第78話 壁(影)は乗り越えるためにある

「……“強風”」


 まずエプリは、そこらじゅうの地面に向けて強風を放つ。風が辺り一面に広がり、砂塵が舞い上がって周囲に漂う。


 先ほど俺がスカイダイビングをしてエプリの所に来た時、しばらく隙だらけだったのにセプトは何もしなかった。エプリもまだ毒及び怪我でまともに動けず、俺もそんな相手が居るなんて知らなかったから無防備。襲うなら絶好のチャンスだったはずだ。だからクラウンもそれを待っていたのだろう。


 しかし実際には襲ってきたのはしばらく時間が経ってから。これにどうも俺は違和感を感じていた。


 しかしエプリの話を聞いている内にある考えが浮かんだ。……もしかして


 影を操る魔法なのだからまず影が無くては使えない。今は月明かりの光量が十分あるから使えるが、さっきは砂塵が広がることで光を遮っていた。だから砂塵が収まるまで手が出せなかったんではないかという理屈だ。……いきなり人が降ってきて面食らったからというのも否定はできないが。


 ならば影の対処法は簡単だ。また砂塵を巻き上げて月明かりを遮ってやればいい。幸いエプリの魔法はそういうのに長けた風属性。それに精度なども関係なくただ強風を吹き荒れさせるだけならそこまでエプリの負担もひどくない。


「…………くっ!」


 とは言え全く疲れないわけではない。エプリも一瞬身体をぐらりとよろめかせるが、すぐに体勢を立て直して再び強風を発動する。……頼むエプリ。もう少しだけ踏ん張ってくれ。俺は右手に貯金箱を油断なく構え、もう片方の手を切り札を入れたポケットに突っ込む。あとはタイミングの勝負だ。


 ……少しずつ砂塵が巻き上がり、だんだん周りに漂って地面の影が分からなくなっていく。この状況はセプトも面白くないはずだ。ここで考えられる行動は三つ。


 一つはこのまま我慢比べを続けること。しかしこの調子ならエプリが倒れるよりも砂塵が広がる方が早く、影が無くなれば外へ出ざるを得ないからこれは下策。二つ目はこちらの思惑を利用して、漂う砂塵に紛れて行動すること。だけどその場合も一度生身で出なければならないことに変わりはない。そして三つ目は……。


「まだ影がある今の内に一気に押し込むこと…………来るぞっ!」


 地面を見ると、まだ月明かりが照らしている所の影が蠢いた。次の瞬間、そこから何か人影のようなものが浮かび上がる。あれが本体らしいな。距離はここからおよそ二十メートル。そしてこちらに手をかざしたかと思うと、接している影がまた形を変えてこちらに迫ってくる。ここまでは予定通り。あとはどうにかして奴の動きを少しの間止めるだけ……となるはずが。


「ちょっと多すぎないかっ!?」


 さっき俺を襲ってきた時は小ぶりな槍みたいな形のものが一本だけだった。しかし今回はどうだ? 前より明らかに一回り大きい槍が、十本近く同時に襲いかかってきたのだ。コイツさっきまで隠密重視で威力を抑えてやがったな! それがエプリの方にまとめて向かっていくのを見て、慌ててエプリを庇える位置に立つ。


「のわああぁぁっ!?」


 一つ一つはクラウンの投げナイフよりもやや遅いくらいの速度だが、数の暴力という奴は恐ろしい。ボジョが服の中から何本も触手を伸ばして払いのけ、俺も必死に貯金箱を振り回して弾き返していくのだが、弾いても弾いても四方八方から次の影が襲ってくる。


 それもそのはず、影がある限り次の魔法が準備できるのだから弾切れは魔力切れまでない。なんちゅう厄介な魔法だこの魔法っ!


「ぐっ!? あたっ!?」

「トキヒサっ!?」


 エプリには一切当たっていないのだが、少しずつ弾ききれなかった槍が俺の身体を掠めていく。傷はそこまで深くはないが、このままではジリ貧だ。エプリが掩護しようにも、影の攻撃範囲が広すぎて“風弾”や“風刃”では全てを防ぎきれない。


 “風壁”を重ね掛けして周りを囲めば防げるかもしれないが、それでは今使っている“強風”が弱まって砂塵が収まってしまう。これではセプトの動きを止めるどころの話ではないぞ。このままじゃ……。


「……なんて諦めている訳にもいかないよなぁっ!!」


 俺は貯金箱を振り回しながら無理やり前進する。ドンドン防ぎきれない槍が身体を掠め、細かな切り傷が体中に増えていく。でも少しずつ、少しずつだけど確実に人影に近づいていく。


 当初の作戦では、エプリが砂塵を巻き上げながら影の攻撃を食い止め、俺がセプトを影から引っぺがすというものだった。しかしこの魔法はさっきより明らかに威力が大きく、エプリでも片手間では防ぎきれない。ならば作戦変更だ。俺が攻撃を受け止めてエプリが動けるようにすればいい。

 

「……っ!? トキヒサっ! 動かないでっ。こっちは問題ないから!」


 エプリが後ろから叫ぶが止まるわけにはいかない。あともう少し。もう少し引き付けないと。そのためにはまだ近づかなくては……。


「届かせない」


 そんな声が聞こえた気がした。多分女性じゃないかと思われる声が。


 次の瞬間、突如俺の視界が黒く染まった。……それは一瞬一枚の壁のようにも見えたが、これまで使っていた影の槍を全てまとめることで巨大な一つの槍衾のようになったものだった。それはデカくなった分単発に比べて少しゆっくりだが、それでも結構な速さでこちらに向かってくる。


「…………嘘だろっ!」


 マズい。接している影をまとめて使ったって物量でこれはいくら何でも躱しきれない。もはや槍というよりちょっとした波か壁だ。


 俺の頑丈さはもはやちょっとした自慢になるレベルだと思うけど、あれはいくら何でも痛いだけではすみそうにない。直撃したら串刺し待ったなしだ。……と言うより躱したら後ろにいるエプリに直撃するコース。


 …………使? いや、だけどそれじゃあトドメの一撃が……え~いどっちみち今を乗り切らないと意味は無いか。多少俺も巻き添えを食うかもしれないが仕方がない。


「食らえっ!! 必殺の」

「ボジョっ! 私の所に触手を伸ばしてっ!!」


 俺がここまでポケットに入れたままの切り札を出そうとした時、エプリが後ろからそう叫んだ。何だかよく分からないが、ボジョは素早く触手を伸ばしてエプリの所に届かせる。……もしやこのまま引っ張ってバンジーみたく引き戻そうってんじゃないだろうな?


「トキヒサっ! ! そのまま進んで! ……目の前のそれは私が何とかするっ!」


 エプリのその言葉に一瞬不安が頭をよぎった。目の前の巨大な影の波を何とかできるものなのだろうか? しかも普段のエプリならともかく、今のエプリは毒で身体が弱っている。……だがこの土壇場。一つ間違えば死ぬであろうギリギリの状況で作戦続行と言うのだから勝算があるはずだ。


「私を……信じてっ!」

「分かった!」


 そしてこの言葉で不安は晴れた。エプリは仲間だ。……俺は仲間の言葉を信じる。


「うおおおおっ!!」


 俺は自分から影の波に向かっていった。あれは直撃したらきっと滅茶苦茶痛い。下手すりゃ死んでしまうかもしれない。……だけど俺はその影でなく、その影の向こうにいるセプトに集中した。目の前の影はエプリが何とかしてくれるとその一心で。……そして、遂に俺の目前にまで影が近づいたその時、


 ギシッっ!


「……っ!?」


 妙な音がしたかと思うと、目の前の影が突然何かに阻まれたように動きを止めた。その理由は…………


 俺は走りながら後ろをチラリと見る。するとそこには、エプリが地面の影に手をついているのが見えた。そしてその影はボジョの触手の影を伝って俺の影に繋がっている。


 ふと耳元に、エプリの呟く声が聞こえた気がした。「使」って。確かにエプリは風属性しか普段使わないけど、それ以外の適性があってもおかしくないよな。


 しかしエプリの体調は最悪。顔色も悪く、嫌な感じの汗が頬を伝っている。歯を食いしばって耐えている様子から、これはほとんど保ってられないというのが一目瞭然だった。


 だが、そうだというのにエプリの造った影の網は、こちらへなだれ込もうとする影の槍を完全に押しとどめていた。……おまけに網の一部に足が掛けられるようになっていて、そのまま階段のように駆け上がれる形になっている。


 エプリの奴無茶をして…………だが、今は戻ってエプリの体調を気遣う時じゃあない。力を振り絞って作ってくれたこのチャンスを無駄にすることだけはしてはいけない。今は前に進むことだけを考えるっ!


 網の一部に足を掛けて、そのまま槍も含めて足場にする。ダッダッダッとテンポよく影を駆け上がり、そのまま一番上の部分に到達してセプトの方を見た。残り距離はあと僅か。まっすぐ突き進んだことで一気に近づいたためだ。


 …………奴はこちらに気づくのが少し遅れた。それもそうだろう。巨大な影の波。それは勝負を決めるための必殺の一撃。だがその勝負手が突如動きを止めれば、一瞬だけでも動揺するはずだ。そしてその止まった影をまさか乗り越えてくるなんてことは想定していなかったと思う。そのためセプトが俺に気づいた時には、


「どおりゃああぁっ!」


 俺は走るそのままの勢いで、セプトに向かって本日二度目のスカイダイブを決行していた。

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