閑話 ある奴隷少女の追憶 その五
エプリが身体に毒を受けてからは、一気に形勢はクラウンへと傾いた。
「いやあ貴女のさっきの表情は見ものでしたよエプリ。必殺の一撃を決めたと思った瞬間、その相手がいなくなって呆然とする姿。そして私に脇腹を切られ、毒で苦悶する歪んだ表情。少しは留飲も下がるというものです」
毒で意識が朦朧としているエプリを蹴り飛ばしながら、クラウンは嗜虐に満ちた笑みを浮かべていた。本当にこのヒトは誰かを虐めるのが好きなのだ。
「クハハハハ……さあて、留飲も大分下がったことですし、そろそろトドメと行きましょうか」
散々エプリをいたぶった後、エプリにとどめを刺すべくクラウンはナイフを逆手に持ち替える。そして大きくナイフを振り上げる姿を、私は再び影の中に潜みながら特に何の感慨も抱くことなく眺めていた。
これがこれからも続く日常になるのだろう。
私はただ奴隷として主人に従い、これからも何度もこのような出来事を見続けるのだろう。そう考えた時……何故だろう? ほんの少しだけ胸の奥がチクリと痛んだように感じた。
そしてクラウンが勢いよくナイフを振り下ろそうとした時、
「…………ぁぁぁぁあああああっ!? ど~~い~~て~~く~~れ~~!?」
空からヒトが降ってきた。
凄まじい勢いでそのヒトはクラウンに直撃するすれすれのところに墜落し、クラウンは当たってこそいないとはいえその衝撃で近くの岩場に吹き飛ばされる。……困った。急なことだったから影で受け止めるまではいけなかった。多分無事だろうけど。
私は岩の影の中に潜んでいたため無事だったけれど、困ったことに今の衝撃で周りに酷い砂埃が舞っている。これじゃあ月明かりが遮られて影を操ることができない。
幸い影に潜み続けるギリギリの分はまだ月明かりも差していたので、私はクラウンの身を案じながら砂埃が収まるまでしばらく様子を見ることにした。
それが、この時はまだ名前を知らなかったけど、私がトキヒサの姿を初めて見た瞬間だった。
二人の話を影から聞くに、二人は雇い主と護衛という私とクラウンの関係にどこか近しいものだった。奴隷と護衛という違いはあっても、どちらも誰かに仕えるという面では同じなのだから。だというのに、
「もう私とお前の契約は切れているんだぞっ!? なのに…………なのになんで私なんかを追いかけてきたんだっ!? 貴重な転移珠まで使って!?」
「……決まってる。約束しただろ? 無事ダンジョンから出たら、何故俺をここまで護ってくれるのか教えてくれるって。まだそれを聞いていないから聞きに来ただけだ」
もうすでに契約は切れているというのに、危険を冒してまでこの男のヒトはエプリを助けに追ってきた。
それも護衛が雇い主を助けに来るのならまだしも、雇い主が護衛を助けに。そしてそれからトキヒサの言った言葉がさらに私を混乱させた。
「仲間が居なくなったら心配するのが当たり前だろうがっ!」
「っ! ……私とお前はただの元雇い主と元傭兵の関係で」
「一緒に戦って! 一緒に食事をして! 一緒に冒険した! それだけでもう仲間だろうがっ!」
仲間? 仲間って何? この二人は主従関係じゃないの? ……分からない。
いや、だけど今それは考えることじゃないのだろう。私は奴隷。ただ主人のために行動するだけ。話の間に砂埃も収まり、影を操るのももう支障はない。
あとは先ほど戻ってきたクラウンに合わせて二人に奇襲をかけるのみ。そして、
「だから動かず待っているのでしょう…………コイツが来るのをねっ! “風刃”!」
私が仕掛けようとした瞬間、話の流れの中自然に私に向けて風刃を放ってくるエプリ。ほんの僅かに仕掛けるべく揺らいでいた影を見破られたらしい。仕方ないので奇襲を諦めて影の刃で風刃を迎撃する。
そこから戦いは一気に目まぐるしく動いた。私へと注意の向いたエプリに対し、近距離転移で一気に死角に跳んで攻撃を仕掛けるクラウン。
だけどそれを見越していたトキヒサがクラウンを抑え、少し離れた所で戦いを始める。……また私とエプリで一対一になったみたい。
こんな時ジロウなら下手に離れず連携を取るやり方で行くのだろうけど、クラウンは転移を多用するためか単独行動がとにかく多い。私の影が支援できる所に居てほしいのだけど、それが主人の意向ならそれに従うだけ。
だけど、戦いといってもこちらは実に静かなものだった。
私が影に潜んでいる以上エプリは後手に回らざるを得ない。しかし今下手にこちらから仕掛ければ、先ほどのように攻撃の予兆を察知して反撃してくる可能性が高い。
そうなると耐久戦だけど、私は潜影の使用による魔力の消費、エプリは受けた毒による体調の悪さが弱点となる。そして互いに仕える相手を援護に行きたいということもあって長引かせたくない。
私はエプリが毒で一瞬でも隙を見せたら攻めかかろうと備えていたのだけど、
「エプリっ! こっちはひとまず大丈夫だ」
トキヒサだけがこちらに戻ってきた時は驚いた。これは……まさかクラウンが!? ……いや、私の首輪に何の反応もないことから死んではいない。
クラウンはいくつかの条件を予めこの首輪に設定している。その一つが
だけど死んでいないにしても主人に何かあったのは事実。敵を仕留めるべく重なっていた影を槍状にして攻撃するが、エプリによって防がれそのまま合流される。
その後しばらくの間にらみ合いが続き、何かしら私に聞こえないよう二人で話し合ったかと思うと、
「……“強風”」
エプリが魔法で周囲の砂を巻き上げ、そのまま砂塵で月明かりを覆い隠そうとする。……いけない! このまま光が差さなくなったら影がなくなってしまう!
これが誘いであるのは分かってはいるけど、攻めるなら影がまだ潤沢にある今のみ。私これまでのように隠密重視で魔力を抑えるのを止め、速攻で仕留めるために数と威力を重視した影の連撃を放つ。
一番に風を巻き起こしているエプリを狙いたいけれど、それを庇いながらトキヒサが一歩また一歩と近づいてくる。躱しきれず自分の身体に防ぎきれない傷を少しずつ刻みながらも。
何故? 何故トキヒサが。
「届かせない」
分からないことが多すぎて、それでも近づかせたらいけないということだけは分かって、私は以前ジロウに向かって放ったような極大の影造形を発動。刃が縒り合さって壁のようになったものをトキヒサに向けて差し向けた。
直線状の物を薙ぎ払っていくそれは必殺の一撃になるはずだった。範囲も広いので横に躱すのも難しい。なのに、
「…………えっ!?」
急に影の動きが止まった。こちらからではよく見えないのだけど、以前ジロウがやったように何らかの方法で相手が止めているようだった。
だけど驚きこそしたけど、動きは完全に止められている訳じゃない。影から伝わってくる感覚からすると、このままでもあと少し時間が経てばおそらく押し切れる。
ならばあとは相手が左右から回避しようとすることにだけ気を付けてこのまま押し込めば良いだけ。そう考えていたら、予想外の光景が目の前に飛び込んできた。
「どおりゃああぁっ!」
「…………!?」
なんとトキヒサが、壁を上から乗り越えて空中から突撃してきたのだ。危ないっ!? ここは影の中に潜って回避を。
「逃がすかあぁっ!」
トキヒサは服の中から何かを掴み取り、空中で私の真上に向かって放り投げた。……何? 私にじゃなくて?
「金よ。弾けろっ!」
その何かがトキヒサの言葉と共に爆発し、爆風が周囲に巻き上がっていた砂塵を僅かに吹き飛ばす。何を狙っているのか知らないけど、砂塵がなくなればこちらとしては好都合。このまま影に潜ってしまえば……これは!?
私は驚いた。今の真上からの爆発の光によって、私の影が周囲から切り離されていたのだ。今や入れる影は私の影のみ。攻撃に回すにしてもこの大きさじゃほとんど使えない。一体どうしたら。
このたった一瞬の躊躇いが勝敗を分けた。この一撃さえ無理やりにでも影に潜って回避してしまえば、時間が経てばまた周りと影が繋がることもあったのだ。だけど焦った私はそのことに気づかず、
「…………かはっ!?」
トキヒサの空中からの体当たりを受け、身体の中から空気が押し出される感覚と共に、私の意識は一度途切れた。
「おい。……おいっ! しっかりしろっ!」
そして次に目を覚ました時、私の目の前にあったのは、ついさっきまで戦っていた相手が私を心配そうに見つめている姿だった。
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