かつサンド、半分あげる。
イーベル
四月
普段だったら絶対に買わないかつサンドを買った。ボリュームがあって、満足感はある。けれど、サンドイッチ系統は値段が財布に優しくない。月々の小遣いが食費と練習試合の為の交通費で消えてしまう身故、この損失は手痛いのだ。
しかし、今回は弁当箱を忘れてしまったのだから仕方がない。ただでさえ部活動はしんどい。加えて空腹のままというのは死活問題だ。だからこの出費は必要経費だと考えることにして割り切る事にした。
教室に戻るのもめんどうだった。だから、購買の目の前にあるベンチに腰を掛ける。簡単にビニールテープで止められていた封をきった。
ため息を付いて空を流れる雲を見る。今日は本当についていない。気分的にはどん底だ。こんなんで高校最後の一年間をやっていけるのだろうか。不安でたまらなくなる。
そんな事を考えていると僕の視線に何かが覆いかぶさって来た。光を遮る丸みのある物体から細長い束が伸びているのを見て、それが頭だと理解した。でも肝心の表情が見えなかった。
「そんな顔してカツサンド食べてて楽しい?」
若干不機嫌そうに俺にそう問いかける声は自分のものよりも高くて、どこか聞き覚えのあるものだ。視線を空から地上に戻してその主を正面から見る。
女性にしては短めの黒髪。体から極限まで無駄を削り取ったかの様な体つき。この特徴が当てはまる奴はこの学校に二人といない。クラスメイトの
特長的な吊り目が憎らし気に僕を見ている気がした。なんか悪いことしたかな。
でもよかった。取りあえず知っている奴で。知らない奴だったらどうしようかと思った。
「楽しそうに見えるんだったら見る目がないよ。というか、カツサンド食べてて楽しくなる奴なんかいるのかよ」
「そうかな? カツサンド、あがるじゃん」
「勝呂はカツサンド食べると楽しくなっちゃうのか。そうか、そうか」
「そんな生暖かい目で私を見ないで。ムカつく。そんなんだから友達が少ないんだよ」
「友達の数は関係ないだろ。だいたいそういう数の自慢する奴はろくでも無いだろ。LINEの友達が何人で、Twitterのフォロワーが何千人で、俺はグローバルな人脈を築いている~みたいなの」
「そういう事じゃないんだけどな……」
含みのある呟きの後「隣、いい?」と勝呂は問いかける。僕は特に断る理由もなかったから頷いた。
「で、何の用?」
「用があるわけでもないんだけど、なんか気になって」
「ふーん。つまんなそうな顔してカツサンド食ってる奴の何が気になるんだか、興味あるね」
勝呂はストローをコーヒー牛乳に突っ込んで、一口飲む。それから言いづらそうに口を開いた。
「……私の幸せを奪っていった奴がつまらなそうにしてるのが気に食わなかっただけ」
「急にバトル漫画に出てくる復讐者的な台詞を吐くなよ。俺が勝呂から何を取ったっていうんだ」
「ん」
勝呂は俺の手に握られているカツサンドを指差した。
「好きなのか? カツサンド」
「好き。三六五日中、三三〇日食べても飽きないぐらいには」
「それほぼ毎日って言っちゃダメなの?」
牛乳パックの容量表示かよ。数字のケタが大きくても量変わんないからな。
「今日は購買に行くのが遅れて、目の前でキミが最後の一個を取っていったの」
「逆恨みじゃねぇか。寝たのが悪いだろ」
「……そうだけど、私が買うはずだったものは幸せに食べられて欲しいの!」
「面白い思想だな。新興宗教でも立ち上げたら何人か釣れそうだ」
「キミはいちいち神経を逆撫でしなきゃ気が済まない訳?」
勝呂は眉間にシワを寄せる。相当苛立っているのがメンタリストではない俺でも分かった。
あまり話さない奴にこんなに絡んでくるほど彼女はカツサンドが好きなのだと理解した上で手の平の上に乗る二切れ目を見る。
惰性で買った奴に食べられるか。その日ずっと楽しみにしてた奴に食べられるのか。どちらがより多くの幸せを生み出すのか。何となく考えてみる。天秤にかけるまでもない。結果は分かり切ってる。
気まぐれで彼女に残り半分のカツサンドを差し出した。
「そんなに好きなら半分くれてやるよ」
「嘘、ありがと! あ、返してって言っても返さないからね」
「あげたものを返せなんて言うほど意地汚くない」
勝呂は俺の手からカツサンドが入ったビニール袋をかっさらうと、半分だけ出して頬張った。
結構豪快にかぶりつくんだな。偏見だけど、女の子ってもっとリスみたいにちまちま食べると思ってた。でもこれはこれでかわいいかもしれない。あっという間に食べ終えて、ぺろりと唇をピンクの舌がなぞった。
「ごちそう様っと。半分の値段でいい?」
「別に要らねえよ。そんなつもりでやった訳じゃない」
「そう?」
勝呂はポケットに添えていた手を元に戻す。それから僕の眼をじっと見た。一メートル未満の距離感は世界の彩度を上げていく。黒に見えていた彼女の瞳がこの距離だとほんのりと茶色がかっていることに気が付いた。僕の眼もこんな風に綺麗なのだろうか。
沈黙の中、そんなことを考えていると、彼女がそれを破った。
「涼川君、思っていたよりもずっといい人だね」
「かつサンド一切れやっただけでその判定は甘すぎじゃないか。お前の信頼安すぎだろ」
「それだけかつサンドは偉大なのです。あの初代総理大臣伊藤博文も、天皇陛下にかつサンドをささげた事からその座に収まったという……」
「適当な事を言って勝手に歴史を書き換えるな。それに当時かつサンドなんてないだろ」
「意外と博識だね」
「博識って、お前なぁ……。こんなの考えてみれば分かるだろ。考えなくても授業聞いてれば」
「裏切者め」
「裏切者?」
「我ら運動部にとって授業時間は睡眠時間。その約束を忘れたとは……」
「当たり前みたいに言うな。朝は早いけど、その分睡眠時間を取っていれば気にならないだろ。それにノートの貸し借りって面倒だから」
「あ、分かった。そんなこと言ってノート借りる友達がいないだけでしょ?」
だから、友達はいる。ただ、夢に旅立っている奴が多いだけなのだ。奴らはこういう時本当に役に立たない。
「勝呂、キミは何かにつけて友達いない奴扱いをするのは何なんなの」
「だって涼川君クラスだと誰とも話さないじゃない」
「ああ、成程ね」
勝呂が抱く僕のイメージの理由に納得がいく。
確かに僕はクラスの奴とあまり話さない。去年頃からクラスが文系と理系の二種類に分かれている。僕の所属する野球部の大半は文系で、理系の数人の内、僕だけが孤島に取り残されたかのように一人だった。
朝は部活に、放課後も部活に、休みの日だって部活に時間を割く。だから、部活以外の人間とは接点がどうしても作れずにいた。
「確かにあんまり話してないけど、それだけが友人関係の全てじゃないだろ。そんなこと言ったら勝呂だって、クラスの奴とあんまり話してないだろ」
「だって男子が大半じゃない。それに友達は別のクラスになっちゃったし……」
「僕と似たようなものじゃないか。さっきの理屈で言うなら勝呂にだって友達がいないことになる」
そう言うと勝呂はまた眉間にシワを寄せる。お前、琴線に触れられた時の表情一種類しかないのかよ。分かりやすすぎるだろ。
突っ込む前にその表情は解けて、なよなよと申し訳なさそうな物に変わった。
「そっか、じゃあ私は失礼な思い込みをしていたかもしれないね」
「本当だよ。やっとわかってくれたか」
「……寂しそうに見えたのは涼川君だけじゃなかったんだね」
「違う。そっちじゃない。勝呂お前、わざとやってるだろう。寂しそうに見えたって方を訂正しろよ。自分を犠牲にしてまで僕にダメージを与えようとするな」
いやまあ、客観的にみるとどっちもどっちかもしれないけどさ。
「寂しいもの同士仲良くしようよ」
「遠慮させてくれ。友達いない人間扱いを受け続けるのはごめんだ」
「しないよ」
「さっきまでのあの扱いを受けて、信じろって言う方が無茶じゃないか?」
「だから、そんなこと言うから友達がいないんだ……って、ああ、やっちゃった」
自分の口から洩れてしまった言葉に目を丸くする彼女はわざとらしく口を開いた手で隠す。「ほら見ろ」と僕は追撃を加えた。
「……ごめん。でも、もうこんな事をするのはやめるって約束するから」
「変に取り繕わなくてもいいのに。この数分で勝呂がどんな奴か分かったし。クラスにしゃべるやつもいないから、猫を被んなくてもいい」
「猫は被ってない。そういうの疲れちゃうから。だからさっき言ったことも本当のことだよ。って、信じてないな~」
「ばれたか。だって勝呂が言ってんこと全部ふわふわしてるから。頭の中マシュマロ詰まってたりしてるって言われないか?」
根拠が根拠として成立していないのだ。もしそれで人を信用できるなら、そいつはそんなあやふやな事を信じることができる天才だろう。
「むー、ひどいこと言うな……。流石にそこまで甘ったるい思考はしてないよ。それに詰まっているんだったらカツが良いな」
衣で揚げられているのか……。サクサクの食感とサクサク動くメモリ的なイメージをかけてるつもりなのだろうか。仮にそうだったとしても分かり辛い例えだ。まあ、そこまで考えていないかもしれないけれど。
「でもほら、もし、涼川君が私と仲良くできたとするじゃない?」
「できるかな?」
「現実にできるかどうかはともかく、できると仮定するの」
「……まあいいけど、できたとしてどうするんだよ」
僕は問いかける。勝呂は自分で買って来たであろう紙パックの豆乳に口をつけて、それから僕を見た。
「できたら、それはもう友達がいるってことじゃない。だからそんな扱いはしないって話」
「……勝呂はそういうちょっと恥ずかしい台詞を淡々と言えるんだな」
「そんなに恥ずかしいかな?」
「僕だったら間違いなく照れくさくなる」
でも、よくよく考えてみれば彼女はふわふわとした曖昧な言葉で隠そうしていた。それを話させたのは自分なのだと気が付いて、彼女と同じく水滴がついた紙パックを掴み、一口飲んだ。
「でさ、このお礼はいつすればいい?」
「脈絡が無いな。なんのお礼だよ」
「お金は受け取ってくれないんでしょ。そうしたらかつサンドの恩返しはどうしようかなって」
「鶴の恩返しみたいにいうな。お前はかつサンドの精かよ」
「悪くないね。称号として受け取っとく」
「受け取るのか……。喜ばしい称号でもないだろうに。お前の感性は独特過ぎて僕には理解できないな」
ちょっとため息を付いて、彼女の問いについて考える。別に恩を売りたくてカツサンドをあげた訳ではない。勝呂風に言うなら、自分より幸せそうに食べて貰えただけで十分なのだ。
だから、僕は適当に放り出す様に答える。
「別に要らないよ」
「えー、それだと私が涼川君に
「違うのか」
「……違わないけど、変えたいの。そういうのはフェアじゃないでしょ?」
勝呂は首を傾げつつ唇に触れる。どうにも納得がいっていない様子だった。
「じゃあこうしよう。いつか、僕が滅茶苦茶腹減ったとき、同じようにかつサンドを半分くれよ」
「それだけでいいの?」
「いいよ。だってフェアがいいんだろ。恩なんて定量化が面倒なんだから、この方がいい」
「そう。ならいいけど」
勝呂が再びくわえたストローが音を立て、それを合図に紙パックを丁寧に折りたたんでいく。小さくなったそれを空の袋に押し込んで、彼女は立つ。
「じゃあいつか、涼川君がお腹空いたとき、かつサンド、半分あげることにするよ」
「ああ、楽しみに待ってる」
僕の言葉を聞き遂げると、そっと微笑み返してから背中を向けた。僕はコーヒー牛乳が飲み終わるまで何となく彼女を眺めていた。午後の練習はいつもより空腹になるのが早かった。
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