#07 自助努力ノノスヽメ

僕の「ここ一年ほどはフリーだ」という言葉を聞き終えると、鬼ヶ島詩乃しのは、それまでのこわばった表情をやわらげ、唇のはしに微かな笑みを浮かべなからこう言った。


「ありがとう、モブさん。これで満足したわ」


詩乃のみょうにあっさりとした返事を聞いて、僕はいささか拍子抜けした気分になった。


「えっ、そんなんでいいの?


ふたりのなれ初めとか、進捗のぐあいとか、もっと根掘り葉掘り聞かれるものかと思ってた」


すると詩乃は、人差し指を左右にちらちらと振りながら、こう答えた。


「チッチッチッ。言ったでしょ、わたしはモブさんに彼女がいるかいないかはどうでもいいって。


あなたに個人的興味なんて、これっぽっちもないもの。


とにかくわたしはモブさんの基本情報を把握できれば、それで必要にして十分なんですから。


これで雑念に惑わされずに勉強に集中出来るわ。そういうことよ」


「さいですか……」


はぁ、そこまでストレートに言われると、返す言葉もないよな。


どのみち、この子に教え子として以上の特別な感情を抱くのはご法度はっとなんだから、彼女にどう思われていようといいっちゃいいんだが、なんだかへこむね、そこまであっさりと僕への興味を全否定されてしまうと。


そうやって僕がどこか割り切れないような、微妙な表情をしているのを見てのことだろうか、詩乃はこう言った。


「でも、そんなに聞いて欲しかったんだったら、聞いてあげたっていいのよ、モブさん?」


詩乃の顔には、薄笑いが浮かんでいる。


悪い表情かおだな、まったく。


「そりゃあ、わたしだっていまどきのJK、週刊誌的なゴシップにもまったく興味がないわけじゃないんですよ?


でも、いっぺんに全部聞いてしまうと、もったいないぐらいのじょうネタですよねー」


ネタ言うな、ひとのプライバシーだろが。


「連載マンガじゃないですが、おいしいネタは出来るだけ引っ張って使わないとね。


分かりました。モブさんの彼女ネタは今後、小出しに聞いていくことにします。


きょうはここまでにして、お楽しみは次回以降にまわしましょう」


次回のお楽しみ? マンガの「引き」かよ!


自分の恋愛事情をいっぺんに白状させられるのも精神的にしんどいが、かといって「小出し」に聞かれていくのも、それはそれでメンタルにじわじわと来るものがありそうだ。


結局、この話は今後も続くことになってしまったが、まあ、きょうのところはこれで終わりに出来そうだな。


僕は気持ちを入れ変えるように、明るい口調でこう切り出した。


「分かったよ、詩乃くん。さあ、これできみの気も済んだと思うので、本題に入らないか?」


「といいますと?」


詩乃は怪訝けげんな表情で尋ねてきた。


僕はこう答えた。


「これからどのようなやり方、どんなプログラムできみの勉強を教えていけばいいのか、相談をしたいんだが。


僕が勝手にひとりよがりなやり方でやるよりは、いいと思うんだがな」


それを聞くと、詩乃は少しの間沈黙していたが、ふいに口を開いてこう言った。


「モブさん、そもそもあなたがわたしに何かを教える必要って、あるんでしょうか。


ひとが何かを学ぶときに、だれかについて習わないといけないって、だれが決めたんでしょうか。


わたしは、学ぶにあたって、教えるひとがどうしても必要だとは思えないのです」


僕はその言葉を聞いて、少なからず当惑した。


彼女は、いまさら何を言い出したのだろう?


そんなことを言っても、僕は「次の家庭教師が必要です」という鬼ヶ島夫人の言葉があったからこそ、ここに来ている。


なのに、そんな風に教える相手の詩乃本人に言われてしまったら、僕の、いやこの鬼ヶ島家における家庭教師の存在意義はいったいどうなるんだ?


僕はその考えを口に出して、詩乃に問い返した。


彼女は視線を僕からそらせながら、こう答えた。


「そうですよね。その考え方、ごもっともだと思います。


わたしがこんなことを言えば、モブさんのお立場がないことは、わたしも重々じゅうじゅう承知しています。


でも、これからちょっと立ち入った話をしますので、聞いてください。


その上で、改めてわたしの考え方に反論してください」


そう言うと、詩乃は僕の顔を見つめた。


強い目線で、まっすぐに。 


そして言葉を選びながら、少しずつ話し始めた。


       ⌘ ⌘ ⌘


「わたしに家庭教師が必要だと言い出したのは、もちろんわたし自身ではなく、母でした。


母は、わたしとはいろんな意味で人生観の違うひとです。


わたしはこの男女平等が当たり前の現代に、男女別学なんて無意味だと思うのに対して、母は自分が中学から大学に至るまでずっと女子校にいたこともあって、共学というものをよく思っていないのです。


わたしは、ずっと母のその考え方に反発して来ました。


常日頃は心の中で、時にはあからさまに。


中学に入るときは、彼女がかつて通った女子校を受験するよう母に言われましたが、わたしは「都下にあって通学するには遠過ぎる」という理由で完全拒否しました。


この時は、父も「近場のほうが、詩乃の身体からだの負担にならなくていいだろう。まだ義務教育なんだし」と助け舟を出してくれましたので、なんとか収まりました。


結果、わたしは近所にある区立中学に通うことになりました。


ですが、その次の高校受験の時は、さすがに同じ理由で女子校の受験を逃れるわけにはいきませんでした。


わたしはいやいやながらも母の出身高校を受けたのですが、わざと試験を時間なかばで退席するようにして、未完成の答案しか出しませんでしたので、当然ですが不合格となりました。


母には、『頭痛がひどくて、医務室のお世話になっていた』などと言い訳をしました。


幸いなことに併願していた都立高校には無事合格したので、いまはそこに通っています。


都立だから、もちろん共学です。


共学校に通っていることを、もちろん母はいまだに快く思っていません。


母の思考回路は、こんな感じです。


『色気づき始めた十代半ばの男女をひとつところで勉強させると全員恋愛脳になり、ことに女子はファッションやメイクに血道を上げてギャル化し、ひいては不純異性交遊や援交などに走るようになる。


そうならないためにも、女子はすべからく女子校に入れるべし』


どうです、いかにも前時代的で短絡な発想でしょ? 笑っちゃうでしょ?


たしかに、その考え方があてはまるひとたちが一定数いるのも事実です。


別学校より共学校のほうが、明らかに恋愛が盛んだという事実も否定しません。


でも、真面目に勉強して、恋愛には慎重を期している生徒のほうが、リア充とか言って気ままに遊んでいる生徒よりはるかに多いのは間違いありません。


わたしはそれを実際に共学の高校に入って、実感しました。


母の考え方は、つまるところ偏見、無知ゆえの誤解なのだと思っています。


ですが、わたしも親に養ってもらっている身ですから、人生の先輩でもある母親の考え方を一刀両断には否定できません。


ある程度は従っているふりゝゝをせざるを得ないのです。


共学の高校に入学したわたしに家庭教師をつけるという母の提案も、父が肯定的に受け止めたため、結局は受け入れることになってしまいました。


父はこう言いました。


『学校とは別にマンツーマンで教育を受けられるなんて、お前は恵まれているんだぞ』


そういうことです。


母がわたしに家庭教師をつけたのは、わたしに名門女子大受験に有利な勉強をさせるためで間違いないと思います。


ですがその一方、わたしを学校からすぐに帰宅させて、同じ高校でボーイフレンドなどを作らせないようにするという狙いも実は大きいと思っています。


考えてみれば、家庭教師の大学生だって若い男性だから、接触させても絶対安全ってものでもないでしょうにね。


母は『超一流大生は、女性慣れしていないから安全』とか考えているみたいです。


考え方が甘いですよね、フフ」


詩乃はわけありげな笑みを浮かべた。どういう意味なんだろ?


それはともかく、これまでの詩乃の説明で、鬼ヶ島家の内部事情、母と娘の人生観のへだたりなどがだいぶん明らかにになった。


詩乃はこう続ける。


「ですからモブさん、わたしは家庭教師のかたに、特に期待しているものはないのです。


母は相変わらず、自分の母校である鬼百合おにゆり女子大に娘が入ることを切に願っているようですが、わたしは自分の力で入れるところならば、どこで学んでもいいのだと思っています。


それも、女子大ではなく共学の大学ところで学びたい。


それが、これから社会に出て、男性と互角に働こうとする女性としては、ごく普通で当たり前のコースだと思っているのです。


わたしは、世の中一般から隔離された、安全地帯に住みたいとは思わないのです」


雄弁に語る詩乃の目に、えらく熱い炎が宿っていた。


なにこれ、さっきまでのクールビューティ然とした彼女と同一人物?!


僕は目を疑った。


「わたしは大前提として、勉強はまず自分がひとりでやってみるべきものだと考えています。


なぜなら、勉強とは本来、やりたい仕事をやるため、自分が獲得したいポジションにつくために必要な手段であり、親とかそのたぐいの、自分以外のひとのためにやるものではありませんから。


ひとりで教科書を読んで学び、独力で問題を解く。


その上で、もしどうしても分からない、解けない問題にぶつかった時に初めて、先生と呼ぶべき人の力を借りたらいいのだと思っています。


そこに、家庭教師のかたの出番があるわけです。


わたしの家庭教師は、いつもはわたしの雑談の相手をしていただいて、必要のあるときだけ、わたしに教える仕事をしてくださればいいのです。


ほぼほぼJKと雑談するだけのお仕事ですよ。


楽勝でしょ?」


そのときの僕は、目が点になっていた(と思う、たぶん)。


いやいやいやそう言われましてもですよ、あなたが相手となれば、さっきの必殺技の応酬みたいな、いたって特殊な会話を毎回やらされるわけでしょ、おそらく。


一見ラクに見えてもそれが度重なると、苦行以外の何物でもないんじゃね?


普通に勉強を教えることの方が、個性的過ぎるJKとマンツーマンで厨二病な会話をするより、一万倍ラクに思えてきました。


一般的な常識とか価値観が、大きく揺らいできたぜ、マジな話。


とはいえ、「不退転の覚悟で臨みます」とわが三山指揮官に大見得を切った以上、いまさら退却するという選択肢は僕にはない。


いかなる困難も受け止めて、進軍せねばならぬ。


僕は意を決して、こう答えた。


「詩乃くん、きみは勉強とか進学、あるいは生き方について、僕が思っていた以上にしっかりとした考え方を持っていることはわかったよ。


決して、家庭教師の存在を軽くみているわけじゃないこともね。


きみの言うように、勉強というものは本来、自分がやりたいと思うからするものだと思う。


また、そういう姿勢でなくては、勉強で得た知識が実人生で生かされることはないだろう。


その姿勢は素晴らしいと思うが、もし自分の学びに限界を感じたときには、遠慮なく僕のことを活用してほしい。


これからしばらく、よろしくな。詩乃くん」


『なんか結構カッコいいこと言っちゃってるな、僕』と内心照れながらも、僕はクールに決めた。


いや、決めたつもりだった。


が次の瞬間、その自惚うぬぼれはこっぱみじんに打ち砕かれた。


「なにを言っているの、モブさん。


あなたは採用試験に合格しましたなんて、まだ言っちゃいないわ」


僕の耳には詩乃の冷ややかな返答が、こだまのようにむなしく響きわたったのだった。(続く)

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