第37話 お菓子をくれる男

 何のつもりだろう。

 サボンはもらった菓子包みを見てまず思った。判らなかったので彼を見た。首を傾げた。


「そこの菓子は美味い」


 はあ、とサボンは答えた。それ以外に答え様が無かった。

 彼はぽかんとしているサボンを背に、すぐに任務に戻って行った。

 焼き菓子の欠片。形が崩れたもの、型焼きの端、詰めた餡の多すぎるもの。サボンはおそるおそる手を伸ばす。やや焦げすぎの焼き菓子。口に放り込む。ぱくん。


「美味し……」


 甘さが身体に染みわたる様だった。

 もう一つ、今度は別の型焼きを放り込む。かしかし、と噛む。心地よい歯ごたえ。

 彼女は何度か手の中の菓子と空の間で視線を往復させる。

 やがて大事に包み直すと、前掛けの袋に入れた。大切に頂こう。そう思った。



 だがそれは、その時だけではなかった。

 その次は、乾果だった。形はいびつだったが、種類はなかなかのものだった。

 そのまた次は、餡玉だった。

 様々な豆や胡麻を煮詰め出し、甘味をつけ丸めた菓子。様々な色をつけることで祝い菓子の材料として使われることが多いものだ。

 ただそれもまた、彩りの点で失敗することがある。成形の段で求めるものにならない時がある。割れてしまうこともある。

 それらは焼き菓子の割れたものや乾果のいびつなもの同様、庶民に安く提供される。

 そうサボンは聞いた。北離宮に新たに派遣された若い女官から。

 外の市場でわざわざ買ってきたの、と問われた。

 サボンは驚いた。

 

 わざわざ――― 買ってきてくれたのだろうか。


「格別高いものじゃあないけどね。誰かいいひとでも居るの?」


 くすくす、と同僚は意味ありげに笑った。そんなのじゃあないです、とサボンは答えた。


「どうかしらね」


と同僚は一ついい? と餡玉を摘んだ。


 だから。


 さすがにその次にセンと出会った時、サボンは問い掛けた。

 その日、彼の懐からは、割れ干菓子が出てきた。粉っぽいその菓子は、広げた時に悲しいかな、ばらばらになっていた。

 取り替える、と言う彼にサボンは首を横に振った。


「セン様はどうしてその様なものを私に下さるのですか?」

「ここにちょうどあなたが居たからだ」


 確かにそうだった。彼は決してそのためにわざわざ町場を離れるということはしない。


「じゃあ他の誰かに会ったら」

「あなたに会ったらあげたい、と思った」


 きゅ、と包み直したものをサボンは握りしめる。


「あなたが甘いものが嫌いなら」

「甘いものは大好きです」


 咄嗟に彼女は答えていた。センの目が僅かに見開かれた。


「ええ、大好きです…… だから…… ありがとう、ございます」

「美味しく食したか?」

「ええ。疲れた時に、とても美味しかったです」

「それは良かった」

「でも……」

「何だ」

「どうして私に」

「あなたが疲れている様に見えた」


 違うのか、と彼は続けた。

 違わない。サボンは思った。だがそれは口に出してはならないことだった。


「私は――― 女君の方がずっとお疲れです」

「でもあなたはあなただ」


 胸の奥で、鼓動が跳ねた。


「女君のお疲れはあなたの疲れと違う。あなたはあなたで疲れている」

「かも、しれません、でも……」

「疲れている時には良く食べてよく眠ることだ。俺はあなたに元気でいて欲しい」

「私に?」

「あなたに」


 それでは、とセンは背を向けた。

 胸の中で飛び跳ねる鼓動が、なかなか治まらなかった。



 アリカの出産までの期間、幾度も幾度も彼等は会って、お菓子を手渡し手渡され、言葉を交わした。

 もっとも、二人の間に言葉は決して多くは無かった。

 何故あんなに無口なのだろう、と会う度に彼女は思った。

 友人である「若様」も、サハヤも決して無口ではない。

 サハヤとも時々顔を合わせる。彼もまた、女君付きとして、サボンに対しては気安く、だが丁寧に言葉を掛けてくれる。

 だがそれは他の女官に対しても同様だ。市場で出たばかりの綺麗な飴菓子を、皆でどうぞとばかりに置いていく。そんな彼は皆一様に受けも良い。

 けど。


「あんたはいいの?」


 飴菓子を口の中で転がしながら、同僚のイリュウシンが問い掛けた。中北部出身だというこの同僚は配属されてすぐにサボンとうち解けた。


「いーのよ、このひとには、一人だけにお菓子をくれるいいひとがいるんだから」


 くくく、ともう一人の同僚、中南部から来たキェルミが笑った。


「そういう方じゃあ」

「あら、皆そう言ってるわよ。ツァ…… 何とかセン様は、サボナンチュの為に毎日市場の菓子売場に顔を出しているって」

「私のためじゃあ」

「じゃあ誰のためって言うのよ」


 キェルミは呆れた様に胸を張った。明るい茶色の髪の同僚は、断言する。


「いいサボン。絶対にツァ何とかセン様は、あんたのことが好きだからね。逃がすんじゃないわよ」


 逃がすって。


「でも草原出身だから、いつかは戻ってしまうかもしれないけどねえ」

「草原?」

「って、そう言えば、メ・サボナンチュ、あんたもそうじゃない! 何って偶然!」


 きゃあきゃあ、と同僚達ははしゃぎ回る。

 違う。サボンは思う。草原で生まれたのは自分じゃあない。

 胸がちくり、と痛んだ。

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