閑話 暗躍する者達
◇◆◇◆◇◆
「……そろそろ寝たわよね」
ここは時久の牢の隣。そこの住人たるイザスタ・フォルスは、部屋に設置したハンモックに揺られながら耳を澄ましていた。隣の牢からは物音はない。それもそのはず時刻は夜中の一時。この牢では娯楽らしい娯楽はあまりなく、囚人は皆早寝早起きが基本である。
「毎日毎日。トキヒサちゃんたら誰と話してるのかしらね。まぁアタシも人のことは言えないけど」
イザスタは音もなくハンモックから降りると、隣との穴を塞いでいるウォールスライムを軽く撫でる。スライムは返事がわりにモゾモゾと動きだし、時久と話していた時のように牢の入口に移動する。看守として囚人を見張るのではなく、囚人を他の何かから護るように。
「さてと」
彼女は首に提げていたネックレスを持ち上げる。砂時計を象った物のようだが、中の真っ赤な砂は途中で停まっている。
「声紋確認。イザスタ・フォルス。……リームに繋いで」
砂時計は一瞬光を放ち、そのまましばらく点滅する。そのまま続けること五、六度。
『……どうしましたか? 定期連絡はまだ先の筈ですが』
突如砂時計から女性の声が発せられる。落ち着いた口調に澄んだその声質は、大人のようにも子供のようにもとれる不思議なものだ。
「夜中にゴメンね。でも緊急の用事なのよん。……
『…………確かなのですね?』
イザスタの言葉に相手も一瞬沈黙し、そのままの調子で確認をとってくる。
「まず間違いないわ。一緒に行かないかって交渉して、ひとまず明日から同行することになったの」
そう言うイザスタの声は少し弾んでいる。まるで翌日の旅行をワクワクしながら待つ子供のように。或いはこれからの逢瀬を楽しみにする乙女のように。
『そうですか。分かりました。貴女がそう言うのなら問題ないでしょう。他のメンバーには私から伝えておきます。その人のことは次の定期連絡の時に詳しく報告してもらうとして、それまではイザスタさんに一任しますよ』
「了解了解。お姉さんに任せておきなさいって」
砂時計からの声に対し、軽く胸を張って答えるイザスタ。……と言ってもこれはどうやら音声のみのやり取りらしく、互いの姿は見えないのであまり意味はないのだが。
『これで五人。あと二人ですか。来ていることは確定しているのでイザスタさんも引き続き捜索を』
「はいはい。分かってるわよん。“副業”と一緒にやっていくから少し時間がかかるかもだけどねん」
『例の『勇者』の情報集めですか? 依頼である以上仕方ありませんが、ただしそれはあくまで“副業”。“本業”の方も忘れないように』
その言葉が終わると同時に砂時計の点滅も終了する。通信が終了したようだ。
「相変わらず忙しいこと。仕事とは言え時間はまだあるんだから、もう少しのんびりすれば良いのに」
イザスタはそうポツリと呟くと、牢の入口に待機しているウォールスライムをおいでおいでと手招きする。近づいてくるスライムに対し、
「今日もありがとね。これは明日の分」
いきなり自らの指に歯を当ててわずかに噛み裂いた。じわりとにじみ出る血液。それをウォールスライムにほんの一滴だけ垂らす。深紅の雫はスライムにポタリと落ち、そのまま浸み込んですうっと消えていく。するとスライムは一度波打つように大きく震え、もっともっとと言うかのように身体の一部を触手状にして伸ばす。
「だ~め。一日一滴だけって約束でしょ。飲みすぎると……
そう言ってウォールスライムを優しく撫でさするイザスタ。そのすらりとした長い指には、今の出来事がまるで嘘であったかのように傷ひとつ見当たらなかった。
同時刻。トキヒサ達が居る牢屋の上、王城の一室にて。
「夜中に突然の訪問とは何のようかね?」
「トキヒサ・サクライの出所許可を頂きたい。至急だ」
この部屋の主、ヒュムス王補佐官ウィーガスに対して、ディラン看守が詰め寄っていた。
「貴様!! 閣下に向かってなんだその態度は!」
業務報告をしていたヘクターは憤る。それも当然。一看守が王補佐官に対してこのような夜更けに連絡もなく突然押しかけ、なおかつこのような態度。普通なら不敬罪に問われてもおかしくない。
「まあ待てヘクター。この者とは古い仲だ。話を聞こうではないか。……続けたまえ。トキヒサ・サクライとは数日前に牢に入った囚人のことだな?」
ウィーガスはヘクターをたしなめるとディランに続きを促す。だが口調は穏やかなものの、その眼は鋭くディランを見据えている。
「良く知っているくせに白々しいな。そのトキヒサ・サクライの出所許可を頂きたい。すでに他の部署には話を通してある。あとは貴方のサインさえあれば明日には釈放だ」
そう言って、ディランは部屋の机に持っていた書類をズラリと並べる。そこにはトキヒサ・サクライを出所させることを認めた旨が何人もの有力な役人のサインと共に記されていた。サイン欄の一部が空白になっているのは、そこにこの部屋の主のサインを加えることでこれが完成することを示している。書類に眼を通して不備がないことを確認すると、ウィーガスは軽くため息をついてディランに向き直った。
「成程。確かに最低限の条件は満たしている。お前は囚人達に対してある程度の権限が有るからな。それに私のサインを加えれば囚人を釈放させることも可能だろう。だがこれはあくまで減刑措置の一種。特別房に入るような罪を犯した者は意味がないのではないかね?」
この国に終身刑は存在しない。罪状に応じて懲役が追加されていき、それに合わせた労働をこなすか罰を受けることで減っていくシステムだ。そのため場合によっては懲役数百年といった状況になる。実際この世界には、数百年生きる種族も少ないながらも存在するため間違いではない。
だが特別房に入るような囚人は特殊だ。何らかの理由で罪が償いきれない、または罪を償う気がない者達である。今回の時久の件もそれであり、罪があまりにも大量にありすぎて生半可なことでは償いきれないのだ。
「……そうだな。貴方の言うとおりだ。いくら俺でもあまりに多すぎる罪状を減刑することはできない。トキヒサは相当数の罪を重ねているからな。全てを帳消しにすることはできないだろう」
「それならさっさと帰るがいい。閣下はそのようなことに煩っている暇などないのだ」
ディランが静かに言うと、早く話を終わらせようとヘクターが追い打ちをかける。実際その言葉は正しい。ウィーガスは多忙であり、常に国家の運営に関わるいくつもの仕事をこなしている。本来なら話す時間など取らずにそのまま退出させることもあり得た。それなのにわざわざ時間をとったのは、本人が言ったようにウィーガスとディランが古い知己だということが一点。そして、
「……ただ、その罪状の大半が意図的に仕組まれたものならば話は別だ」
「ほう? 仕組まれた? 実に興味深いな。誰がそんなことをしたというのかね?」
「何処までしらばっくれる気だ? 貴方だよ。ウィーガス王補佐官殿。貴方がトキヒサ・サクライにあらぬ罪を着せたのだろう? 情報はこちらも掴んでいる」
そして、ディランが権力云々は別にしても国内に高い影響力と広い人脈を持ち、事の真相に辿り着く可能性が高いことを、ウィーガスは知っていたからでもあった。
「何でそんなことをしたのかは知らないが、こちらも金を貰って頼まれた身でね。奴は俺が責任を持って出所させる。正式にはまだトキヒサに判決は下っていない。貴方なら仕組まれた分の罪状は撤回出来るはずだ。違うか?」
強い口調で罪状の撤回を要求するディラン。ウィーガスはその言葉を黙って聞いていた。ただ、二人の視線は空中で交差しながらも、互いにどこか別の何かを見据えているようでもあった。
「金を貰って……か。まさか数日であの額を払いきるとはな」
ウィーガスは僅かに驚きと称賛の気持ちを乗せて呟いた。
「あれは元々囚人に希望を持たせるためのものだ。これだけ貯めれば出られるという救いの道。ただしまず貯めきることの出来ない見せかけの希望でもある。人は日々のちょっとした贅沢や娯楽で貯めた金をすぐに使ってしまうからな。小悪党では目先の欲に囚われて払いきれない。そうして僅かな満足と引き換えに労働刑に従事し、罪を償い終えるまで働き続けるというものだったのだがな」
「俺としても予想外だった。まあ正確に言えば金を出したのは別のやつだが、規則は規則だ。貴方には悪いが何としても冤罪を撤回させて許可を貰っていくぞ」
ディランはそう言うと、部屋に備え付けてある来客用の椅子を一脚用意してそこに座った。ウィーガスの考えは分からないが、そう簡単には首を縦には振らないだろう。しかしこちらも自分の受け持つ囚人が大金を払ってまで出所を望んだのだ。その分ぐらいは動かねば筋が通らない。時間いっぱいギリギリまでここで粘る。内心そう考えて長期戦も辞さない覚悟だったのだが、
「……………………よかろう。許可を出そう。罪状の方も撤回しようではないか」
「……何!?」
この答えにディランは一瞬間の抜けた表情をしてしまう。この老人の性格なら散々交渉して譲歩を引っ張り出すまでが勝負だと思っていたのだ。こんなあっさりと認めるとは全くの予想外だった。
「閣下!! よろしいのですか?」
ずっと傍に控えていたヘクターも思わず口を出す。彼もまた主のこの行動は予想外だった。「構わぬ」と一言返し、ウィーガスはペンで書類にサインを書き記していく。その達筆でみるみるうちに書類の空白は埋まっていく。
「俺が言うのもなんだが、やけにあっさりと許可をくれたな」
「ふっ。簡単なことだ。奴はイレギュラーではあるが、こちらに引き込んでもあまり旨味がない。ならばお前に貸しを作っておいた方が何かと役に立つだろうと考えたまでのこと。ヘクター。調査書をここに」
「はっ!」
命を受けたヘクターはそのまま部屋から退室していく。それを見送ったディランだが、何やら急転直下の展開に驚きを隠せない。
「調査書? 何の?」
「見れば判る。…………来たか」
少しして部屋に戻ってきたヘクターの手には、数十枚にもわたる書類の束があった。ウィーガスはそれを机の上に置かせると、読んでみろとばかりに何枚かディランに手渡す。
「これは…………城内で噂になっている『勇者』様の情報か。名前に人相、体型や年齢。持っている『加護』まで。よくもまあここまで調べたものだ」
興味はそれなりにあるが、なぜ今これを見せられるのかが分からない。ディランはパラパラと書類をめくっていった。そして終わりの方に差し掛かったところで、彼の手がピタリと泊まる。
「…………ちょっと待て。これは一体どういうことだ!?」
そこに書かれていたのは、本来ここに載っているはずのない者。トキヒサ・サクライの名前だった。
「つまりはこういうことだ。本来『勇者』は言い伝えでは四人。ただし何らかのはずみで、五人目の『勇者』と思われる人物が現れた。それが彼だ。ヘクター等の私の手の者に命じて彼のことを調べさせた結果、一つの結論に達した」
ここまで淡々と話していたウィーガスはそこで一度言葉を切り、トキヒサの書類を手に取ってもう一度見直した。そして以前と変わらないことを確認し、僅かな落胆の色をにじませながら結論を述べた。
「彼、トキヒサ・サクライは、
それぞれの思惑は少しずつ絡み合いながら、こうして夜は更けていく。
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