第11話 若いとは実にいいものだ
「まあお主は気付いていると思うが、代替わりということは、先代が消滅することでもある」
え、とサボンは息を呑み、アリカを見る。だが当の本人は平然とした顔をしていた。
「『アレ』が移動するのだから仕方が無い。カヤに代わる時にしても、確かあれは大武芸大会の観衆の目前だったからな。何というか、カヤは皇帝にならざるを得なかったというかならされたというか……」
「そうですね……」
「その辺りは聞いたか?」
「気付いたら先帝陛下は居なくなっており、皆が自分を皇帝と呼び出したので混乱したそうですね」
「まあそうだろう。親であることは判っていたとしても、継承はそれとは違う。カヤはしばらく固辞しただろうが…… 無理なことは奴も判っていたろう」
茶をくれ、とダリヤはサボンに頼む。はい、と慌ててサボンは杯に注ぐ。
「ああ、たっぷりでいいぞ。何度も其方に汲ませても何だしな。むしろ聞ける話は聞いておけ。其方はずっとこの皇后と一緒に居るつもりなのだろう?」
「あ、はい!」
「だったら色々知っておいた方がいい」
近くの椅子を指されたので、サボンもそこに座る。
「それで祖后様」
「面倒だから名で呼ぶがいい。私も其方等はアリカ、サボンと呼ぼう。そもそも私にはこの宮中は向いていない」
「どちらから」
「少し前まで、草原の砂漠近くまで足を伸ばしていた。少し心配していたのだが、砂漠が広がる様子はなさげだった。正確な地図があるとありがたいのだが、まだ作る気はないのか?」
「……ああ、それは私も気付いておりました。ともかく書庫を漁っても、距離感がいい加減なものばかりで」
ああ、あの苛立っていたことか、とサボンは思う。ともかく書庫にある地図を眺めて「おとぎ話の様なものばかりだ」とつぶやいていたことを思い出す。
「測量技術が伴わないからだろう。其方そろそろ命じて版図全土の測量させる気はないか? カヤはまずやらないと思うぞ」
「私の自由に、と仰有ってましたので、そのうちに。ですがまだ、私のとった一つの行動がどの様に周囲に作用するのか判らなかったので、小さなことから始めてみました」
「少しとはいえ、衣食住は何より民の一番の関心事だ。その一旦から手をつけるということは良いことだろうな。これで突然軍管区の改革とか言い出したら反発も来るだろうが、女子供の手作業が一つ増えただけだ、と思うくらいだろうからな」
「はい。ですがやはり、それなりに効果は出ております」
「ほぅ、例えば」
「少しずつですが、毛織物を作る際に作る糸の中から、糸だけの需要が増えつつある模様で。それと海に面した地方の海藻の出荷が少し上がっております」
「糸の動きは産業構造を変える可能性があるから気をつけた方がいい。だが確かに、私が通ってきた辺りでも、鉤のついた長い棒を売っている市を時々見かけたぞ」
「それは良かった! 材質は如何でしたか?」
「地方によるな。太い竹が生える場所では最もそれが楽だろう。菜箸を出荷する辺りが要請されて作っている所もありそうだ。だが北の方ではそうも行かないから、金属のものになりやすいな」
「糸は北の方が出やすいと思われますが」
「だからそこは商人の出番だな。あとは価格を酷く釣り上げなければいいのだが」
「そこは市場に任せましょう。とりあえず織機が無い家庭でも何かしら作ることができる様になったらいい、と私は思ったので。一応今までの過程で技術方にも渡りはつけましたので、使える人材が居ないかと」
「まあしかし、地図はゆっくりでよかろう。ただ正確にな。我々の帝国は砂漠と海に守られているが、その向こうには」
「……ええ」
サボンは首を傾げた。砂漠と海の向こう。以前アリカが言ったことがあることだが、自分には海も砂漠も想像できないものなのだ。更に向こうなど。
「北から来る方法が判れば、向こうから近づいてくる可能性も無きにもあらず」
ダリヤは低い声で言う。
「近いのですか、そこまで」
「北も北まで行くと、砂漠が途切れる。その辺りが怪しくなる」
その辺りまで歩んできたのか、とサボンは目を丸くする。
「今の其方の名は、メ・サボナンチュだったな。メ族か。あれは確かになかなか手強い部族だった。あれが結構北限だったのではないか、と私が昔闘った時には思ったものだが」
「あの」
サボンは勇気を出して問いかける。
「草原にはどれだけの部族が居るのですか? 長い名をつける部族もあると聞いているのですが」
「長い名――― ああ、あれは確か、砂漠と山に近い地域に面しているところだな。長い名、というより、あれは確か、母親の名が長いのだ。確か一人に沢山の母親が居ることになっていたかな」
「本当にそうだったのですか!」
「彼女の親しい者が、その部族なのです」
「あそこの男は強いぞ。いい男を捕まえたな」
ははは、と豪快にダリヤは笑った。
「兵士としては優秀な者を出してくる。そして暮らしていくには帝国との共存がやはり有効だ、と割と早いうちに恭順してきた所だ。ただし名前と習慣だけは変えないことを条件にしてきた」
「名前を」
「母姓と父姓が今はだいたい分けられて登録されて居るだろう? あそこでは父親の存在はさほど大きくない。そもそも父親が誰なのか判らないことも多い。だから父姓は元々つけないことになっているんだ」
なるほど、とサボンは思った。
「すると沢山の母親のうち、生みの母がさほど大きな位置を占めないのもそのせいですか?」
「子は皆のもの、という意識が高いからな、あそこは。だからこそ部族意識も強い。こちらに軍務で出しても、やがては郷里に戻すことが多い――― どうしたサボン?」
「いつかは戻ってしまうと……」
ダリヤはアリカの方を困った様に見た。
「まだ判りませんよ。軍が彼を必要とすれば、彼は居続けますし」
「仕事次第かしら」
「それに貴女も居るでしょう?」
「でも」
「確かに貴女が嫁ぐのは私も困りますが……」
「そこなのよ」
ふう、とサボンはため息をついた。
「私はずっとお仕えするつもり。あの方がどうあれ、それは変わらないわ。でもあの方はどうなのかしら」
くくく、とダリヤは含み笑いをする。
「いいな―――実にいい! 若いとは、とても良いことだ!」
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