第4話 艶やかな廃墟の住人
やあよく来たね、と隣の青年は翌日やってきたマドリョンカをにこやかに迎えた。
久しぶりに入るこの館の応接間は相変わらず――― いや、かつて行き来していた頃よりも艶やかな廃墟の様な印象をマドリョンカに持たせた。
そんな彼は彼女に言う。顔を合わせた途端、目を見張って。
「しばらく会わないうちにずいぶんと綺麗になったね」
「貴方は何か痩せたみたい。しばらく寝付いていたというじゃないの」
「ちょっと向こうで病気にかかってね。なかなか戻ってくることができなかったんだ」
「そう」
成る程、と彼女は色合いが変わった部屋の理由が分かる。「向こう」で買い付けてきた鮮やかな色合いの布や細工ものがずいぶんと増えたのだ。
「うちのお祖母ちゃまに聞いたけど、そちらの旦那様、うちのお祖父様連れてしばらくは狩りに出かけてらっしゃるとか?」
召使いが茶を運んできたので、ありがとうと受け取る。点けられている菓子もまた、普段帝都では目にしない、遠い南を想像させるスバイスの香りをさせている。
茶も透き通ってはいない。
「これ……」
「呑んでみるといいよ。濃くて美味しい」
何かの乳が入っているだろうことは予想がついた。草原では茶を乳で煮出すこともある、と父将軍から聞いたことがある。向こうでは茶は嗜好品ではなく、塩味をつけて常に呑む、スープと茶の中間の様なものだと。
だが今口をつけたそれは。
「甘……!」
びっくりする様な甘さと、少し鼻がびっくりする様な香りが一気に彼女に押し寄せてきて、むせそうになった。
「お嬢様」
背後に居たメイリョンは慌てて彼女に手巾を渡す。ありがと、と言って口を拭う。
「どう?」
「どうじゃないわよ!」
「味はでも、悪くないだろう?」
「味はね! ちょっと甘すぎるとは思うけど!」
「君もどう?」
私ですか、とメイリョンは驚く。基本的に彼女はあくまでマドリョンカのお付きであって、応接で茶を振る舞われる立場にある訳ではないのだ。
「今度うちの商会が売り出す茶の飲み方なんだけど、できるだけ沢山の声が聞きたくてね」
そう言ってふっと笑う彼の表情は、かつての音楽や書物に埋もれていた少年とは少し変わった――― 少なくともマドリョンカにはそう見えた。
「私には美味しゅうございます」
「ええっ! 甘すぎない? 匂いも」
「匂いは確かに強いですが、まあ、そんなものだと思えば」
「そうだね、じゃあメイリョン、君だったら市場でこういうものを売っていたら買うかい?」
「そうですね」
買い出しの時のことを考える。小銭があって、少し休みたい時には彼女も外で飲み物を買うこともある。
「やっぱり少し強いのではないでしょうか? 香りそのものは面白いと思うのですが」
「うん。面白いと思えるならいいんだよ。ただの茶ではなく、面白いと思ってもらえる茶。そしてこれには牛の乳が使われている」
「牛――― なの?」
「あのお肉の、ですか?」
「そう。ただしあくまでそれはヒントだったんだけどね。今まで行ってた藩候領では、水牛の乳で作ったものを皆暑い時にもどんどん呑んでいるんだよね。暑い時に熱いもの」
「暑い、ってどのくらいだったの?」
「そうだねえ」
彼は眉を寄せる。
「ここじゃ体験できない暑さだよ」
「皆で夏に暑いからと湖の方に行ったことがあったじゃない」
数年前のことをマドリョンカは思い出す。
ともかく風が吹かない夏だった。そして雨も降らない年だった。仕方が無いから少し高地に行こう、とそれこそ今彼等の祖父達が行っている辺りへと皆で移ったことがあるのだ。
「いやいやいやあんなものじゃない。昼間はもううだる様な暑さで何もできないから、できるだけ風通しの良い日陰で寝ているしかできないんだ。仕事はもっぱら夜だったね」
「そんな生活してるから病気にかかるのよ」
「病気はそのせいじゃないと思うな」
「だったら何?」
「水」
明快に彼は答えた。
「井戸を使うのは一緒なんだけど、向こうで雇った召使いが、その井戸水を湯冷まししないで飲み水にしたから、それでしばらく病気にかかってしまってね……」
「水で?」
「そもそもがこっちの様に綺麗な水って訳じゃないからね。こっちの井戸は深いだろう?」
「……そう…… だったかしら」
メイリョンの方をちら、と見る。彼女も首を傾げる。
「こっちは水源が深いから、井戸自体が深いんだ。そして冷たく、大地の奥深くを流れる綺麗な水が手に入る。そう、あの山々のおかげでもあるね」
「……何か訳判らなくなってきたわ。ともかく水のせいで病気になったのね。それでどうだったの? 何処を一番やられたの?」
「物が食べられないってのはきつかったね…… まあ向こうは果物が沢山、一年中みずみずしいものが手に入ったからね…… しばらくはそればかり。そのうち、もう少し濃いものも呑めるだろう、ってことで向こうで世話になっている人から、この茶も出てきたんだよ」
成る程そういう流れか、とマドリョンカはやっと納得した。
「ということは、身体にいいってこと? この香りも」
「物によるね。向こうのスパイスは僕らの思っている以上多いんだ」
ああ、よくお話にお付き合いしてらっしゃる、とメイリョンはあくびを根性で噛み殺しながら思う。
かつてはこの様にやはりあくびを噛み殺しながら話に付き合っていたのはトゥイルイだったのだ。ただしシャンポンがまた彼と同じ様に、様々な本やらの知識が好きだったので、お付きの彼女は呼ばれるまで厨房でこの家の使用人と一緒に居ることが多かったのだが。
「ところでもう貴方は楽器は弾かないのかしら? イルリジー・トモレコル」
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