第20話 宮中からの知らせ

「おかーさま」


 膝の上で末娘が呼ぶ。何、と彼女は問い返す。


「アリカは皇后様になれるのかしら」

「さあどうかしらねえ」



 宮中から急ぎの使いが来たのは、翌日の早朝だった。

 邸内がにわかに慌ただしくなった。


「まだ夜が明けたばかりだというのに……」


 マドリョンカは眠そうな目をこすりながら、それでも玄関まで身支度をして現れた。

 宮中から急ぎの使者が来たと言う。十日近く眠ったままだった令嬢が目を覚ました、と。

 将軍は難しい顔のまま、後を頼む、とミチャ夫人に告げた。


「旦那様」


 夫人は軽く首を傾げる。

 差し迫って困ったことが起きたのだろうか。不安が胸に広がる。

 起きて知らせを受けてから、考えが悪い方へ悪い方へと向いてしまうことを彼女は止めることができなかった。

 悪い方――― それはアリカの死だった。

 宮中に皇后の候補として召されて、亡くなった女性は少なくない。正確な数まで彼女は把握していないが、普通の家に比べて多すぎる、とは聞いている。

 アリカが亡くなったらどうしよう。そうしたら次はマドリョンカだろう。順番的には。本人はそれを望んだとしても、ミチャは嫌だった。彼女の求めるものは、より確実な、安定した生活なのだ。生きるか死ぬか、を賭けたくはない。

 彼女は夫に問い掛けた。


「あの…… まさか、アリカ様が」

「そなたは心配することはない」

「ですが」

「そういう知らせは入ってはおらぬ」


 では行く、と扉を開けかけた時。


「父上、我等も参ります」


 ウリュンと、その友人二名が既に身支度を整えて現れた。


「心配なさるのはありがたいのですが、これは我が家の……」

「良い。三人とも来るがいい」


 え、という夫人の前を一礼してすり抜け、三人は将軍について館を出た。



 宮城は既に主大門を開いていた。

 門番の兵士が彼等に一礼する。うむ、と将軍は軽く顎を引いた。


「今日もいい天気になりそうだ」

「は」


 住み込みの雑人や、女官達は日の出から仕事に入る。

 将軍とその息子、二人の武人はそこで馬を降りた。

 馬番の雑人に、それぞれの厩舎に連れて行く様に命ずると、彼等は北離宮へと向かった。

 北離宮は、後宮の北東の端にある。

 広い宮城の、中央の議政殿を斜め横断できれば早いが、それは許されない。中殿や後宮に通じる道は決まっているし、小門の出入りも厳しい。

 長い、とウリュンは思った。足も何となく重く感じる。昨日の酒が残っているのかもしれない。小さな砂利のざくざくという音がひどく耳障りだった。

 夜明け前、最初に邸内のざわつきに気付いたのはセンだった。彼は目もいいが耳もいい。そして何より、不審な気配に敏感だ。


「何ごとだ?」

「あ、若様、実は……」


 廊下をばたばたと走る一人を捕まえて訊ねたところ、宮中の使いが来たことが判った。

 彼等は慌てて身なりを整えた。


「妹さんに何かあったのだろうな」


 サハヤは断言し、眼鏡の下の瞳を細めた。

 だろう、とウリュンも思った。


「我々は関わらない方が良いか?」


 サハヤは問い掛けた。ウリュンは少しだけ迷った。これはサヘ家の事情に関わることだ。

 アリカとサボンの入れ替わりは、まだ父将軍と自分しか知らない。母や妹、ミチャ夫人が今後彼女達に会いさえしなければ、ずっと守られるだろう秘密だ。


「混乱しているな」


 センは彼の気持ちを端的に言葉にした。ああ、と彼は答えた。そして二人の方を向き。


「―――頼む、一緒について来て欲しい」


 どうしてそう言ってしまったのか、ウリュンにも正直、判らない。

 いや、それより、父将軍がそれを易々と許したのかが判らない。

 ただ一つ言えることは、自分の目の前で、サボンが妹になり、妹がサボンになってしまうことを、決定づけられるということだ。

 あきらめろ、と自分は自分に言いたいのかもしれない。

 できるだけ多くの人目の中で、自分が欲しかった少女をさっさと「手の出せないもの」にして欲しいのかもしれない。

 父の命令でもなく、自分の弱い意志でもなく、強制的な、何かによって。

 しかしそれでもまだ、心は入り乱れている。ささくれ立っている。玉砂利の音が、うるさい。



 北離宮は、主大門から一番遠い。

 既にそこには、幾人もの侍医や医女が詰めかけている状態だった。


「どうした」

「あ…… これは将軍様」

「娘の容態が変わったと聞いたが」


 侍医達は無言のまま、将軍に道を開けた。


「こちらへ」


 ウリュンや二人の武人達に対しても同様だった。彼等の大半の身分は、三人の若い武人に比べて低い。

 控えの間には、少女が卓にもたれてうとうととしていた。見覚えのある髪の色に、ウリュンは口を開きそうになった。

 だが。


「サボナンチュ」


 将軍は少女の方へと進むと、ぐい、とその肩を掴んで起こした。

 はっ、と少女は目を開くと、口を開きかけ――― こう言った。


「将軍様」


 そして勢い良く立ち上がると、すっと頭を下げた。


「申し訳ございません。この様な格好で」

「うむ。―――あれはどうか?」

「お目覚めになられ、……少々お気が高ぶっていらっしゃる様です」  


 アリカ様は、とウリュンの妹は、付け加えた。

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