう言って、僕を真剣な表情でじっと見つめる詩乃だった。
しばらくの沈黙ののち、僕は口を開いた。
「そうかもしれないな、おそらく」
詩乃の口もとが、少しだけ
「だが、まったくないってものでもないはずだ。
きみと僕は別の人間である以上、その経験や知識がすべてにおいてイコールなんてことは、絶対にありえない。
それは認めるよね?」
詩乃は黙って、
「となれば、僕のような平々凡々とした者でも、きみの知らないことをなにがしかは知っているのではないかな。
それを『教える』というといかにも偉そうな表現になるから『伝える』といえばいいかな、きみに伝えられるんじゃないかと思う。
それでいいかな?」
「ええ、もちろん。
勉強みたいに本に書いてあることは、それを読んで学べば十分なんです。
それ以外のことを、わたしは知りたいのです」
そう言った詩乃の表情は、クールさの中にも強い意欲を秘めているように見えた。
僕は安心して、こう続けた。
「オーケー。
じゃあ、これできみの学業の進捗状況の確認はひとまず終了にしよう。
あとは、そうだな……質問タイムにしようか。
分からないことは、なんでも自由に聞いてくれ」
詩乃の目が一瞬キラッと光った。
「なんでも、ですよね」
「ああ」
「ではモブ先生、わたしのほかにもうひとり、家庭教師をなさることになった子について、もっと詳しく教えていただけませんか?」
えっ、そんな質問に答えるの?
僕は『どの教科のことでも』という意味で言ったつもりなんだが、参ったなぁ。
僕が返答出来ずにうろたえているのを見るや、詩乃はこうツッコんできた。
「『なんでも』って、いましがた言いましたよね、先生。
それとも、自分に都合が悪いと前言撤回ですか?」
「わ、分かったよ。話すから」
相変わらず脇が甘く、ゆえに墓穴を掘りまくりな僕なのだった。
⌘ ⌘ ⌘
それから僕は辰巳姫子とその家庭について、ざっと話をした。
父親が辰巳
「ふーん。ということはモブ先生、教える予定の下の娘さんだけでなく、上の娘さんにもお会いになったんですよね」
「ま、そういうことだな」
「先ほどの先生の発言を思い返すと、下の娘さんは『明るくて活発な感じでけっこう可愛い子』ってことでしたよね?」
恐るべき再現度だな。まるで脳内にICレコーダーが入っているみたいだ。
「そんな可愛い子のお姉さんで、年齢もさして変わらない」
「ああ、4つ違いだ」
「となると遺伝的要因から考えても、お姉さんも相当な美人。
違いますか?」
「いや、お姉さんのほうは再婚したお母さんの連れ子なんで、血は繋がっていないんだが」
「ではその要因は無視するにしても、やはり綺麗なひとなんでしょ?」
真顔で問い詰めてくる詩乃。
こういうのに対して口から出まかせで「違うよ」とか言えないのが、僕のアドリブ下手で不器用なところなんだろう。
詩乃に「かくしごとが、お下手ですね」と言われてしまうゆえんだ。
「は、はい。
お姉さんも、なかなかの美人でした」
あっさりと軍門に
詩乃がこうフォローして来る。
「いいじゃないですか、先生。
JKは都条例もあって、うっかり手を出すと逮捕されるけれど、同世代の成人女子なら無問題よ。
辰巳さん宅に行く楽しみも増え、先生の勤労意欲もさらに上がって、よかったよかった」
あまりよくはない気もするが、詩乃が上機嫌そうなのでまぁよしとするか。
さすがにこれ以上はツッコんで来ないと思うので。
詩乃は再び真面目な表情に戻って、こう言った。
「じゃあ、先生のことを一方的に聞くだけでは申し訳ないので、今度は先生がわたしに質問するというのはどうでしょうか?
当然ですが、何を聞いても構いませんよ」
詩乃の思いがけない「振り」にたじろぎ、何を聞いたものか思案してしまう僕なのだった。(続く)
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