第90話 ヨーロッパの魔討士の事情
体が地面に落ちる鈍い音と悲鳴が上がってカタリーナが地面に倒れ伏した。
腕を極めたまま地面に押さえつけて銃を払う。
銃が赤く輝く床を滑って行った。
うまくいったな……この投げ技は師匠には全然通じなかったけど。
華奢な体に体重をかけると、カタリーナが苦し気に息を吐いた。
なんとなくいい気分はしないけど、油断してこっちが足をすくわれちゃかなわない。
「なんなの……カタナ無しなのに……」
「甘く見ないでほしいね」
師匠の方針で、お前はあくまで剣士だ、ダンジョンの中で風で戦うだけになるなという方針がある。使い手の体が動かなければ能力も無駄、ということらしい。
だから刀の稽古も格闘技も徹底的に叩き込まれた。
そもそも普段の稽古は鎮定は使わない。
風が使えなくても人間相手ならそう簡単には負けないぞ
「君は……いや、君たちは何なんだ」
「言うわけないでしょ」
僕を睨むようにしてカタリーナが言う。
今までの明るくて気さくな感じは全くしない。まるで別人だ。
どうしようか考えるより早く。
「カタリーナ、大丈夫か?」
パトリスがオブジェクトのような四角い筒の陰から姿を現した。
◆
状況を見たパトリスがすべてを悟ったらしく唇をかみしめた。
手には白く輝くアーチェリーのようなものが握られている。
当たり前だけど、こっちも能力持ちか。
「君達は何なんだ?……いや、そんなことはどうでもいい」
絵麻と朱音の姿が見えない。一緒に居たんじゃなかったのか。
「僕の妹はどうした?」
「【書架は東・記憶の3列。二十五頁三節。私は……】」
パトリスが弓を構えようとする。檜村さんが詠唱に入ったけど、不意に詠唱を止めた。
視線を上げると朱音が走って戻ってきているのが見えた。
◆
無事だったと安心したけど……朱音一人なのか。
それに、一瞬安心したけど、むしろこの状況は不味い。
「パトリス!」
カタリーナがパトリスに促すように叫んだ。
「カタリーナさん?それに兄さん……何してるの?」
朱音が立ちすくむ。
パトリスが朱音をちらりと見た。朱音がパトリスから後ずさってはなれる。
風で足くらいは払えるか。
「一刀・薪風……」
「待った」
パトリスが弓を持った手を挙げた。
「この状況は偶然だ。戦う気はない」
そう言うと同時に、弓が消えた。あれは鎮定と同じような武器らしい。
「こちらの話を聞いてくれ」
「待ちなよ、パトリス。命令に背く気?」
カタリーナが僕に押さえつけられたままでパトリスに食って掛かる。
「ああ、そうだ。もとより騎士たるものとして、今回のやり方は好みじゃなかった」
「アタシたちは好きとか嫌いとか言える立場じゃないでしょ」
カタリーナが言い返すけど。
「かもしれないな。だが、そもそもそんな風にお前が伸されていてどうしろって言うんだ?」
パトリスが冷たく言ってカタリーナが黙った
「兄さん、聞いて。絵麻が連れていかれたの……でも、この人たちは絵麻を助けようとしてくれたのよ」
「そうなのか?」
聞き返すと、朱音がパトリスを見て頷いた。
「その通りだ。詳しいことは後で話すが、君の妹を連れて行ったのは我々とは関係がない」
パトリスが言って、真剣な顔で僕を見た。
「取引をしないか。君の妹を救う手助けをする。
代わりに我々の頼みも聞いてほしい。君達には彼女は追えない。我々ならできる」
「なぜ追える?全部お前らの差し金じゃないのか?」
「君の妹を攫ったのは我々にとっても敵だ。我々を信用しろとは言わないが、こう考えてほしい。敵の敵は味方だ」
そんなことを言っているうちに、ダンジョンの赤い光が消えた。
誰かがダンジョンマスターを倒したんだろう。
地面を覆っていたパネルのようなものがばらばらとはがれて行って、緑の芝生が現れた。
白い電気の光があたりを照らす。幕のような赤い光が消えて、渋谷のいつもの夜景が戻ってきた。
遠くの方から魔討士たちの勝鬨と、たぶん周りで見ていた人たちの歓声が聞こえる。
でも、僕の方の戦いはまだ終わってない。
「どうする?」
パトリスが答えを促す様に僕を見る。
少し考えたけど……妙案は思いつかなかった。確かに誰が絵麻を連れて行ったのか、どこへいったのか、全くわからない。
腹立たしいけど、選択の余地は無いのか。
それに今一番大事なことは、絵麻を助けることだ。
「チョット、いつまで乗っかってるつもり?」
カタリーナが抗議するように言って身じろぎした。
極めていた関節を解いて体をよけると、カタリーナが素早く立ち上がって僕と距離を取る。
「……謝らないよ」
「まあ仕方ないわネ」
カタリーナが肘と手首を振りながら芝生に転がった銃の方を見た。
「どうする?」
パトリスが聞いてきた。
「……檜村さん、付き合ってもらえますか?」
「前も言ったよ、片岡君。私は君を大切に思っている」
そこまで言って檜村さんが頬を染めて俯いた
「ああ……その、だから、君の大事な人も大切に思っているよ」
「ありがとうございます」
「あの……兄さん」
「朱音、お前は帰るんだ」
相手がだれかは分からない。でも、この先戦いになるのはほぼ間違いない。
朱音の治癒術は頼れるけど……巻き込みたくない。
朱音が僕を睨んで俯いた
「悔しいね……」
朱音が静かに言う。小さな手が悔しそうにスカートをきつく握りしめていた。
「早く強くなりたい……一緒に行くぞって言ってもらえるように」
そう言って朱音が僕を見上げた。
「絶対に戻ってね。絵麻も」
「勿論、分かってる」
◆
警官と見物人と戦い終えた魔討士達で混雑する宮下公園の階段をカタリーナが先導して下りていく。
宮下公園の傍の道路わきに黒いスポーツワゴンが停まっていた。
CMで見た国産の新型だったはずだ。カタリーナが迷わずその車に歩み寄る。
「乗って」
カタリーナが言って、当たり前のように運転席に乗り込む。
観音開きに開いた広いドアから後部座席に乗り込んだ
カタリーナがエンジンをかけるとメーターやナビの画面に光が灯って、暗い車内が白いイルミネーションのような光に照らされる。
「行くわよ」
静かにスポーツワゴンが走り出した。
直ぐにスピードを上げて込んでいる道を縫うように走っていく。
「この車は?まさか盗んだとかじゃないだろうな」
「違う」
パトリスが短く答える。
ということは、彼らの所有物なのかなんなのか。どういうことなんだろう。
パトリスがスマホを見ながらカタリーナに指示を出して、カタリーナが車を走らせる。
「じゃあ聞くぞ?」
「構わない」
カタリーナがいいのかって顔でパトリスを見る
「まず、お前たちは何なんだ?」
「俺達はEUの
「軍隊?……年いくつ?」
「そこは嘘はついてないよ」
パトリスが答える。
僕と同じ年で軍隊に入って訓練まで受けてるのか。どんな境遇なのか。想像もつかない
「場合によっては
カタリーナが言うけど。
「どうでもいい、そんなことより……絵麻を浚ったのはなんなんだ?なんで追う場所が分かる?」
「あの連中は
パトリスが答えてくれる。
「日本のことはしらないが、欧州ではあいつらと戦っていてそれなりに対応策も整っている。これが俺達があいつらを追える理由だ。理解してもらえたか?」
「ヨーロッパではあいつらがよく現れるってこと?」
パトリスが頷いた。
日本だと野良ダンジョンについては、新宿の機械的なダンジョン、八王子のいわゆるファンタジー風のダンジョン、奥多摩のいわゆる虫の巣のようなダンジョンの三種だ。
この出現頻度がどのくらいなのか、正確な所はしらないけど。
個人的な体感だと八王子系に遭遇することが多い感じがする。ヨーロッパでは違うってことか。
「あいつらはなんなんだい?」
檜村さんが聞くけど、パトリスが首を振った。
「正確な正体は分からない。知性があるのは間違いないが、まともに意思疎通できないからな。
ただ、あの連中は人を浚う。詳しくは分からないが、素養を持つ人を浚って
「そんなの……初耳だぞ」
とは言ってみたものの……仮に知っていたとしても、こんなことを魔討士協会が話すはずもないか。
八王子ダンジョンの向こう側、ソルヴェリアのこともまだほとんどの魔討士は知らないだろうし。
「あいつらははっきりと君の妹を狙ってきた。なぜ彼女が狙われたのかまでは俺達にはわからない」
それは何となく想像がついた。
鎮定が言っていたことが思い出される。
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