第8話 朝寝坊の女官
あ。
ああああああああああ。
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
朝の光が、窓から差し込んでいる。
朝の光が、窓から差し込んでいる。
朝の光が窓から差し込んで……
つまり。
今は。
朝ってことで。
さぁっ、と、サボンは全身から血の気が退くのを感じた。
眠ってしまった眠ってしまった眠ってしまった。
お付きの女官は主人―――とまだいまいち彼女の頭と心は納得と認識を上手く噛み合わせていないが―――が皇帝と床を共にする時にはその様子を一晩中うかがっていなくてはならない。
理由は幾つかある。
一つは主人が上手く皇帝の相手をできているか確認するため。詰まったら助言するために。
そしてもう一つは、主人が下手の行動を起こした時の用心に。
サボンは正直、自分がどちらにしても役に立てるとは思っていなかった。
だがだからと言ってあっさり眠ってしまうというのは…… それこそ不敬にあたるというものだ。
寝所は――― と言えば。静かだ。
そぉっ、と彼女は其の方をうかがう。
え。
「ええええええっ」
思わず彼女はうなっていた。
「ええっええっええええっ?」
寝所には誰も居なかった。皇帝は無論、アリカまで。
サボンは慌ててばたばたと部屋の外へと走り出た。
と。
「あ、おはようございます」
「お、おはよう……」
じゃなくて!!
「あ、あんた、何って格好」
「あ、すみません、ちょっとお借りしました」
準女官服姿のアリカはあっさりとそう言った。手には全体から熱気を漂わせる茶器と、軽い食事。
「と、ともかく……」
ひきずりこむ様にしてサボンはアリカを中に入れた。こんなところ、他の誰かに見られたら。
「あ、陛下でしたら、また今夜も来るとおっしゃられて、明け方頃お戻りになりましたよ」
「そ、そう……」
ふうっ、と大きく息をつきながら、サボンはともかく座って、と同じ服を着たアリカに椅子をすすめる。くす、と微かにアリカの笑う気配があった。
「大丈夫ですよ」
「何がよ」
「陛下はあまり聞かれるのがお好きではないようです」
「……まあ…… 好きなひとは…… 居ないでしょうね」
「とりあえずお
そう言ってアリカはサボンにお茶を注ぐ。
「濃い茶ね」
「宮中の女官の常用はこの茶葉の様です」
「ってあんた誰かに聞いたの?」
「この北離宮の配膳さんに」
「会ったのね……」
「ああ、でも大丈夫ですよ。顔は見せなかったし、髪はほら」
よく見るとアリカの髪は、きっちりと結われている。引っ詰め髪を後ろで髷にし、その上に大きなりぼんを飾る、女官なら当たり前の髪型だ。
そもそも二人が入れ替わることを考え、実行するうえで、彼女達は様々な条件を一応加味してみたのだ。
甘いその色が似ていなかったら、二人はこの計画を考えただけで挫折していただろう。
副帝都のサヘ将軍の自宅から、帝都の宮中まで「サヘ将軍令嬢」は顔を隠された。だが髪は隠せない。美しくお付きに結われた髪は、家族や使用人を含め、出て行くから目に触れられるのだ。
背の高さは靴でごまかせよう。体型はゆったりとしたこの国の服で判らなくなる。
そして顔というものは。
案外記憶に残らないものである。
「配膳さんは忙しくて、私の方を見向きもしなかったですから」
「忙しい?」
「夜は補助の女官が宮殿膳所からお手伝いに来ることもある様ですが、早昼膳については、配膳さん一人で全て行うということで」
「早昼膳?」
「新しい女君は起きるのが遅いだろう、ということで、早めの昼ごはんが朝を兼ねているそうです」
「そんなぁ。お腹空いちゃうじゃない」
「だと思いまして」
くす、とアリカは笑った。
「あなた将軍様のお躾で早寝早起きを心がけられてますから、きっと昨日の今日で今朝はお腹空いていると思いまして」
良く見ると、茶器の乗った盆には、幾らかの腹のたしになる様な、あまり甘くない菓子も置かれている。
「ああありがとう~」
サボンは思わずアリカに抱きつく。どういたしまして、とアリカはその頭を撫でた。
「あ、でも、と言うことは、その早昼の時には、配膳さんが来る訳でしょ?」
「ええ、その時までには、着替えて髪も何とかします」
「そうね、それで」
「はい?」
「……昨夜…… あれで、上手くいったの?」
うーん、とアリカは苦笑した。問うサボンの目の色は不安と好奇心が半々に見える。
「そうですね」
「うんうん」
「でも聞いてはいたんでしょう? 途中までは」
「……あんたが寝所に入った途端、急に眠気が」
「……呑気ですね」
「私もそう思うわ。ああ何とかしなくちゃ。あんたがもしちゃんと孕んだら、私女官だし」
「孕む保証は無いって言ったでしょう」
「人間、一番悪いことを考えておくと後が楽って言ったのはあんたでしょうに」
「それはまあ」
確かにそうだった。
「そうですね…… 一応首尾良く何とかなった、というところでしょうか」
アリカは軽く視線を天井に泳がせる。ふとそこに描かれた模様が目についた。うねうねとした、色鮮やかな。
「ああそうか……」
「何がああそうか、よ」
突然明後日の方角に思考を向けてしまったらしい相手に、サボンは眉を寄せる。
「いえ、昨夜は結構怖ろしげに見えたのですよ。天井の模様が。でも、これ、つづきものなのですね」
「?」
ちょっといいですか、とアリカはサボンを手招きする。寝所へと連れて行く。
寝具は乱れてはいなかったが、取り替えられてもいない。閉ざされていた外窓を開け、障子の光を中に入れる。
「あれです」
アリカは寝台の上に腰掛け、天井を指さす。
「何あれ」
「判りません」
ちょうど寝ころんだ当人の目に入る様に、天井には大きく絵が描かれていた。極彩色と曲線を多用したその絵は、模様と言えば模様かもしれない。
「だから私も初めはただの模様かもしれない、と思って、ひねりを端から端まで数えようと思っていたんですが」
火炎模様にも似たそれをアリカは指さす。
「あんた…… 最中にそんなことしてたの」
「いえ、私だって全く冷静な訳ではなかったし」
「何でそこで冷静でいようとする訳よ」
「だってあなた寝てしまっていたし」
「ってどうしてあんたがそれに気付くのよっ!」
「それはともかく」
話を強引に打ちきる。
「この絵には、どうも、女性の姿が描かれている様なんです」
「女性の?」
「ええ」
言われてみれば。サボンは模様の中に薄ぼんやりと浮かぶ姿に目をやる。まるで模様の中にその絵を埋めてしまいたいかの様だった。
「ただ全体的に細い線だけで描かれているので、夜見ると、無いはずのものが見える様で不気味なんです。でも朝になって、寝台から降りて」
とん、と足を下ろす。
「この天井」
アリカはすぐ上を指す。
「そしてその赤い梁の次。そのまた次。次の間。どんどんその女性の姿が、仕草が、変わって行くんです。模様そのものは同じうねりの繰り返しだというのに」
「あ、でも色が微妙に違うわね」
「ええ。これも夜には気付かなかったんですが」
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