2話 忘れたい思い出
サイフォンとは水の
元々店主のいるカウンターの裏には大きなサイフォンがいくつか並んでいたが 、それとは別のやや小さなサイフォンを彼は取り出してカウンター上でセットした。
――――なんでこんなに嫌なのに、俺はこんなことをせにゃならんのか……まったく、やってらんねーぜ。
その間にも店主の心のうちでの
「それではお話し下さい……話し終わる頃に珈琲も出来上がるでしょう」
――――本当は作りたくもないし、話しも聞きたくないがね……。
身も蓋もないことを考えている店主を
「はい、私が忘れたい記憶は大切な婚約者との記憶です……」
「婚約者さんとの思い出ですか」
――――また重そうなのが来たな……下手したらオジさんの心も押し潰されちゃうぞ。
人の話しを聞くのには失礼きわまりない店主の心境だが、当然女性は気づかない。
「ええ、どれもこれも幸せな思い出ばかりです……」
「幸せならものなら忘れる必要なんて無いじゃありませんか」
――――忘れない方がいいと思うけどな、だって忘れちゃったら悲しむことも二度と出来ないんだぜ……?
珍しくまともな考えであるが、店主はこちらも口には出さない。
確かに彼は、他人が珈琲に
だから心の中では好き放題でも、表面上は絶対に言葉を崩すこともしない。
「はい、確かに幸せでした彼が倒れるまでは……」
――――ああ、倒れるまではってことは……まぁそういうことだろうな。オジさん割と
一瞬まともなことを考えたかと思えば、またしてもここで失礼な考えをする。この店主の性格である。
「だからと言って、その記憶が嘘になるわけではないでしょう?」
「その通りです……確かにあった本当に幸せな記憶だからこそ、それを失ってしまった今の私にはその思い出自体が辛い……」
「そうですか……」
――――まぁ忘れたいって言ってる時点で、そうですよね……。
「実は彼、倒れてからスグに亡くなったわけではないんです。私も最初は治るって思い込んでいたのですが、詳しく調べていく内に望みが薄いことが分かって……」
一旦、言葉を句切った女性に店主はなんとも言えない不自然さを感じた。
――――なんだか、ねーちゃんの雰囲気が急に変わったような……。
店主が不自然さの正体を理解するより先に女性は再び口を開いた。
「だから私、それを知った時点で彼の後を追おうって決めてたんです……だってそのくらい彼のことを愛していたから 」
そして女性はまるで愛の告白でもするような優しい声音でそう言った。
うっとりと夢でも見るようにとろけるような微笑み……その表情も恋する
――――はは、なかなか悪くないな……言葉にそこはかとない狂気が混じってることと、目の奥に底知れない暗さがあることを除けばな。
確かに彼女の言葉にも表情にも婚約者への深い愛が
しかしそんな女性の雰囲気は長くは続かず、彼女は一転してため息をついてから自嘲するように笑った。
「だけど、そんな私の考えは彼に
――――まぁ恋人なんだし相手も性格くらいは
「彼のお見舞いに行った時になんの
――――自分の恋人が自殺を考えていると察したなら当然だろうな……というか、どんな様子で見舞いに行ってたんだよ。表面上は普通だったんだよな……?
「そこで私、自分の考えていることがバレたのかって焦っちゃって否定しておけば良かったのに『そんなの無理』って言い返してちゃったんですよね……馬鹿みたいでしょ」
ふと店主は気付いた。仮にも彼女は店主に語っているはずなのに、その言葉はどこにも向けられておらず。その目の焦点もどこにも定まっていないことに。
――――ああ、完全に呑まれてるな……全然こっちをみてねえ。だからといって、この怖いねーちゃんに見つめられるのは何だかって感じだけどな……。
「その後、彼なんて言ったと思います?『もし俺との思い出が、この先お前を苦しめるようなことになるようであれば全部忘れてくれ』って、そんなこと普通に考えて無理に決まってるじゃないですか……」
明らかに無理矢理作ったような笑顔を浮かべて、彼女はふふっと笑った。
――――もうなんかここまで来ると怖いな……さっきから結構怖いけど……!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます