第5羽 スティグマ
二度目ともなれば多少マシにはなるはず、というフェリシアの予想は脆くも崩れ去った。
軽いとはいえ3 kgはある短機関銃を抱えての飛行は身体に大きな負担を与え、慣れるかに思えた騒音はいつぞやの悪夢を想起させる。
端的に言えば、最初の実戦より辛い飛行となった。
「辛い…父さん…母さん…辛いよ…」
消え入るようなフェリシアの声を知ってか知らずか、ルドミラが振り返る。
「さて新入り、改めて私達の仕事を覚えてもらうわよ。あそこの砲兵陣地が見える?」
ルドミラが示す方向には、確かに敵の大砲のようなものが見えた。
「はい、見えます!」
「あれがあるとこっちの戦力がどんどん削られるから、見かけたら優先的に潰さないといけないの」
「…って事は、私達で潰すんですか?」
アイシャの無線機と自分の短機関銃を交互に見ながら、フェリシアが聞き返す。
「半分正解ね。実際に叩き潰すのは味方の砲兵隊よ」
そう言うとルドミラはアイシャから無線の送話器を受け取る。
「砲兵隊、こちら偵察隊。砲兵隊向けの目標を発見。座標21431419、観目方位角5750、どうぞ」
「砲兵隊了解。その声はルドミラだな?任せておきな、どうぞ」
ルドミラの報告に、意外にも気の良い返答が戻ってくる。
「砲兵さん達、意外とフレンドリーなんですね」
「まぁ、お互い長い付き合いだもの。信頼関係にあるって感じかしら」
フェリシアの素朴な疑問にルドミラは微笑む。
「中には全然信用なくて、何の為に飛んでるかわかんないやつもいるけどな」
「えぇ…」
アイシャの軽口にフェリシアが戸惑っていると、風切り音と共に目標の敵が消し飛んだ。
「すごい威力…」
「だろう?それは敵の砲兵も同じだから、しっかり潰さないといけないんだ」
「なるほど…」
アイシャの言葉に感心するフェリシア
「あら、あれは…」
ルドミラが後退して行く一輌の戦車に気付く。
「どうしたんですか?」
「見て、敵の指揮戦車よ」
件の車輌を示すルドミラ
「指揮戦車…ってなんです?」
「雑に言うなら指揮官が乗ってる戦車よ。あれを潰せば敵の連携を乱すことが出来るわ」
言いながら、ルドミラは対戦車手榴弾に手を伸ばす。
「へぇー…でも、なんでわかるんです?」
「アンテナが特徴的でしょ」
言われてみれば、他の車輌よりも立派なアンテナが備わっている。
「じゃあ砲兵さん達に…」
「相手は逃げ始めてるのよ?そんな時間はないわ!」
言うが早いか、ルドミラは対戦車手榴弾を構えて急降下する。
「え、ミルカさん!?」
「おー、ミルカの必殺急降下だ。よく見とけよ新入り」
慌てるフェリシアをよそに、アイシャは至って落ち着いている。
一方の敵はというと、ルドミラに気付いた周囲の歩兵が慌てて銃を構えようとしていた。
しかし引き金が引かれる前にルドミラは投擲を完了し、変則的な動きを混ぜた急上昇で華麗に離脱する。
そして指揮戦車戦闘室の天板に命中した対戦車手榴弾が炸裂し、車輌は完全に沈黙した。
「すごい…!」
「だろう?でも、本当は誰かの手助けがあった方がやりやすいんだよなー」
アイシャはにやけ顔でフェリシアを見つめる。
「ぜ、善処します…」
やや顔を痙攣らせ、フェリシアは頷いた。
「ふぅ、一丁上がりね」
そこにルドミラが戻ってくる。
「見事だったぜ、ミルカ。新入りもびっくりだ」
「あら、そう。なら次は援護してもらおうかしらね」
澄ました顔で言い放つルドミラに、フェリシアは苦笑いするしかなかった。
その後しばらく飛んだ三人は、バッテリーの消費を考慮して帰還を始める。
するとルドミラが視界の端で動く物に気付いた。
「新入り、ちょうどいいからあそこに溜まってる歩兵に向けてぶっ放してみなさい」
「えっ…あ、はい!」
突然の指示にフェリシアは慌てて短機関銃を向け、引き金を引く。
すると連射による強烈な反動がフェリシアを襲い、銃口が上下左右に暴れ出す。
「あわわわ…」
「引き金は数発ごとに離しなさい。その方が狙いが正確になるから」
いわゆるバースト射撃と呼ばれる撃ち方であるが、彼女達はそのような言葉を知らない。
「はい!」
改めて狙いを定め、発砲するフェリシア。
小気味よく響く銃声と共に、弾丸が空を切る。
「あっ…」
狙っていた敵兵の一人が倒れた。
自分が撃った銃弾の一発か二発が命中した気がした。
気のせいかもしれないし、他の誰かの弾に当たったのかもしれない。
しかし命中した気がするのだ。
自分が、確かに人を殺めてしまった感覚がするのだ。
フェリシアにはそう感じられてならなかった。
「どうしたの?弾詰まり?」
「い、いえ。当てたのかも…って」
「あぁ…」
事態を察したルドミラは一呼吸置き、言葉を続ける。
「その調子よ。何も考えず、狙って撃てば大丈夫」
「はい…」
「無理に撃つ必要は無いわ。新入りの仕事は私たちの仕事を覚える事なんだから」
「はい…」
口ではそう言ったものの、殺してしまったかもしれない兵士の姿がフェリシアの頭の中をぐるぐると回り続ける。
辛うじてルドミラ達の後に続く事は出来たが、二人の行動の意味を考える事はできなかった。
ルドミラが何か言った気もしたが、内容は入って来ない。
結局、その日フェリシアがそれ以上の発砲をする事はなかった。
「お疲れ、新入り。今日はどうだった?」
詰め所に帰還するなり、ルドミラが声をかける
「すみません、なんだか頭が働かなくって…でも撃ち方は覚えられたと思います、多分」
俯向きながら答えるフェリシアの肩をアイシャが叩く。
「まぁ気にすんな、新入りはみんな通る道だ。あぁいや、その前に逃げたり死んだりする奴もいたか」
「ちょっとアイシャ」
豪快と評すには少々デリカシーに欠けるアイシャに、ルドミラが目配せする。
「あー、気にすんなってのは、罪悪感とか持たなくていいって意味で…悪い、出来たら苦労しないよな」
「いえ、その…お気になさらず」
精一杯の笑顔を作るフェリシアだったが、無理をしているのは誰の目にも明らかだった。
「「「暖かな追い風を」」」
未帰還者の確認とパックの再編が終わり、帰路に着く有翼の少女達。
言葉少なにフェリシア達が飛んでいると、眼下で見知った顔の少女が軍服を着た男に言い寄られている。
確か名前は…と思ったものの、今のフェリシアには思い出せなかった。
「ちょっと、やめてください!」
「いいじゃねぇかよ…どうせもう経験はあるんだろう?」
少女の腕を強引に掴む男。
「ミルカさん、あれ…!」
フェリシアは思わずルドミラに呼びかける。
「そうね…ちょっとアンタ!」
声を上げながら着地するルドミラに、男は顔だけ向ける。
そこにフェリシアとアイシャも続いて着地する。
「ちっ、3人もいやがるか…」
不利を悟った男が表情を険しくする。
「離して…!」
好機と見た少女が掴まれたままの腕を振り払おうとする。
「ふん、ほらよ!」
その腕を放すと同時に、男は少女を蹴り飛ばした。
「きゃあ!?」
地面に叩きつけられる少女。
その翼はあらぬ方向へとへし折れ、骨が皮膚を突き破って飛び出し、血飛沫が舞う。
「なんてことを…」
思わず言葉が口から溢れるルドミラ。
アイシャは顔を険しくして黙っている。
「はん!じゃあな、有翼病。『後方』の連中によろしく伝えてくれ」
吐き捨てて去ろうとする男に、フェリシアが一歩踏み出す。
「ま、待ちなさい!」
「あん?」
振り返った男はフェリシアの頭の先から爪先までまじまじと眺め…
「ぷっ、ははっ…」
吹き出すと共に、いやらしい笑顔を見せる。
「なにがおかしいんですか!」
憤るフェリシア。
「ははっ…傑作だが、俺はガキの相手はしない主義なんだ。あばよ」
「待ちなさい!あなたを憲兵に突き出して…」
立ち去ろうする男にフェリシアは続けるが、男は振り返る事もなく去ろうとする。
憤りのあまり行って掴みかかろうとするフェリシアの肩に、そっとルドミラの手が乗せられる。
「ミルカさん?なんで黙ってるんですか!それにアイシャさんも、なんで…!」
「やめなさい、新入り。憲兵は私達の味方をしないわ」
俯向けた首を横に降るルドミラに、フェリシアの怒りが矛先を向ける。
「そんなはずありません!あんな事、許されるわけがないです!あんな、あんな…!」
翼の折れた少女に目を向けるフェリシア。
すると、いつのまにか少女に歩み寄っていたアイシャが目に入り、続けようとした言葉が掻き消えた。
「痛むか?」
膝をつき、尋ねるアイシャ。
「折れたトコは麻痺してるけど、周りは痛い…」
「そうか、わかった」
そう言って立ち上がると、アイシャはフェリシアに向き直る。
「新入り、こいつを病院まで運ぶのを手伝ってくれ。今のお前から目を離したら、何するかわかったもんじゃないからな」
「そ、そんなのミルカさんにやらせれば…」
反抗心から口ごたえをするも、次第に声が小さくなるフェリシア。
「ミルカには先に行って予約を取ってもらう。アタシらは急患扱いにならないからな」
「…」
「病院の場所、知らないだろ?」
「…はい」
「頼めるな、ミルカ?」
「もちろん」
かくしてルドミラは飛び、残された二人は少女を病院へと担ぎ込んだ。
数分後。
「容態は、どうなんですか…?」
受付で待たされていたフェリシアが、治療室から戻ってきたアイシャに問う。
「…来な。アタシもまだ聞いてない」
軍服を少女の血で汚しているせいか、それとも怒りを堪えているのか、アイシャの声は低く響いて聞こえた。
二人が病室を訪れると、ルドミラに付き添われた少女が椅子に座っていた。
その翼は折れた先が無くなっており、傷口には包帯が簡単に巻かれている。
「運んでくれありがとう、お二人さん。特にそっちの…フェリシアだっけ?怒ってくれてありがとうね、嬉しかったよ」
「いえ、そんな…私は何もできなくて…ごめんなさい」
いたたまれたさに謝罪するフェリシアに、少女は続ける。
「謝る必要なんてないわ。私が不用心に一人で歩いてたのが悪かったの。さっさと飛んで帰るべきだったわ」
「でも…」
何か言おうとするフェリシアを少女は手で制する。
「あーあ、これで二度と飛べないわね。おかげで後方任務が待ってるわ」
せいせいしたとばかりに放たれたその言葉に、ルドミラとアイシャの顔が険しくなる。
しかし、フェリシアはそれに気付かなかった。
「後方任務…って事は、多分安全なんですよね?それは…その、よかったです」
一瞬顔を硬直させる少女だが、頭を抱えるルドミラと表情の消えたアイシャを見て、察したように笑みを浮かべる。
「そうね…よかったわ」
それっきり、少女は何も言わなかった。
「新入り、ちょっと来い」
病室を出るなり、アイシャが言った。
「はい…?」
それに従って病院の裏手に回ると、途端にアイシャがフェリシアに掴みかかる。
「このバカ!後方任務ってのはな!表向きは労働って事になってるが、実際は男連中の慰み者になることなんだよ!」
「えっ…そんな…私そんなこと知ら…」
(慰み者ってなに…?とりあえず良いものではないよね)
知らない言葉で怒りをぶつけられ、フェリシアの頭は混乱する。
「そうだろうな。知ってて言ったなら、この場で絞め殺してるぞ」
尋常ならざる剣幕のアイシャに迫られ、フェリシアは思わず助けを求めてルドミラを見る。
「…アイシャ、ストップ。一度私に説明の時間を頂戴」
「…あぁ」
アイシャに胸倉を掴まれたままのフェリシアに、ルドミラは『慰み者』のなんたるかを淡々と説明する。
それは男女の営みなどまるで知らないフェリシアにはあまりに残酷で、醜い内容だった。
「そんな…そんなこと…知らない…。私、なんてことを…」
膝から崩れ落ちそうになるフェリシアだったが、アイシャに胸倉を掴まれたままなので宙吊りに近い形となる。
「うぇっ…くるし…」
「あ…悪い」
思わずアイシャが手を離すと、フェリシアは今度こそ地面に崩れ落ちた。
「アイシャ、落ち着いた?」
「ああ…悪かったな、新入り。ちょっと頭に血が上っちまって…」
「…」
落ち着きを取り戻したアイシャが謝罪するが、フェリシアは答えない。
「新入り…なぁ、あの…」
続けようとするアイシャをルドミラが制する。
「帰りましょう、新入り。今日は色んなことがあって疲れてるはずよ。さぁ、立って」
ルドミラの言葉に、フェリシアは無言で頷き立ち上がる。
その顔は俯いたままだった。
三人が宿舎に戻ると日はすっかり沈んでいた。
「新入り、食欲はある?」
「…いえ」
ルドミラの問いに淡々と答えるフェリシア。
アイシャはそれを気まずそうに見ている。
「そう…でも、何か口に入れないと保たないわ」
「…手を洗いたいです」
「今は辞めておきなさい。皮が剥けるまで洗う羽目になるわよ」
「…」
ルドミラの忠告を素直に受け入れ、食堂へと向かうフェリシア。
その後の食事は砂の味がした。
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