#31 女子高生にからかわれるだけのお仕事
いまは月曜日の8時。
新しい1週間の始まりだ。
昨日はわが兄
その後は、これから本格的に始まる家庭教師の予習の続きや、大学の授業の準備などをして、1日が終わったのだった。
いかにも学生っぽい、休日の過ごしかたではある。
残念ながら、リア充とはほど遠いけどな。
ダイニングのテーブルで朝食のフレンチトーストをパクつきながら、僕はスマホのスケジューラできょうの予定を確認した。
大学の授業は午前中にひとコマ、午後にひとコマ。
その後は、
キッチンの母から、声がかかる。
「ヨシト、昨日田舎のキヨミちゃんから宅配便でぽんかんが送られて来たから、あんた、家庭教師のお宅にいくつか持っていって差し上げたらどう?」
キヨミちゃんというのは母の
ちゃん付けだが、母と同じくアラフィフだけどな。
幼いうちに両親とともに愛媛から東京に出て来た母や
ときどき、うちに地元特産の果物類を送ってくれるので、母は東京産の洋菓子なんぞをお返しに送っているのだ。
「ぽんかん? そういや、玄関とこに段ボール箱が置いてあったけど、あれか。
重たいんだよなぁ、あれ」
僕はあまり乗り気でないことを口ぶりでしめしたが、母はこう言った。
「おっくうがるんじゃないの、ヨシト。
普通のみかんとかと違って、東京ではけっこう珍しがられるから、持っていきなさいって」
「はいはい。じゃあ、ふたつだけね」
それを聞いて今度は母が不服そうな顔つきになったが、かまっていられない。
あの重たい代物を、夕方になるまで持ち歩く身になって欲しいもんだ。
とりあえず僕は適当な大きさのブティックの紙袋を戸棚から出してきて、段ボール箱の中から大きめのぽんかんを2個取り出し、放り込んだ。
食後のコーヒーを飲み終えると、8時半近く。
大学の2時限の始業時刻に遅れまいと、ようやく僕は腰を上げたのだった。
⌘ ⌘ ⌘
午後の授業も、なんとか終わった。
同じ授業を取っている顔見知りの男子学生数名は、「せっかくだから、この後飲みに行こうぜ」なんて話をしている。
まだ日も明るいというのに、いいご身分だ。
ひとり僕のほうを見ている
が、僕はそれに乗るわけにはいかない。
向こうから誘われる前に、教室の隅でとぐろを巻いている彼らのところに行き、こう伝えた。
「僕、これからアルバイトなんでね、これで失礼するよ」
すると彼らは、
「そうなんだ、残念だな」
「じゃ、またの機会にな」
「モブって、なんのバイトやってたっけ?」
「居酒屋だったよ、たぶん」
などと、口々に言うのだった。
実は曜日こそ違うが、今もたしかに居酒屋のアルバイトをしているのだから、それは完全な間違いじゃない。
わざわざ訂正するほどのことではないので、そのままにしておいた。
教室を退出した僕は、その足で地下鉄に乗って半蔵門駅で降り、先日たどった道のりを思い出しながら、
ぽんかんの入った紙袋を携えて。
4時少し前、チャイムのボタンを押すと、今回も鬼ヶ島夫人が迎え出てくれた。
「こんにちは。お世話になります。
あ、これは母の郷里の親戚からのもらい物なんですが、よろしかったらどうぞ」
僕はそう言って、夫人に紙袋を手渡した。
「それはどうもお心遣いありがとうございます。
これは……何という柑橘類かしら?」
「ぽんかんといいまして、四国で主に作られているみかんなんです」
「へぇー、珍しいわね。初耳だわ。
家族でいただきますね」
にっこりと夫人は笑ってくれた。
うん、これで持って来た価値はあったな。よかった。
「ところで、
「それが30分ほど前に詩乃から電話があって、学校の委員の打ち合わせが一件入ったとのことで、少し帰りが遅れると言っておりました。
でもあと、10分くらいで着くと思いますので、それまでお茶でも召し上がって、お待ちになってくださいませ」
僕は「分かりました」とうなずいた。
まずは詩乃の勉強部屋に上がって、日本茶を一服することにしたのだった。
⌘ ⌘ ⌘
ほどなく、玄関のチャイム音、そして「ただいまー」という声が聞こえた。
スリッパのパタパタという音に続いて、制服姿の鬼ヶ島詩乃が姿をあらわした。
「こんにちは、モブ先生」
僕は彼女の第一声に、
「こんにちは、おじゃましてます」
と返した。
「なんだか、ものすごく久しぶりにお会いするような気がするんですけど。
気のせいかしら?」
唐突に、詩乃はそう言った。
えっ、そうかな?
きょうが月曜、前回会ったのが木曜だろ。ってことは……。
「4日しか経っていないと思うけど、詩乃くん」
「そうかしら。わたしが退場してから、優に半年以上が経っているような気がしてしょうがないの。
わたしはモブ先生とは別次元の、亜空間の住人なのかしら、もしかして。
わたしは乙姫、モブ先生は浦島太郎。
ほんの数日のつもりが、リアルにはその何十倍も経過していたりして……」
「何を言っているのか、さっぱり分からないな!」
「忘れられていたら困るので、改めて自己紹介します。
鬼ヶ島詩乃、高校2年、花の17歳です❤️」
「しなくていいって!!」
たしかにこの4日ほどであまりにいろいろな出来事があったので、前回詩乃とどういう話をしたのが、ろくに覚えていない僕ではあった(汗)。
でも、さすがにきみの名前くらいは覚えてるぞ!
「で、モブ先生、この4日間、どうなさっていたのかしら?」
そう言いながら詩乃は、椅子に座っている僕にすっと近寄り、顔を近づけて、なんと僕の着ているジャケットをクンクンと嗅ぎ始めたのだった。
「し、詩乃くん、いったい何を始めるんだ……」
あわてて僕がそう尋ねると、詩乃はすぐに僕から離れて、こう言った。
極めてクールに。
「先生の身体や服を、嗅いでいたんですよ。
ほかの女性の匂いがしないか、どうか。
どうやらこの4日間に、4、5人の若い女性の匂いがモブ先生には染み付いているようね」
うっ、それって図星じゃん。
たしかに僕は金曜に
「ど、どうしてそんなことが分かるんだよ?」
すると、詩乃はかすかな笑みを口元にたたえて、こう言った。
「もちろん、冗談よ。
ちょっと、鎌をかけてみただけ。
でも、これでバレてしまったわね、先生」
「えっ?」
「『どうして分かるんだ』なんて、なんの心当たりもないのに言うわけないんじゃない?
違います?」
しまった!
語るに落ちるとは、このことだ。
「あ、あぁ、そうだな……」
「かくしごとが、お下手ですね、先生。
フフフ」
僕は肩を大きく落とした。
「ひ、ひとつだけ釈明させてくれないか、詩乃くん。
そのうちのひとりは、もう一件、家庭教師を引き受けることになった子なんだ」
「ほぉ、そうですか。
では、その子はどんな感じの子なのかしら。
教えて欲しいわ」
詩乃はたちの悪い微笑みを浮かべたままである。
しまった、これまた自ら墓穴を掘ってしまったかも。
覆水、盆に返らず、である。
「そ、そうだな、わりと明るくて活発な感じで……」
「で、けっこう可愛い子なんでしょ?」
「う、ま、まぁ、そうだな……」
「それはほんとに、よかったですね。
教えるのがむくつけき男子生徒じゃ、モブ先生のやる気も全然起きないでしょうし。
おめでとうございます」
僕、完全にからかわれているな、3歳も年下の女子高校生に。
こりゃ落ち込むわ。
ズーンと沈んだ状態の僕に向かって、詩乃がポツリと言った。
「でも先生、そう言うウソのつけない真正直なところ、悪いことじゃないと思いますよ。
少なくとも、わたしにとっては。
モブ先生を、信頼に値いするひとだと思えるのですから」
詩乃からフォローの言葉を聞かされて、僕は少しだけ救われた気分になった。
だが、
「大事なことなので、とりあえず、メモしておきます。
モブ先生のまわりには、常に5、6人の女の影あり。
付き合っている女性はいないと本人は申告しているが、それは言い換えれば誰も本命とせず、全方位外交、ハーレム主義を
と言いながら、手元のメモ帳にペンを走らせる詩乃。
ナイスフォローも、台無しだ。
「そんな
僕があわてて制止しても、聞く耳なし。
捏造文書は完成してしまった。
が、書き終えると詩乃は顔を上げて、こう言った。
「ところでモブ先生、先ほどは果物をお土産でいただいたと母から聞きました。
ありがとうございます」
ん、まともな話に戻った?
「で、
ついに完結した『俺ガイル』こと『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』について語り明かしたい、そういうことですよね?
まるで一色いろはのような、あざとい笑みを浮かべる詩乃。
それは断じて違うぞ、詩乃。僕も「俺ガイル」は嫌いじゃないけど。(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます