第15話 皇帝のちょっとした、だけど切実な我が儘③
「先帝からしたら、サシャの母親は放っておかれた身の上であるから捨て置くのも何だと思ったらしい。そもそも生まれた娘に罪は無い。自分の夫人が産んだなら皇女で構わない、と認めていた。ただ周囲は」
「そうは見なかった、と」
「だがもし先帝が帝都に居たとしても、そこを疑る者は居ただろう。『二人目』は本当に滅多に居ない。だったら同じだ」
俺以外にとっては、と皇帝は付け加えた。
「あの女は全てから見捨てられた直後に拾ってくれた道場――― 武術を専門とする教場だな。そこの師匠を第二の親の様に、そして師範を頼れる異性として思い込みの激しい心に焼き付かせてしまった。
その上また、忠誠心の激しい親衛隊が欲しい国主の妹がまた、親衛隊を決める前に何かしらの手段で出会うことによって、あの女の絶対的な主君として焼き付いてしまった。
さて、この師範というのが要するに先帝があの国で当座落ち着いた位置だった。元々武帝と言われたひとだ。棒術師範に相応しいだけの技術もそこで手に入れ、親衛隊になるべく武芸大会に出て、最後の十人の中に入った。
さてそこから少しの間はあの女にとっても幸せな期間だったろうな。だが幸せであればあるほど、それが急転直下で裏切られた時どうなると思う?」
アリカは黙った。想像ができなかった。
「腹が減っている。その状態がずっと続いていたなら、更なる飢えも日々の続きと思えるかもしれない。
だが一度安楽を知ってしまったら。満たされた日々を知ってしまったら。それが失われた時酷く理不尽な気持ちになる。少なくとも、あの女は俺にそう言った」
「直接そう言われたのですか?」
「俺はあの女と残桜衆に唆されて当初住んでいた場所を出たが、その時点であれが俺を産んだ女だということは知らなかった。ただお袋の昔の友であり、裏切り者だ、ということだけしか。
お袋は信用のおける人間だ。それを裏切るなどろくでもない奴だとは思っていたが、旅の途中で俺はあの女の正体を知ってしまった。それをきっかけに隊列を離れて一人で帝都へ向かった。―――まあ、誰かしら俺の後はつけていたんだがな」
「そしてその道中で太公主様と出会ったと」
「そう。そこまでは仕組まれたものかどうか判らない。これは誰に聞いても首を傾げてくる。だからまあ、偶然ということでいい。だが偶然としたら、酷いものだと思わないか? ここで出会ってしまったことで、俺と彼女は好き合ってしまったのだから」
ああ、とアリカは軽く嘆息する。
「襲撃に遭ったことで、彼女の護衛が数を減らしていた。そこで目的地までということで、俺はしばらく彼女と同じ道行きとなった。
彼女は彼女で、ずっと自分の出について胸を痛めていた。
母親である夫人は、絶対に先帝の子だという。だがそんなことは信じられない。誰もが嘘だと裏で笑っている。自分の館でも、心を許せるのは乳母くらいだったらしい。だがその乳母も噂を気にしてか、彼女が十になるかそこらで郷里に戻った。
その頃には、彼女の母親は親戚筋からも見捨てられた形で、どんどん気持ちを病んでいった。信じたいことだけを信じる様になっていき、見たいものだけが見える様になっていった。
やがてサシャのことも本来のサシャではなく、夫人の思い描く皇女の姿で見える様になったらしい」
「哀しいですね」
「俺は彼女の口の重さと、連れだってくる連中の態度の軽さが気になって、彼女にこの扱いはあんまりだ、と言った。その時自分自身の境遇を話してくれたよ。そして思った。俺と似た部分がある、と」
どちらも勝手に大人達に理想の図を突きつけられ、それに合わないと思うと無視されたり、強要されたりしてきたということだろう。アリカはそう判断する。
「それは宜しくないです」
「そう思うのか?」
「私は現在の父上、サヘ将軍を敬愛しております。今の今まで。それはあの方が、確かに何かしらの目論見があって私を育てたとしても、あの方はそれが叶わなかった時はそれでも構わない様な生きる力をつけるべく、暮らさせて下さいました」
「そう。俺のお袋と同じだ。もしかしたらいつかその様なことはあるのかもしれない、だがそうでないかもしれない。
いっそその方がいい、とあくまでお袋は俺を『宿屋の息子』として育てた。俺はお袋には絶対頭が上がらない。……帝都で暮らして欲しいとずっと言っているのに、頑固なもので絶対に来ようとせず、ずっと昔ながらの桜と他国の境の辺りで宿屋を開いている。
もう七十がところを越しているというのにな。見張りをつけても剣舞の天才だった頃の鋭さは変わらない。見付けては客としてさっさと扱ってしまう。そして俺にいい加減あきらめろと伝えろ、と言ってくる。
俺にできるのは、お袋のいる辺りにいい医者を配置しておくことくらいだ」
間違っていると思うか? と皇帝は顔を上げ、視線を合わせ、アリカに問いかける。
「良いご判断だと思われます。動かすことができないなら、せめて何かあった時のための備えを。そしてそれが他の民のためになるならば、母君様も文句のつけようが無いと思われます」
「ならいい」
ふっ、と軽く照れくさそうに皇帝は笑った。
「……ともかくそれで、俺は帝都にやってきた。サシャの警護ということでしばらく付き従うことにした時、先帝に引き合わされた。あんまりの若さに俺は驚いた。今の俺が言うのも何だが、その時既に、今の俺より数十年長く生きていたというのだからな。あの女が幾ら謀ったところで敵う訳が無い。
先帝は俺にも大武芸大会に出る様に、と命じた。サシャ皇女の護衛ならもっと強くなれ、という名目と、久々に長棒の指導ができるのが楽しかったらしい」
そしておそらくは、既にそれが自分の息子であることに気付いていたのだろう。口に出さずとも、親子として何かを教えたかったのかもしれない、とアリカは思った。
「そして大会の中、何とまあ、その先帝自身が最終勝者と戦う、ということになった訳だ」
「一つ先に陛下の言葉を予測しても宜しいですか?」
「何だ」
「その最終勝者とは、太后さまだったのではございませんか?」
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