第5話 門番は天職であります
「かなり前の話だと記憶しておりますが、犬を用いた違法薬物検査を行う計画がある、と聞いた事があります。しかしながら、その後の音沙汰が一切ありませんが?」
「ああ。確かにその様な計画があると耳にしている。犬に薬物の匂いを覚えさせ取締りを行う計画だ。が、貴様も周知の通り難航しているようだ。過去にノウハウがない計画だからな、何をどうすれば良いか? という所からスタートしている。どうしたって時間は掛かるだろう。それと検挙すべき薬物の増加も原因の一つだ。一つ覚えさせる間に二つ三つと増える。これでは到底追い付かないというのは、誰の目にも明らかだな。で、それを……ベールの至宝で行うと?」
「は、バルマーウルフは高い知能を持ち、嗅覚も優れています。犬よりも遥かに有用です」
「…………」
リッシュは無言でタバコの火を消し、吸い殻をポイ、と灰皿に放る。
「先月、帝都における薬物絡みの検挙者数は、二百人を越えると聞きました。薬物使用者の検挙は勿論、薬物を買う金欲しさの強盗や窃盗、また、それらが殺人にまで発展したケースもあるとか。売人はシマ争いに
「待て待て……」
「いえ、待てません。もはや一刻の猶予もない状況だと理解しております。このままでは栄光ある我らが帝国が、薬物に汚染され犯罪が
「待てと言っている!」
リッシュはバンッ、とテーブルを叩きながら怒鳴る。
「いくら社会の役に立つ事だと言ってもだ、ベールが素直にはい、分かりました、とバルマーウルフをこちらに渡すとは考えにくい。それ程ベールはバルマーウルフの流出に神経を尖らせている。いかに外務省と言えども……」
「そこは是非、外務
「はぁぁぁぁぁ……」とリッシュは深い深いため息をつき、恨めしそうにアステルを睨む。
(言いたい事だけ言って、肝心な所は上に丸投げではないか……)
リッシュの恨み節も理解出来るが、アステルの立場で出来ることは提案しかない。そこから先は上の人間に動いてもらうしかないのだ。そしてアステル自身もそれを良く理解しており、
「貴様、さっさと上に
「は?」
「つい先日も軍部の人間が貴様の話を聞きに来た」
「左様ですか」
「とぼけるな。貴様の所にも訪ねて来たはずだ。人手不足だと言っていただろう? 指揮官が足りないそうだ。特に南方の対亜人戦線は、随分と横に伸びてしまったようだしな。連中は準将軍どころか将軍のイスまで用意出来ると言っていた。そもそも、貴様程のキャリアと実績があれば、とっくに上の役職に就いていてもおかしくない。何なら今私が座っているこのイスだって、本来なら貴様が座っているはずのものだ。貴様が
「恐れながら、門番は私の天職であると心得ております」
うなだれるリッシュ。下を向いたまま話す。
「ならば私は延々と、貴様の無茶な提案を聞き続けなければならんな」
「は、閣下とは
平然と
(こいつ、よくもぬけぬけと……)
沸き上がる怒りは呆れに変わり、とうとうリッシュは諦めた。いつもの事だ、そう自分に言い聞かせる。そしてタバコに火を点け、ふぅぅぅ、と気を落ち着かせるようにゆっくりと煙を吐き、観念したかのように話し出す。
「……
「……何でしょう?」
「……」
その先の言葉がなかなか出てこない。諦めたとは言え、リッシュの中の苦々しい苛立ちが消える訳ではない。リッシュはその先の言葉を絞り出すかのように声にする。
「上を……説得するにはまだ弱い……他に何か良い材料はないか?」
話終えるのと同時に、リッシュは敗北感に包まれた。またしてもこの男の思うように動かなければならないのか、と。反面アステルは余裕である。当然リッシュの言う良い材料も用意してある。
「そうですな……では、調教済みのバルマーウルフを他国に販売する、というのはいかがでしょう?」
「……詳しく」
「は。バルマーウルフを薬物検査に活用するという案は、どの国においても盲点でありましょう。他国に先駆け我ら帝国がこのノウハウを身に付け、
同時に帝国は違法薬物撲滅に本気で動き出した、と内外に向けアピール出来ます。さすれば帝国の威光は更に輝きを増し、多くの国や地域を照らし出す事でしょう」
タバコを
「貴様、政治家でも目指した方が良いのではないか? その気があるのならば後押しするぞ」
「は、閣下にそこまで言って頂けるとは大変光栄なお話ではありますが、先程も申し上げました通り私の天職は門番で……」
「分かった分かった、
せめてもの抵抗。そのつもりでリッシュが放った皮肉も、アステルは平然と受け流す。
「理解しているとは思うが、私に出来るのは上に話を持って行く事だけだ。そこから先はどうなるか分からん、過度な期待はするな」
「は、ありがとうございます」
「他になければもう行け」
リッシュは灰皿にタバコの火を押し消しながら、ようやく終わった、とホッとしていた。
「は、閣下、実はもう一つ……」
「まだ何かあるのか!?」
もう勘弁しろ、と
「バルマーウルフの生態に詳しい者を、我が隊へ派遣して頂きたいのです。現状落ち着いているとは言え、今後どうなるか分かりません。調子を崩し死んでしまうような事があれば、元も子もありませんゆえ……」
「ああ、確かにそうだな。では……不本意ではあるが研究所に声を掛けておく」
「閣下、出来ればまともな者を……」
「ハッ、あそこにまともな者などいるとは思えんがな。まぁいい、早急に専門家を手配させる。まともな者をな。しばし待っていろ」
「は、ありがとうございます。それでは失礼致します」
スッと立ち上がり、ビッと敬礼し、アステルは部屋を出る。一人残ったリッシュはソファーの背にもたれ、上を向き目を閉じる。
「はぁぁ……」
自然とため息が漏れる。スッと前を向き目を開ける。
(仕方がない、行くか……)
リッシュはソファーから立ち上がろうとする。が、どうにも腰が重い。いや、重いのは心の方か。立ち上がる事が出来ない。
(……もう一本吸ってから行くか)
リッシュは再びタバコに火を点ける。
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