第6話 魔女と魔道具

 わっ、魔女だ、と思った。

 謎めいた笑みを浮かべる目の前の女性は、どこからどう見ても完璧に魔女だった。

 いかにも魔女でございますと言わんばかりの黒いローブにとんがり帽子は言うに及ばず、恐ろしく整った顔立ちに銀髪のショートボブ、カラーコンタクトを入れたかのような銀色の眼と全ての要素が揃っている。めちゃくちゃ出来が良いコスプレイヤーみたいだ。アニメから抜け出してきたのかな?

 彼女は俺と粕谷かすがやを交互に見つめて、おかしそうに笑った。


「ずいぶん可愛らしいのを連れてきたじゃないか、蛇一」


 可愛らしい……だと?

 この人、見た目は20代くらいにしか見えないけど、ひょっとして実年齢はかなり上なのだろうか。


「はあ……ところで所長」


 蛇一の兄貴が少し困惑したような声で言った。


「その格好はなんですか」


 魔女は、きょとんとした顔をした。


「なにって……魔女のコスプレだが?」

「ああすみません、言葉が足りなかったかな。どうしてそんな格好をしているのか、って質問です」

「そりゃお前、魔女がいかにも魔女っぽい格好をしてたら面白いじゃろ?」

「なるほど……」


 苦笑いを浮かべる蛇一の兄貴を面白そうに見ながら、魔女は机から下りてローブと帽子を脱いでしまった。

 ローブの下から現れたのは、ごく普通の服だった。

 いや、普通の服というか……スウェットとハーフパンツだった。

 完全に部屋着じゃねえか。


「あー尻が痛い。いつ来るかわからんからずっと机に座って待ってたんだぞ」

「先に言っておいてくれれば、直前に連絡したんですが」

「それじゃお前の驚いた顔が拝めないじゃないか。あたしはサプライズを好むのだ」


 さっきまでの神秘的な雰囲気をぶち壊しにしながら、魔女……いやもうこれは魔女じゃねえな。星野スターフィールドさんは、事務机の椅子にギイッと腰掛けた。

 ていうかなんなのその名前。絶対偽名だろ。

 隣の粕谷を見ると、めちゃくちゃ残念そうな顔をしていた。多分俺も同じ顔をしているのだろう。


「まあ立ち話もなんだから、そこのソファにでも座りたまえ」


 その言葉に従って、俺たちは事務机の目の前にある飴色のソファに並んで座った。

 てっきり星野さんも向かいのソファに来るのかと思ったのだが、彼女は事務机にひじをついたまま話し始めた。


「君たち、昨日は異界に行ったんだって? 貴重な経験をしたねえ」

「はあ」

「蛇一からある程度は聞いてるけど、君たちの口からどんな感じだったか教えてくれないかな」

「はあ」


 俺たちは、昨日起こったことを思い出しながら話した。

 まあ俺たちというか、ほとんど俺だけが話していたんだけど。

 粕谷はさっきのがっかり魔女ショックをまだ引きずっているのか、心底やる気なさそうにスマホをいじっていた。ホント無礼な奴だなこいつ。


「……とまあ、そんな感じです」

「ふーん、なるほどね。それで今日になったら、異界のモノたちがこの世界に重なって見えるようになっちゃったという訳だ。君たちはその解決を求めているんだね?」

「そうですね……俺は音さえ聞こえなきゃいいんですけど」


 言っていて気付いたが、これ粕谷は別に困ってねえな今。恐らく俺と一緒にいる時以外は異界の変なものはほとんど見えないだろうし。お目当ての魔女が残念な感じだったのだから、粕谷が今ここにいる理由はなくなってしまった訳だ。退屈そうにしているのも無理はない。ちょっと不憫ふびんになってきた。


「いいだろう。うちの蛇一の不手際で君たちを危険に晒してしまったのだから、お詫びをしよう思っていたところだ。このあたしが直々に魔道具を作ってあげるよ」


 魔道具、という言葉に粕谷がネコみたいに反応した。


「えっ、えっ、なんすか魔道具って。魔法とか使うんすか」

「魔法? ……まあ、そうだなあ。そうかなあ。とりあえず君たちの属性に対応するようなものを作ろうと思うんだけどね」

「属性!? 火とか水とか!?」


 粕谷、急に元気になりすぎ。

 星野さんも若干引いてるじゃねーか。


「……ふむ、それじゃあまずは君たちの属性……というか特性について話しておこうかな。えーと、そうだな……君たちはFFTっていうゲームやったことある?」

「えふえふ……? オレ、ゲームあんまやらないから分かんないっすねー」

「あ、俺やったことあります。スマホ版ですけど。確か昔のゲームですよね」

「あー友紀レトロゲーとか好きだもんな」


 別に好んでレトロゲーをやっている訳ではないが……。

 暇つぶしに何かゲームをやろうと思った時、とりあえずネットで評判のいいものを探していたら、自然とレトロゲーばかりやるようになっていたというだけだ。最新のゲームより安いことが多いし、何より面白さが保証されているのがいい。

 ゲームの中では冒険に出るが、現実では冒険とかしたくない。現代っ子は約束された勝利だけが欲しいのだ。


「レトロゲー、か……そうか……もうそんな時代なのかー……」


 星野さんはどこか遠い目をしていた。

 まさかあのゲームを現役でやっていたんじゃ……というかあれ20年以上前に発売したゲームじゃなかったっけ?


「……まあレトロかどうかは置いといて。えー、FFTにはFaith(信仰心)というパラメータがある。この数値が高いほど使う魔法と受ける魔法の両方の効果が上がる。敵にたくさんダメージを与えられるが、逆に自分も大きなダメージを受けてしまう。しかし受ける回復魔法の効果も高い。この数値が低いとその逆となるわけだ」


 あー、そういえばそんなのもあった気がする。確かFaithが高すぎると勝手に仲間から離脱するんだっけ。俺は適当にプレイしてたから気にしたことないけど。


「黒髪の方は得間うるまだったか。君はこのFaithが異様に高い。魔法を異象と置き換えて考えてもらえば分かりやすいが、お前は異象への干渉力がやたらと強い代わりに、その影響をモロに受ける。早い話、仮に異界のモノから悪意ある攻撃を受ければ即死する感じだな。君、よく今まで無事に生きてこられたなあ。わはは」


 わははじゃねーよ。即死ってなんだよ。怖すぎるだろ。

 え、もしかして今まで普通に生きてこれたのって、実はめちゃくちゃ運が良かったってことなのか?

 昨日、蛇一の兄貴からも似たような話を聞いたけれど、まさかそこまでピーキーな状態だったとは……うわーやべえ鳥肌立ってきた……。


「そして金髪の方は粕谷か。君はFaithゼロだ。労働八号だな。ひたすら敵を圧縮し続けて反動ダメージを受け続けて回復魔法も効かずにそのうち死ぬ」

「えっ、オレ死ぬんすか!?」

「人は誰だっていずれは死ぬのだよ……まあそれは君の特性とは全く関係ないが」

「関係ないんすか!?」

「君はね、本来なら異象とは無縁の人間だ。今この事務所に君がいるという事実が、まずあり得ないことなんだよ」

「あり得ないって言われても普通にいるしなあ……」

「だがそれこそが、君たちの特筆すべき特性と言える。得間、例えるなら君のFaithは100だ。あたしは今までそんな人間を見たことがない。なぜなら、そんな奴は真っ先に異象に巻き込まれて神隠しに遭うからだ。だが君は五体満足で正常な精神を保ったままここにいる。これがどういうことか分かるかい?」


 わからん。

 この人が何を言いたいのかさっぱりわからん。


「そして粕谷、日本人は比較的異象への親和性が低い方だが、君みたいにそれが全くのゼロというのは、やはり見たことがない。仮にそういう人間が存在するとしても、魔女あたしはそいつを知覚することができないだろう。だがあたしと君は今こうして会話をしている」

「うーん……ちょっとなに言ってんのかよくわかんないっすね」


 困惑する俺たちの顔を交互に見て、星野さんは満足気にふふんと笑った。


「つまり、君たちは矛盾しているんだよ。相反する性質を同時に内包している。異象への強い干渉力を持ちながら、その影響をある程度防御できる得間。そして異象の影響を一切受け付けない鉄壁の防御を持ちながら、異象を観測し、更には異界に転移できるほどの干渉力を持ち得る粕谷。……ふふふ、こんな興味深いサンプル、絶対に手放さないぞ……」


 あ、なんか急激に身の危険を感じる。

 あれは俺たちをモルモット的なものとしか見ていない目だ。帰ろっと。


「……まあ冗談はこれくらいにして」

「嘘だ! 全然冗談っぽくなかった!」


 珍しく粕谷が逃げ腰でツッコミを入れていた。

 お前も感じたか、あのヤバい瞳の輝きを……。


「粕谷はともかく、得間は必要だろう? わずらわしい異界の喧騒を遮る道具が」

「う……それはまあ、そうっすね」


 中腰で逃げ出そうとしていた俺は、その言葉で今日ここに来た理由を思い出した。

 異界の喧騒。

 数年ぶりに感じるその騒々しさは、やはり精神をむしばむ毒だった。

 俺はかつて、徐々に大きくなるあの喧騒と、それを信じてくれない周りの大人や友人に対する絶望に耐えきれず、自ら命を断つ寸前まで追い詰められたことがある。

 当時、一体どうやってあの状態から脱したのか記憶が定かでないが、とにかくそれ以来俺は他人と接することを極端に避けるようになった。歳を重ねるにつれて、おかしかったのは世界ではなく俺の頭の方だったと気付いたからだ。

 時折見える得体のしれない何かについて、誰かに話すこともなくなった。

 誰にも言わなければ、俺の頭の中で完結しているならば、それは存在しないのと同じことだから。

 しかし、大学に入り、粕谷と出会ってから、少しずつ何かが変わっていくような予感がしていた。蛇一の兄貴の話を聞いて、ひょっとして俺はおかしくないんじゃないかと思い始めていた。

 ……まあ、その粕谷のせいで異界に飛ばされて、再びあの喧騒に苛まれる羽目になったんだけど。

 とにかく俺は、もうあの頃には戻りたくない。

 俺には今、目の前で不敵に微笑む自称魔女の力が必要だった。


「……お願いします。その魔道具とやらを作ってください。あんまり金は持ってないっすけど……粕谷の実家が太いんでそっちから引っ張って貰えば結構いけるかと」

「おい友紀ィ!?」

「仲がいいなぁ、君たちは。見ていて心が安らぐよ」


 星野さんはおばあちゃんみたいなことを言いながら微笑んだ。


「しかしまあ、対価としての金品は必要ない。代わりに少しだけあたしたちの仕事を手伝ってもらいたいんだけど、どうかな?」

「仕事っすか……内容にもよりますけど……」

「心配しなくても、危険な仕事じゃない。異象に関するちょっとした調査をしてもらいたいだけだよ」

「危険じゃないなら、まあ」

「よし、交渉成立だね。じゃあとりあえず、道具を作るための素材として君たちの髪の毛を少し提供してもらおうかな」

「髪の毛っすか」


 髪の毛を使うなんて、いかにも呪術っぽい。

 俺は髪に手ぐしを入れて、くっついてきた数本の毛を星野さんに渡した。

 星野さんはそれを受け取ると、粕谷の方にも手を差し出した。

 粕谷は、「え、オレも?」という顔をしてからおもむろに自分の髪を掴み……


「いって!」


 ご自慢の金髪を2、3本まとめて引っこ抜いていた。


「粕谷……人の髪は一日100本くらいは抜けるらしいから、こう、適当に手でいてやれば1本くらいは取れると思うぞ……」

「そういうことは先に言って!?」


 涙目の粕谷から髪の毛を受け取ると、星野さんはテキパキと準備を始めた。

 机の上に並べられるビーカー、アルコールランプ、天秤、乳鉢……どれもが懐かしい。小学校か中学校の理科の実験で扱って以来、目にすることもなかったものだ。

 星野さんは後ろの棚から様々な薬品らしきものを取り出して、液体をビーカーに注いだり、粉を計って加えたりしていく。その様子はどこか料理にも似ていて、見ていると不思議とワクワクしてくる。

 アルコールランプで加熱している2つのビーカーにそれぞれ俺と粕谷の髪の毛が入れられると、シュワシュワと細かい泡を立てた。

 と、そこで星野さんはしまったというような顔をした。


「あー、君たち。ネックレスと指輪、どっちがいい? 悪いがこれしか見当たらなくてね、現品限りだ。どっちか選んでくれたまえ」


 彼女が両手に持って見せたのは、何の変哲もない銀色の指輪とネックレスだった。これといった装飾もなく、どこかくすんで見える。


「はいはい! オレ、ネックレスがいい!」


 粕谷が元気よく言うと、星野さんは俺にそれでいいか、という視線を向けてきたので、俺は黙って頷いた。

 正直、効果さえあればどっちでもいい。


「粕谷、お前なんでネックレスがいいの? あんまり似合わなそうだけど」

「いやーなんかさー、飲み会とかで指輪してると、微妙にウケが悪い感じがするんだよね。それ誰に貰ったの、みたいな。ネックレスなら服の下に隠せるじゃん」

「へえ、そんなもんか」


 飲み会とか合コンを前提にして考えるのはいかにもこいつらしいけど、俺と違って粕谷はその魔道具を常に身につけている必要はないと思うんだが。

 というか、こいつの場合どういう効果になるんだ? 俺の逆? だとすると、異象を敏感に感じ取れるようになるとか? そんなもん必要か?


 星野さんはネックレスと指輪をそれぞれのビーカーに入れて、更に何種類かの薬を追加しつつ、ぐるぐるとかき混ぜていた。

 派手な煙が上がったり、液体の色が目まぐるしく変化したりすることもないまま、いつの間にか液体が全て蒸発していたビーカーの中からそれぞれのアクセサリをガラスの棒で取り出して、彼女はそれらを白い紙の上に置いた。


「あれっ、もう終わりっすか? なんか呪文とか……そういうのは?」


 拍子抜けしたような粕谷の声を聞いて、星野さんは笑った。


「呪文かあ。まあ南米やアイルランドあたりの魔女はそういうのが得意だけどねえ、アジアの方じゃ調剤系が主流なのさ。ご期待に添えず申し訳ないね」

「……え、魔女って世界中にいるんですか?」


 俺は思わず聞いてしまった。


「いるよー。異象が日本だけで起こっていると思った? 世界まるごと、別の次元の世界と重なっているんだから、当然世界中にあたしたちみたいな組織があるのさ」

「マジすか……」


 言われてみれば確かに、異象が日本だけで起こるとは限らない。

 しかしそうなると、この世界は思っていた以上に非常識な……普通ではないことをたくさん隠していて、それをほとんどの人は知らないまま過ごしているのか……。


「そろそろ熱も取れたかな、ほい」


 ポイッと無造作に投げ渡された指輪を慌ててキャッチすると、ほんのりと温もりが残っていた。

 最初に見せられた時と比べて、見た目の変化はない。しかしなんとなく、鈍い銀色の光を反射するその指輪が、どこか柔らかさを感じさせるような気がした。


「どうかな、効果は」

「効果と言われても……」


 この事務所に来てからも聞こえ続けている異界のざわめき自体は変わっていない。

 しかし、ふと、俺は自分がそのざわめきを不快に思っていないことに気付いた。

 これまで感じていた精神を逆撫でするような不快感や異物感は感じられず、ただの風の音や人々の足音、街頭のスピーカーから流れるBGMのように、それを当たり前と思っている自分がいた。


「これは……音を聞こえなくするんじゃなくて、感じ方を変化させるもの、ですか」

「その通り。君の特性を殺してしまうのはもったいないからね。異象に対する感受性を鈍くするのではなく、少しだけ角度を変える。それこそが融和の魔法なのさ」


 彼女の言葉を理解した瞬間、鳥肌が立った。

 素直にすごいと思った。

 この人は間違いなく魔女だ。俺の中の異象に対する不快感を的確にらし、最も穏やかな方法で解決に導いた。人間わざではない、と思った。

 はっと気付いて隣を見ると、粕谷はネックレスを手に持ったまま、ぼんやりと中空を見上げていた。


「すごい……」


 ポツリと呟くその横顔は、昨日異界で不吉な赤い空を見上げていたあの時の表情に似ていて、俺は少しだけ不安になった。


「おい、大丈夫か?」

「ああ友紀……いやーお前、こんな風に見えてたんだなあ。こんなに鮮やかで、形が全部はっきりしてて……なんていうか、すごい……きれいだわ」

「星野さん、ヤバいっすよ。なんかこいつ酔ってますよ」

「いや酔ってねーし! 酔ったことねーし!」


 俺たちのやり取りを生暖かい眼差しで見守りながら、星野さんは口を開いた。


「粕谷、君は今まで世界にピントが合わないような感じがしていただろう」


 その言葉を聞いて、粕谷はパッと顔を輝かせた。


「そう、そうなんすよ! まさにそんな感じ! どっかぼやけてるっつーか! それがなんか急になくなったんすよ!」

「君は異象から断絶されているような存在だ。故に、異象とは切っても切り離せないこの世のことわりの一部すら拒絶してしまう。君の耳には世人の言葉は虚ろに響いて、心を通わせることも難しかっただろう」

「難しいことはよくわかんねーっすけど……まあ、退屈だなとは思ってたっすね」

「その魔道具は、君の生まれ持った壁に穴をあけるようなものではない。ただその先にあるものを透かして見せるだけだ。それでも、少しの希望にはなるだろうさ」


 星野さんと粕谷の会話を聞きながら、俺は不思議な気持ちになっていた。

 当然のことだけど、あのアホの粕谷にも人生があって、それが続いた先端に、俺は関わっているのだ。

 あいつがバカなのも、無節操なのも、恐らく理由があってのことだ。

 いつかそれをきちんと理解する日が来るのだろうか。


 ……いや、まあ、それを知ったところで、あいつがバカなのは変わらないけどさ。

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