ラビ先生の微熱教室

七海けい

第1話:数学のお話①

 数学なんて嫌いだ


 私は何回、この言葉を言ってきただろう。

 多分、親に言ったありがとうの数よりは多いだろう。


「……こら。勝手に私の自問を喋らないの。恥ずかしい……」


 わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まったに申しつけました。中学一年生。そろそろ、勉強に敵意を抱く年頃です。


「数学、嫌いですか?」


 わたくしは御主人様に聞きました。


「大嫌い。数学の宿題とか意味分かんない」

「それは解けないという意味ですか?」


「違う! ぃや違わないけど……。もうぃい。宿題やめた。漫画読む」


どうせ読むならカクヨムにしてあげたらどうですか? と、わたくしは心の中で呟いてあげます。


「……しかし御主人様。サボっているのがもしお母様にバレたら、明日のおやつは抜きになりますよ?」

「……ママってさ、ちょうど息抜きしてるタイミングに来るよね」


「そうでしょうか?」

「絶対そうだよ……」


 ぁあだこぅだと言いながら、根が良い子な御主人様は、問題集のページをめくりました。


「ぁうー!」


 そして突っ伏しました。


 小3で九九に苦しめられ、小4で割り算と闘い、小5で図形に目を回し、小6で文章題に悶絶した御主人様は、中1で相見えた数学に、色々と言いたいことがあるようです。


「……だいたい何で“数学”なのよ! あんたは“算数”じゃなかったの!? 第二形態なの!? 魔王なの!? ラスボスなの!?」

「いいえ御主人様。高校の数学はⅠ、Ⅱ、A、Bの四体に分裂して、数Ⅲという真のラスボスを召還します」


「ぅがー!! もぅやってられるか!!」

「ご安心ください御主人様。数学Ⅲは理系を選ばなければ戦うことはありませんよ」


「何の慰めにもならないわっ!」

「……では、慰め代わりに一つ」


 わたくしは咳払いをしました。


「……御主人様は先ほど、どうして“数学”なの? と言いましたね」

「言ったけど?」


「御主人様が勉強している“教科”は、やがて“学問”に変身します。国語と英語は語学や言語学、理科は化学や物理学、社会科は社会科学や人文科学……」

「……さてはラビちゃん。私に催眠術をかけるつもりだね? このこの、……」


 御主人様はわたくしの頭を人差し指でつつきました。


「夢の中の話だと思って聞いてください。……さて、学問とは何か? 学問とは、ずばり『それを使えば世界が分かるもの』なんです」

「……数学が分かっても、ママがいつ勉強の様子を見に来るかなんて分かんないよ?」


「なるほど。では、その辺をテーマにしてみましょう。……世界には数学が大好きすぎる頭のおかしい人達──数学者──が大勢います。彼らは、御主人様が学校で頑張って覚えている定理や公式をした人達です」

「要するに、私の敵ってわけね」


「まぁまぁ。……ここで注目したいのが、数学者の言い回しです。料理は作る。芸術は創る。機械は発明する。でも、定理や公式はするって言うんです」

「公式は作ったんじゃないの? xとかyとかをくっつけて」


「数学者は、どんな定理や公式も、発見したって言うんです」

「ふーん……」


「これは、どんな定理や公式も、最初からこの世界に存在していて、自分達が新しく作ったわけじゃないという、数学者の謙虚さの表れなんです」

「そうなの……?」


「はい。数学者は、この世は数学的に美しい世界だと考えています。数学者はその神秘性に惚れ込んで、定理や公式を発見するんです。初めに美しい世界があって、数学者はその次にある。数学者は、世界に対してとても謙虚な人達なんです」

「……で、その私にはちっとも親切じゃない数学者さんの話と、ママの襲来を予測する話は、どこで繋がるの?」


「御主人様は、世界に謙虚ですか?」

「どういうこと?」


「定理や公式は、最初から世界に存在しているんです」

「……?」


「御主人様のお母様は、リビングでTVを見ています」

「ぅん」


「お母様が見ている番組は、一週間で一巡します。1chの場合CMがありませんから、お母様は番組が始まるより前、または終わった後にここへ来るはずです。民放なら、CMのタイミングに来るでしょう。ランダムに来るときは、その番組があまり面白くなかったときです」

「今日は、ママが楽しみにしている民放ドラマがある日だよね」


「しかも、今週はドラマの最終回で延長スペシャルです。お母様が視聴の合間に、わざわざ御主人様の自堕落ぶりを再確認しにはこないでしょう」

「つまり……今日は来ないってこと!?」


「……来る可能性が低いということです」

「やったー!!」


 御主人様は問題集を放り出すと、漫画の棚へと直行しました。

 御主人様は最新号を引っ張り出すと、床にコロンと転がりました。


 漫画に食い入り、ニマニマと笑みを浮かべる御主人様はとても可愛いです。

 

 ──この世は美しい。故に、人は常に、この世に謙虚であらねばならない。


 ぐぅたらで勉強嫌いな御主人様の笑顔には、数学の本質が垣間見えました。




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