第38話 一番上の「姉」へのあいさつ
「お招き下さりありがとうございます」
「こちらこそ贈り物と共にわざわざ貴女を遣わせてくださったことを感謝いたします」
その日はセレナルシュの結婚披露宴だった。式は内々で行い、その数日後、嫁ぎ先の規模と形からして、決して多くはない客を集めてのものだった。
ありていに言えば、両家とそれぞれの親族、友人、その程度である。
嫁いだセレもその規模が自分には相応しいと思ってか、穏やかな色合いの服に真っ白な羽根のような肩掛けをまとうのみ。だが常よりずっと美しいとサボンの目には映った。
あくまで使いのものとして、呼び寄せられたサボンは、披露宴後、セレに人気の無い場所に呼び寄せられた。何しろ肩書きが肩書きなので、茶を出してきちんと礼をするべきだろう、という新たな女主人の言葉はすぐに受け容れられた。
と同時に、式から披露宴までの間に家の者の好意をこの姉が勝ち取っていることをサボンは心から嬉しく思った。決して沢山の思い出がある訳ではないが、控えめで、それでもお洒落には気を遣った彼女はサボンにとって良い姉だったのだ。
「本当に驚いたけど、貴女が元気そうで良かったわ。『皇后陛下』は昔がたりの様な真似はしない?」
それはかつておとぎ話として読んだ、姫と入れ替わった召使いが横柄に元の主人を扱う話のことだった。
「そんなことはないです。お互い外に対して緊張感のある毎日を送ってますから。むしろ前より仲良くなった気がします」
「なら良かったけど。そうそう、この肩掛け。マヌェが送ってくれたの。どう?」
「もの凄く良くできています。……そんな才能があったなんて、と驚きました。兎をありがとうと私が言っていた、とまたお会いすることがあったら」
そう、この日マヌェは急に熱を出したということで、披露宴に来ることはできなかった。直接手渡したかった、とシャンポンが持ってきたくらいである。
「最近時々熱を出す様になったんですって」
「お加減が悪いのですか」
「元々身体そのものが弱いのは確かなの。お母様が気を遣って下さったから、まああの通りで済んでいるのだけど……」
セレは口を濁す。
「大人の人生は、元々歩めないと言われてはいるのよ」
それは。さすがにそこまではサボンも聞いてはいなかった。
「シャンポンにもそれは言ってはいないわ。私は出ていくことが早くから決まっていたからだと思うけど、お母様からよく聞いていたの。シャンポンはずっと家に居てあの子の世話を…… と思っている様だけど、その通りに行くとは」
「何処かに嫁がれるということでしょうか」
「なかなか考えづらいけど。でもウリュン様に奥方が来る前に何かあったら、シャンポンが婿を取ることになるでしょうね。……ウリュン様は昔からよく一緒に遊んでいた子が好きだったから―――」
セレは言葉を濁した。
「無論あのままだったら、そのまま奥方になれる訳ではないにせよ、きちんとした奥方を迎えた上でも、側に置くことはできたとは思うけど」
「ちょっと待って下さい」
サボンからしたら驚きの話だった。言葉を濁す相手。つまりは今のアリカのことではないか。
「気付いていなかったの?」
「……はい」
セレは困った様に微かに笑った。
「全く貴女方ときたら。どっちも何処か鈍感なままで。でもそれで良かったのでしょうね」
「そう思われますか?」
サボンは首を傾げた。
「そうね。私は貴女と歳も離れているし、いえまあ、マドリョンカは近いけどそう貴女方と遊んだりはしなかったわね。」
「むしろ副帝都の屋敷では、ご近所の皆さんと遊んでいることが多かった様な」
「ええ、割とあちらの家ではご近所に同じくらいの歳の遊び相手が多かったし…… そう言えば、最近マドリョンカはこちらの自宅よりは副帝都の方で暮らすことが多い様よ」
「またどうしたのでしょう。少し前は桜様の茶会に顔をお出しになっていた様ですが」
「どうも、そのかつての遊び相手と少し関係があるらしいんだけど」
ふう、とセレは頬に手を当ててため息をついた。
「貴女あの頃のお隣で、ご主人とお孫さんだけで暮らしている方のお宅、覚えているかしら」
「西側の、うちより大きなお屋敷でしたね。確か音楽がお好きなお孫さんと、気難しい旦那様という」
「シャンポンはその気難しい旦那様と何故か気が合って、よく向こうの書庫に出向いては遊びに行っていたのよ」
そうだった、とサボンは思い出した。それでよくシャンポンは向こうの同じ位の歳の孫と遊んでいたのだ。それこそ男の様な格好で馬に乗ったり、近くの里山を歩いたりと、ミチャ夫人が心配していたものだった。
「ただあの頃は私達にとって、どちらも年上過ぎる感じがありましたから」
「貴女方はまだ本当に子供でしたからね」
たとえば。
二十歳と二十三歳の差と、十二歳と十六歳の差があったとする。この場合どちらがより違いを感じるだろうか。―――間違い無く後者だった。
サボンとアリカとマドリョンカはほぼ同じだったが、その時シャンポンと隣の少年は自分達にはちんぷんかんぷんな会話をしていたのだ。
今だったらどうだろう。
「ですけどそれとどう関係が」
「つまりね、マドリョンカは今とっても良い嫁ぎ先を探しているのよ」
え?
サボンは茶椀を思わず音を立てて置いてしまった。
「ま…… さか、それがお隣の」
「そのまさかなのよ」
「でもお隣の方は」
「シャンポンが強情すぎてね。どうもそのせいで少し遠くに遊学しに行っていたらしいのね。その彼が最近帰ってきたんですって」
「いえでも、何故」
「私達の家より大きかった理由まで興味はなかった?」
「……はい」
「お隣のご主人は有名な商会の主でいらっしゃるのよ」
商会。最近になってようやくサボンの頭の中でちらつく様になったものだった。
アリカはこの帝国における流通に関して知りたがっている。先日の編み飾りは一つのモデルケースとして通したものだった。どの程度の知識を外に出せば、経済効果が出るのか、ということをまだ試すための。
その経済効果、というのが今一つまだサボンには理解できなかったが、アリカはあちこちから情報を集め、何か思うことがあるのだろう。
だとしたら、この商会のことも一つの彼女への情報となるのだろうか。
サボンはそこまで考えていた自分にふと驚く。やれやれ、いつの間にか自分もずいぶん慣らされてしまったらしい、と。
「ご結婚なさるんでしょうか」
確認する様にサボンは聞いてみる。
そもそもその辺りを全く考えつかなかったのは、マドリョンカはてっきり誰か帝都の貴族か有力な軍人狙いだと思い込んでいたことにある。
自分よりよほど女としての価値と頭脳を発揮する姉である。自分が考える程度のことをする筈がなかったのだ。
そもそもマドリョンカは向上心が強い。そして帝都の、役人や官僚や貴族と結婚できたとして、「皇后陛下」との差は決して埋まらないのだ。
だとしたら―――
宮中に戻ったらやはりアリカに報告して聞いてみたいところだった。
「どうかしら――― でも貴女、ずいぶん昔よりよく物事を考える様になった様ですね」
「え?」
「私の知っている貴女はもっと口数が多くて甘えたさんだったと思うのだけど」
ちょっと寂しいかも、とセレは肩をすくめた。
「ありがとうございます。毎日仕事がとりどりにあるので、考えるくせがついてしまったかもしれません。ですが非常に面白い日々を送っております」
「そうね。頬がつやつやしているわ。貴女もいいひとが居たら、思った通りに動きなさいね」
「思った通りに致します」
それでも自分の中の順位は決まっている。そこまではセレに言う気はなかったが。
*
「どうか幸せになってください」
「ええ私は幸せになるわ。貴女も」
そう言って去り際、一番上の「姉」は自分を抱きしめた。そうそうこの家まで出てくる理由は無いだろう、と。
サボンはサボンで、少なくとも自分にとって毒になったことの無いこの女性に対しては、本心からそう思った。
幸せに、と。
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