第18話 理解したいサボン、そして転げ落ちる技術方筆頭の髪の房

「けどそれを知って貴女は何をしようと思っているんですか?」


 サボンはアリカの読み散らかした書類を整理しつつ問いかけた。アリカは別紙にメモを取る手を止め、天井を見上げた。


「……何というか」


 うんうん、とサボンはうなづく。この女君には「所謂」妊婦の危険が伴わない。ありがたいことだ、とお嬢様から唐突に女官になってしまったサボンは思う。

 だがそのそのありがたい状況をいいことに、この女君は自分には理解できないことをちゃくちゃくと考えつつある様なのだ。

 それは図書室籠城の時から思っていた。一番彼女が苛立っていた様なのは、「正確な地図がない」ことだった。


「正確かどうかなんてどうして判るんです?」


 そう訊ねると、やはり今の様に少し考えた。


「私が知っているものと違いすぎるんですよ」


 その言葉のきちんとした意味を理解することはできない。ただアリカの中にある「知識」の中には「正確な地図」もしくは「正確な土地の姿」があるのだろう、とサボンは考えるしかできかった。そしてその話は自分以外にはできない、ということも。

 先日皇帝がやってきた時にも、二人はずいぶんと長い話をしていた。そのうち判ったのは、皇帝が太公主と昔から付き合いだったのだが、血がつながっていることになっているので表向きに結ばれることができない、ということだけだった。

 太后というひとが何なのか、何故そこまで皇帝が母太后に対し冷たい言葉を吐くのか、そもそも失われた藩国「桜」がどういうところなのか、サボンには判らない。

 知りたい、とは思う。

 ただしそれはある程度は下世話な興味の部分だ。なのでそれは下手に聞いてはならないと思う。

 だが一方で、知らなくてはアリカの役に立てない、ということはサボンも判っていた。なので何処まで自分がアリカに聞いていいのか、現在は推し量っている最中だった。だから問いかけは慎重にする。


「実験……」

「じっけん?」

「……じゃなくて、うーん…… 試し」

「試し」

「一つの皆が知らなかった技術や物が表に出た時、この宮中からどう広がらせることができるか、という」

「広がって欲しいんですか?」

「欲しいですね」

「何故?」


 休憩しましょう、とアリカは茶器と菓子が乗せられているワゴンを指した。

 アリカはそれを自分達のテーブルの近くに押してきながら、そう言えばこれもアリカが女官長から技術方筆頭を紹介してもらい、作らせたものだった。


「おかげでずいぶん仕事が楽になった、と好評ですけど」


 思い出したことを口にしながらサボンは菓子を手に取った。こちらに関しては、アリカは自分の「知識」の中から引き出すことが今のところは無い。


「こちらの技術方筆頭は表の男性の技術方と連携できるというのがありがたいですね」

「後宮の中では?」

「ちょっと難しい部分があると思います。レレンネイ女官長の顔が広いのは実にありがたいですね」

「確かに」


 確かに女官を束ねるのはレレンネイだったが、それだけでは人材をこちらへ派遣してくることはできない。束ね、きちんと使いこなせることが必要なのだ。そしてアリカという新たな宮中での存在をきちんとアピールすることも。


「でもまあ、縫製方同様、技術方筆頭も、自分の職分と手並みに誇りを持っている様な方々でありがたいです。それに」


 つ、とワゴンを引き寄せる。


「簡単な力で引き寄せ、止めようと思えばきちんと止まる様なものを製作するには、きちんとした技術と理論が必要なんですよ」


 成る程、とサボンは思う。確かその時アリカが注文したのは、「小さなテーブルの底に車輪をつければ持ち運びが楽になるのではないですか」ということだけだった。


「女君はこのくらいのものを何にお使いですか」


 その時技術方筆頭のフル・パセジュ・セメリイはこの宮中ではあまり見ない淡い色の髪を揺らせ、例として持ち出した小さなテーブルをまじまじと見つめていた。


「何ってこと無いです。私は部屋で何かと調べ物をすることが多くて、つい食事やお茶をテーブルに用意してもらう時、いちいち片付けたりと何かと手間をかけるので、別に用意できて、時には普段と違う場所にも移動しなくてはならない時に……」

「では安定性が必要ですね。それと大きさも最低二種類は必要ですし、やはり枠も欲しいでしょう」

「その辺りは任せます」

「了解致しました」


 頭を下げた拍子に、パセジュ技術筆頭の髪の一房が適当にまとめられていた間から落ちた。


「パセジュ技術筆頭は割と身なりには関心が無いようで……」


 そのまますぐにその例にした小テーブルを抱え込み、ぶつぶつと呟きながら彼女達の前を去っていった彼女について、女官長はそう弁明した。


「いえそのくらいの方が期待できます」


 アリカはそう言い、実際その通りになった。一週間と経たずに二種類の移動できるテーブルがごろごろと押し手付きでやってきたのだ。


「こちらの大きな方はお食事用です。やや小さめの方はお茶を。お茶の方には移動の際の落下を防ぐ様に取り外しの効く壁を付け足しました。ところで女君にお願いが」

「何ですか」

「同じ様な造作のものをここだけでなく、我々の技術方で使う様にしても宜しいでしょうか」


 更にあちこちが落ちている淡い色の髪を揺らせながら、パセジュは淡々と、だが真剣に問いかけた。


「どうしてですか」

「便利だと思ったからです。特に我々は男性より非力ですから、簡単に材料等を移動できるものが側にあると有り難く思います」

「構いません。ですがそれまではどうやって移動させていたのですか?」

「車輪のついたものは無くは無かったのですが、全体的にそれ自体が重くできていて。表の男性の技術方はそれでも充分動かせるのですが、我々にはそこまで…… ということが多く。男性の技術官や、下働きに持ち込んでもらうことが殆どでした」

「それでは間に合わないのですか?」

「作りかけの繊細なものとかを崩されてしまうことがあって、我々は非常に困っていたこともあり。何故こんな簡単なことを思いつかなかったのか、と技術方皆で悔しがっております」


 これ、と女官長は思わず言おうとしたが、アリカが微妙に笑顔になったので止めた。


「幾らでも使って下さい。それで技術方が良い仕事ができるなら」

「ありがとうございます。あ、それと」

「何でしょう」

「その髪型を真似しても宜しいでしょうか。技術方は結構落ちてくる髪を面倒だと感じる者が多いのですが……」


 今度はちら、とパセジュの方が女官長を見た。


「……私は何も申しません。皇后陛下のお心のままに」

「では構いません。髪が下手に巻き込まれてしまっては危険なこともあるでしょう。したい者はすればいいです」

「ありがたき幸せ」


 その一連の出来事を見ていたサボンの目には、その前よりやや深い礼だった気がした。

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