第38話 商人と用心棒

「エプリっ! 応急処置頼む!」


 俺のその言葉に、油断なく周囲を伺っていたエプリは小走りでゴリラ凶魔の所に駆け寄る。ゴリラ凶魔は倒れたが、その安心した隙を突いて襲われたらたまらないからな。周囲を警戒するのは納得だ。俺もしとくべきだったかな?


「安心しろ。ここに来るまでにざっと探ったが、近くに敵意を持った奴はいない」


 警戒するエプリに謎の男、アシュはそう声をかける。摘出した魔石を懐にしまい込んだ後、彼は腕を組みながら近くの壁によりかかっていた。エプリと同じように周囲を探る能力を持っているのだろうか?


 エプリは警戒を緩めず、そのままローブの内側から取り出した布で傷口の血を簡単に拭う。大まかに血を拭ったら、新たに取り出した小瓶から何かの液体を患部に振りかけた。


 ……あとで聞いたところ、液体はファンタジーではお馴染みのポーション。いわゆる回復薬らしく、患部にかけるタイプと飲ませるタイプの二種類があると言う。かけるタイプは患部のみの回復力を一気に高め、飲ませるタイプは身体全体の回復力を高める代わりに時間が多少かかるという。


「はあっ。はあっ。……雇い主を放って一人で先に進むなんて、まったくなんて用心棒ですか」


 そんな声が部屋に繋がる通路の一つから聞こえてきたのは、丁度エプリがゴリラ凶魔の傷口に応急処置を終えて止血が済んだところだった。エプリは素早く俺の前に立って身構える。俺もポケットの中に手を入れて硬貨を数枚握りしめた。


 ……通路から現れたのは一人の少女だった。年のころは十三、四くらいか? 蜂蜜色の髪をストレートに腰の近くまで伸ばし、前髪を花を模った髪留めで軽く留めている。動きやすそうな布製の服装に、片手にはカンテラのような照明器具。そこから放たれる光は部屋の中をそれなりに明るく照らしている。


 しかし、彼女の特筆すべきところはそこではない。彼女は明らかに体格に合わない巨大なリュックサックを背負っていたのだ。中に何が詰まっているのかは分からない。しかし、背の低い大人なら丸々一人入れるサイズのリュックサックがパンパンになっている。そして、それを軽々と背負っている少女にはどうにも違和感がぬぐえない。


「おう! 悪い悪い。しかし、契約の時にも言っておいたはずだぜ? 俺は用心棒ではあるが従者じゃない。よってだって。さっきは特に周りに危険はなさそうだから先行しただけさ」

「先行するにしても説明ぐらいしてから行ってくださいよ。いきなり『ちょいと行ってくる』って言って先行するものだから、理由を聞く間も止める間もなかったですよ。…………にしても、何ですかこの状況は?」


 現れた少女に、アシュは軽く手をあげて笑いながら話しかける。どうやら知り合いのようだ。少女の方は部屋を見回し、俺やエプリに目を向ける。


「まっ、ちょっとした成り行きだな。なあに。すぐに終わるさ」

「すぐにって…………ちょっと!? それ凶魔じゃないですか!! なんで治療なんか!?」


 少女はアシュと話していたが、ゴリラ凶魔に目を止めるとひどく驚いたようだった。それも当然だよな。肉体を持った現象とか言われて、手当たり次第に誰彼構わず襲い掛かるような相手を治すなんて何考えてるのかって話だよ。


 少女は一目散にアシュの所に駆け出して彼の後ろに隠れる。……どうやら盾にしようとしているらしいが、アシュが全然動じていないのを見て少し落ち着いたのか、恐る恐るといった風に顔を出して覗き見ている。……なんか微笑ましい。


「…………見て。戻り始めた」


 エプリの言葉を聞いてゴリラ凶魔を見ると、確かに少しずつだが戻り始めていた。四本あった腕のうち、二つはそのまま身体に引っ込むように小さくなっていく。幸いアシュが切り落とした腕は引っ込んでいく方のようで、これなら隻腕にならずに済みそうだ。全身を覆っていた緑の剛毛は薄くなり、少しずつだが地肌が見えてくる。凶魔の証である角も縮んでいき、最初に会った時の半分程度になってきた。よし。このまま行けば人に戻れそうだ。


「…………なんなんですかねぇこの状況? 折角ダンジョンに入ったのにちいっとも儲からないし、雇った用心棒は勝手に行動するし。挙句の果てに……ホント訳が分からないですよ」

「へえ…………本当に変わるとはね。こいつは……」


 アシュや少女も、この光景を見て唖然としている。それはそうだろう。今の今までゴリラのような凶魔だったのが、徐々に人の姿になっていくのだから。ほら。どんどん地肌が露わになっておく。どうやら男らしいな。歳は三十いくかどうかって所か。ゴリラじゃなくなっても中々に筋肉のついた身体だね。腹筋なんかしっかりと割れて…………って!! これはマズイ!!


「だ、誰かっ!! 布でも毛布でもいいから何か掛ける物を! さもないと色んな意味でマズイことになるぞ!!」

「…………さっきの布の余りを掛けておく。余りだから身体全体は覆えないけど」

「構わない! 特に下半身を重点的に頼む!」


 俺の言葉にいち早く反応したエプリが、さっきの余り布を素早く元ゴリラ凶魔の男に掛ける。……気のせいかフードから覗くエプリの顔が少し赤くなっていたような。……だがおかげで助かった。もう少しで色々見えてはいけないモノまで見えてしまうところだった。


 だって考えてみたら、ゴリラ凶魔は服を着ていなかった訳で、当然だがそのまま人間に戻るってことは…………つまりはそういう事だ。野郎だけならともかくここには女性もいるからな。こういう事は未然に防ぐのが一番だ。





「しかし、この人どうしたもんかね」


 完全に人に戻った元ゴリラ凶魔の男を前に、俺は頭を抱えていた。助けたいと思ったのは嘘じゃない。しかし、流石にダンジョンを裸の男を連れて脱出するのは一気に難易度が跳ね上がる。なので散らばっていたスケルトンの骨を使って簡単な焚き火を作り、男の意識が戻るまで俺とエプリは男の傍で待つことにした。したのだが……いくら待っても叩いてもつねっても、一向に男は目を覚まさないのだ。


「相当身体に負担がかかっていたみたいだな。俺も初めて見たけど、こういうのはいつまで眠り続けるか分からんぞ。下手すりゃ何日かかかるかもな」

「そうですか……。あの、ありがとうございますアシュさん。助けてもらった上に付き合ってもらって」


 そう。本来は俺とエプリだけで待つつもりだったのだが、何故かアシュさんと少女も同じ部屋に陣取ってくれている。流石に全員が付き添っていても意味がないので、交替で通路の方を見張りながらだが。今はエプリが周囲の様子を確認している。


「ハハッ。良いって良いって。一応俺も助けるのに一役買った訳だし、結末ぐらいは見届けないとな。それに、うちの雇い主にも丁度休憩を挟ませたかったしな」

「だから休憩なんかいいですってば! こんな金にならなそうな人達は放っておいて、さっさと行きますよ。用心棒さん」

「嘘言いなさんなよ雇い主殿。まだ膝が笑っているぜ。もちっと休んでいかないと途中でへばるのは目に見えてらぁ。休むついでに人助けしたって罰は当たらないさ。人間困った時はお互いさまってな」


 今にも少女は出発しようと意気込んでいるが、アシュさんはまあまあとなだめながら動こうとしない。少女も自分が疲れていることには気づいていたのか、それ以上反論せずに悔しそうな顔をしながら焚き火の前に座り込む。アシュさんはそれを見ると軽く笑って自分も焚き火に当たりはじめた。…………なんかアシュさんって誰かに似てる感じなんだよなぁ。あの飄々としているところとか、やたら戦闘力が高いところとか。


 それにしても。俺は軽く自分の持ち金を確認する。今回の人命救助にまったく後悔はしていない。していないが、自分の懐が予想以上にダメージを受けたことはキツイ。今回ゴリラ凶魔相手に使った金は、銅貨や銀貨全て合わせて三百九十デン。アレ相手にそれだけで済んだことを喜ぶべきなのだろうが、倒したわけじゃないので当然収穫はゼロ。


 一番期待できそうな魔石はアシュさんに渡した。今からでも言ったら返してもらえそうだが、ピンチのところを助けてもらったからな。その分の礼ってことで。部屋に散らばっていたスケルトンやらボーンビーストの素材はほとんどが傷物になっていて、精々焚き火用にしかなりそうにない。ダンジョン用核も似たようなもので、なによりこのメンツの前で換金するという訳にもいかない。おまけに、


 ぐう~。


 さっきから見張りに立っているエプリの腹が鳴っている。どうやらエプリは魔法の能力は高い分、エネルギーの消費も他よりも高いらしい。ゴリラ凶魔との戦いで“竜巻”だの“二重強風”だの相当使っていたからな。


 彼女は以前非常食は二日分あると言っていたが、それは少しずつもたせればという意味だったらしい。今も非常食らしい物、どうやら押し固めたパンじゃないかと思われる物を口に放り込んでいるが、腹の音は定期的に鳴り続けている。微妙に手がプルプルと震えていることから、どうやら恥ずかしいとは思っているらしい。


「はあ~。金も無ければ食事もない。ないない尽くしで参ったよまったく」

「おっ! お前さん飯はないのか?」


 つい口をついて出た愚痴に、アシュさんが耳ざとく反応する。よく見れば自分は何か饅頭のような物を頬張っている。少女もパンのような物を齧っているが、こっちは牢で出た物よりも上等な感じがする。


「俺の分はまだ有るんですが、エプリ……仲間が腹を減らしているのに自分だけ食うのもなんだかなぁって思って。それにここから出るまであとどのくらいかかるか分からないから節約しとかないと」

「成程ねぇ。…………よし。良かったなジューネ。

「今の言葉聞いていなかったんですか? 金が無い相手に何を売りつけろと?」

「なあに。金は俺が払ってやるよ。さっきの魔石は良い値が付きそうだしな。それに比べりゃ食事位安いもんさ」

「…………それならまぁ儲け話にはなりそうですね。良いでしょう」


 二人は何やら話し込んでいたが、どうやらまとまったらしく少女がこちらの方を振り向いた。何故かその表情は凄まじいほどに笑顔だった。……これはあれだ。いわゆる営業スマイルだ。しかもとびきり練度の高いやつ。よほど練習を積んだのだろう。


「さてさて、ようこそお客様。ジューネのお店に!」


 そこで少女、ジューネは背負っていたリュックサックを降ろすと、上の方にあった留め金をパチリと外した。すると、


「おっ、おお~!!」


 驚いたことに、そのままリュックサックは中身を出しながら広がった。しかしただバラけるのではない。それは言わば変形だった。一部は取り外されて簡易型の椅子と台になり、台の上には様々な品物が並んでいる。また別のパーツは小さな屋根と簡単な壁を形作り、畳二畳ほどのちょっとしたスペースを造り出していた。奥の方には台の上に収まり切れなかった品がまだあるようだ。成程。これは確かに移動式個人商店だな。


「ちょっとした食料や日用品。あるいは簡単な武器防具からご禁制ギリギリの品まで、取り扱いの広さは我が店のちょっとした自慢でございます。どうぞお気に召すものがあればお持ちくださいませ。……無論お代は頂きますが」


 そしてジューネはそれまでの天使のような営業スマイルを解くと、一転して小悪魔のような少しだけ邪気を感じさせる笑みを浮かべてこう締めくくった。


「ただし、必要のない物までお買い上げいただくことになってもご容赦を。何せ私…………商人ですから」


 こうして俺は、この商人と用心棒の客になった。ダンジョン内で買い物と言うのも不思議な気分だが、これもまたロマン……かもしれない。

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