第32話

 俺はざぶとんから立ち上がると、ちゃんこの大鍋のほうに向かっていった。

 ちょうどおかわりを用意してくれている下級生の子たちを遮って、鍋の前に立つ。


 ボーンデッドの口の中……といっても俺の胃袋じゃなくて、ストレージから取りだしたひとつまみの黄色い粉を、パラパラと鍋に振りかける。

 呆気にとられている賄いの子に向かって、俺は言った。



『マゼロ』



 「はっ、はい!」と弾かれたように飛び上がった女の子たちは、魔女の実験に付き合わされているかのような形相でおたまをぐるぐると回し、黄色い粉をちゃんこに溶かし込でいく。


 食事の最中だったブソンや他の部員たちは、突然の俺の行動に何事かと様子を伺っていた。



「ボーンデッド殿は、一体どうしたというのだ……?」



「なにか、口から出した黄色い粉を鍋の中に入れてましたよ」



「黄色い粉だと? なんだそれは?」



「さあ? 私は料理が趣味でよくやるんですけど、初めて見るものでした。たぶん調味料だと思うんですけど……」



 彼女らは急に眉をひそめた。そして鼻をヒクヒクと動かしはじめる。

 どうやら……やっこさんの香りアロマに気づいたようだ。



「な……なんだこのニオイは?」



「わかりません! 初めて嗅ぐニオイですっ!?」



「で、でも、悪いニオイじゃないような……むしろ、食欲を刺激されるような……」



「そ、そうだな……! なんというか、実にうまそうなニオイだな……!」



 少女たちは着席したまま首を亀のように伸ばし、スンスンと吸気している。

 岩石乙女の部員たちはかろうじて理性を保っていたが、我が母大の部員たちはガマンできなくなった子供のように鍋のまわりに集まっていた。



「わぁーっ!? ちゃんこ鍋が黄色いスープになってるよ!?」



「これは正確には黄土色」



「なんでもいいじゃねぇか、シター! それよりもこれ、なんて料理なんだ?」



「不明。こんな色のスープは初見」



「でも、なんだかおいしそうですねぇ。心なしか、具材も喜んでいるような……」



「そんなわけあるかよ、カリーフ!」



「ご、ごめんなさぁい!」



「ねーねーボーンデッドさん、これってもう食べられるの!?」



 期待に満ちた顔を、シュバッと向けてくる母大メンバー。

 俺は『アア』とだけ返す。


 ……俺が加えたのは、自作のカレー粉。

 ロッガスの街の聖堂院で、嫁たちに振る舞っていたのと同じものだ。


 『クーグル』でクグッて調べてみたんだが、どうやらこの世界には『カレー』という食べ物は存在しないらしい。


 カレー万能説を唱えている俺としては、それはとても信じられないことだった。

 この世界のヤツらはカレーなしで、今までどうやって生きてきたんだろう、と……!


 ちなみにもうひとつ万能と信じて疑わないモノがあるんだが、そっちは存在した。


 もうひとつは『とろけるチーズ』。ようは『ナチュラルチーズ』だな。

 アレがありゃ、レンガ塀だっておいしく食えちまう。


 逆に、とろけないほうの『プロセスチーズ』は存在しない。

 ソッチは加工するのに技術が必要だから、まだ発明されてないのかもしれねぇな。


 ま、それはさておき……。


 『岩石ちゃんこ鍋 with カレー粉』は皆に配られることとなった。


 たまらないニオイをプンプンさせている鍋を前に、そわそわしている岩石乙女の部員たち。

 しかしブソンが改めて合唱前の言葉を述べているので、誰も手をつけられずにいる。



「……ボーンデッド殿が、我が岩石乙女名物の『岩石ちゃんこ鍋』をさらに素晴らしいものにしてくださった……! これを食べればきっとボーンデッド殿のように強くなれるに違いない……! いいか、心して食べるように……! そもそも岩石ちゃんこ鍋というのは……」



 長くなりそうな予感を察し、うんざりする部員たち。

 そこに、四色の絶叫が割り込んできた。



「おいっしぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」

「うんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」

「ごめなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!?!?」

「いままでに体験したことのない美味……!」



 待ちきれなくなった母大のヤツらが、先に食っちまったようだ。

 椅子から転げ落ちそうになっている。



「なっ、なにこれなにこれっ!? こんなの食べたことないよっ!? かっ勝手に、手が動いちゃうっ! あっはっはっはっはっ! おもしろーいっ! わあっ、やっぱりおいしいーっ!! おもしろおいしいーっ!!」



「くそおっ! なんだよこいつぁーっ!? 食ってるのにどんどん腹が空いてくるっ!? やべえっ!? こいつはやべぇーっ!?」



「うわあああんっ! ごめんなさいごめんなさい! こんなにおいしいものを食べて、ごめんなさぁーーーいっ!!」



「美味の秘密を解析したいのに、脳が命令を拒否している……! 食べることを、そして味わうことだけに集中したいといわんばかりに……!」



 喜怒哀楽を炸裂させながら、カレーちゃんこをかっこむ我が部のメンバーたち。

 うまそうに食べる様を見せつけ、岩石乙女の部員たちからキャプテンの威厳をすっ飛ばしてしまった。


 しつけのなっていない犬のように、彼女らも続く。



「こ、こら、お前たち!? 私の言葉が終わらないうちから食べるんじゃないっ!」



 いつもは鶴の一声も、今は誰ひとり止められない。

 それどころか次々と巻き起こる嬌声にかき消されていた。



「おっ……おいひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」



「なにこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」



「うますぎるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」



 体育会系特有の、よく通る声が鳴り止まない。



「こっ、これ、めちゃっ、めちゃくちゃおいしいっ! も、もう、これだけでいいっ!」



「わ、わたしも! わたしもこれだけあれば他になにもいらないっ! これだけあれば生きていけるっ!」



「ああんっ、もうなくなっちゃった! おかわり! おかわりーっ!」



 しかしいくら呼んでもおかわりはこない。

 なぜならば、給仕係の下級生たちも我を忘れて食らっていたからだ。


 もう叱る事すら面倒になったのか、空になった鍋を手に手に、大鍋の前に集まってくる上級生たち。

 押し合いへし合いしたあと、とうとう鍋を投げ捨て、大鍋から直接食べ始めてしまう。


 ……まるで地獄のバーゲンセールのような光景だった。


 聖堂院の子たちはちゃんと譲り合って並んで、しかも一杯で満たされていたのに……コイツらは奪い合おうとするうえに、胃袋も底なしのようだ。


 最後はとうとう掴み合いまで始めてしまう。

 さすがに見かねた俺は、お釈迦様のように天から手を伸ばし、大鍋を救い出した。



『オチツケ』



 しかし飢えた女子高生たちはたったの四文字ですら目もくれず、折り重なって鍋にすがろうとする。

 もはやカレーちゃんこ以外は視界に入っていないかのようだった。


 その様は女子高生どころか野獣をも通り過ぎ、亡者さながら……!



「ちょちょ、ちょっと待て、おまえらっ! 」



 俺のコクピットからの思いも、もちろん届くはずもない。


 とうとう人間ピラミッドになって、高みにある鍋に達しようとしていた。


 その頂点には、瞳に狂気の色を帯びた両校キャプテンが……!



「くううっ……! あと少し……! あとすこしでボクのものに……! あの中にお風呂みたいに浸かって食べるのが、ボクの夢なんだっ……!」



「逃さん……! これほどのまでに美味なるものを、逃してなるものか……! なんとしてでも手に入れてやるっ……! それこそが、我が武道における本懐なのだから……!」



 ドラゴンボールを掴み取ろうとするかのように、手を伸ばすサイラとブソン。

 俺はさすがに怖くなって、鍋を抱えたまま逃げ出した。



「ま……また逃げたぞっ! 追えっ! メルカヴァで追うのだ!」



 一斉に機動する無数のメルカヴァたち。

 岩石乙女は多数の機体を有しているのだが、ソイツらが全部まとめて動き出したんだ……!


 しかも母大のヤツらまで乗ってやがる……!


 くそっ……!

 フィクションの世界では麻薬入りのカレーなんてのがよくあるけど……俺が入れたのは本当にただのカレー粉だぞ……!?


 なんて思っている間にも、巨体の波が押し寄せてくる。


 ああ、もうっ……!

 これだけの数だと、組み手の時みたいな手加減はできねぇぞ……!

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