社内恋愛終了のお知らせ ⑰

 葉月に背中をさすられ、優しくなだめられて、抑えていた感情が爆発したのか、伊藤くんはみんなの見ている前で思いっきり葉月を抱きしめた。


「葉月、死ぬほど好きだ!結婚してくれ!」


 さっきまで気丈に伊藤くんを励ましていた葉月が、突拍子もない伊藤くんの言動に、今度は慌てふためきうろたえた。


「はあぁっ?!急に何言い出すん?!そんなんこの状況で言うことか?だいたい私ら、来年結婚するやんか!それにみんなの前でこんなん……!」


 葉月は恥ずかしそうに顔を赤らめて伊藤くんの腕の中から逃れようとしたけれど、伊藤くんはさらに強く葉月を抱きしめて離さない。


「俺、ホントは社内恋愛はめんどくさいから秘密にしたいなんて思ってない。葉月は俺の彼女だってみんなに自慢したいくらいなのに、他の男に言い寄られても俺がいるって葉月に言ってもらえないのはもういやだ!」


 伊藤くんの熱烈な公開プロポーズを、私と潤さんはポカンと口を開けて眺め、玲司くんは楽しそうに笑いをこらえて見ている。

 葉月はと言うと、抱きしめられながら耳まで真っ赤になって、それを隠そうと伊藤くんの胸に顔をうずめている。


「精神状態が極限に達して、とうとう爆発しちゃいましたか。志岐くんは今日の昼休みのことが相当こたえてたんですね。どのみち結婚することは決まってるんだし、この際だから志岐くんと葉月さんも、秘密の社内恋愛終了すればいいんじゃないですか?」


 玲司くんが食器をキッチンに下げながらニヤニヤ笑ってそう言うと、伊藤くんは大きくうなずいた。


「俺、絶対浮気しないよ。一生葉月だけ大事にするし、全力で葉月を守る。だから来年と言わず今すぐ結婚してくれ」

「そんなん言うても今すぐは無理やろ……」

「じゃあ明日でもいい!とにかく俺は、早く葉月の夫になりたい!俺も葉月を妻って言いたい!」


 伊藤くんの言っていることはなんだかめちゃくちゃな気もするけれど、伊藤くんはとにかく葉月のことが死ぬほど好きで、誰にも葉月を取られたくないんだと言うことだけはわかった。


「葉月が奥さんになってくれたら、俺は社長でも署長でも、なんだって頑張れるよ」


 社長になることはあっても、署長になることはないと思うけれど、伊藤くんは真剣そのものだ。

 伊藤くんの熱意に押されたのか、葉月はうつむいたままで小さくうなずく。


「志岐がそこまで言うんやったら……予定より早いけど、籍入れよか……」

「やったぁ!じゃあ今から役所に行こう!そんで夜間窓口で婚姻届を出そう!」


 伊藤くんは嬉々として葉月の腕を掴み、今にも飛び出して行きそうな勢いだ。

 葉月はその暴走を止めようと、伊藤くんの広い背中をバチンと平手で叩いた。


「いってぇ!何すんだよ!」

「調子乗りな!明日でええ言うたんあんたやろ!これから食器の後片付けや!」

「葉月の気が変わらないうちにと思って……」


 伊藤くんが少し甘えた声でそう言うと、葉月は愛しそうな目で伊藤くんを見て苦笑いを浮かべた。そして今度は、葉月が伊藤くんの手を引いてキッチンへ向かう。


「私やったら、気ぃ変わらんから大丈夫や。嘘ついたらハリセンボン飲んだるわ」

「やっぱりそこは針千本じゃないんだな……。まぁいいか」


 照れ屋で恥ずかしがりやの葉月は、人前で伊藤くんと手を繋いだりベタベタくっついたりはしないから、二人がこんな風に手を繋いでいるところは初めて見た。

 だけどきっと二人きりのときは、葉月も伊藤くんにだけは甘い顔を見せるのだろうと思うと、なんとなくあったかい気持ちになる。

 なんだかよくわからないうちに、伊藤くんと葉月はすっかり仲直りをして、おまけに入籍を早めることになったようだ。

 何はともあれ、丸く収まって良かった。


 キッチンで後片付けを始めて少し経つと冷静になったのか、葉月は食器をスポンジで洗いながら、しかめっ面で首をかしげた。


「ホンマやったら、今日は三島課長と志織のおめでたい日やのに、なんでこないなことになったんやろ……」

「佐野が玲司に彼女いるのかって聞いたから?」


 伊藤くんが食器をすすぎながらそう言うと、玲司くんはすすぎ終わった食器を布巾で拭きながら、しれっとした顔で答える。


「志岐くんと葉月さんが喧嘩してたからでしょう」


 3人はキッチンで後片付けをしながら、この際だからみんなまとめて結婚のお祝いをしようとか、お祝いの料理は何にしようかと楽しそうに話し始めた。

 私と潤さんはソファーに座り、こっそり手を繋いで、3人の会話を笑いながら聞いている。


「あいつらといると退屈してる暇もないな」

「みんなを驚かせようと思ったのに、逆に驚かされちゃったね」

「でもそうか……。当たり前みたいにずっと一緒にいたけど、みんなそれぞれの道を行くんだな」


 潤さんは少し寂しそうに呟いて、小さなため息をついた。私は潤さんの手をギュッと握る。


「進む道が別々になっても、みんなちゃんと繋がってるから大丈夫。それに私はずっと潤さんのそばにいるよ」

「うん……そうだな」


 もうしばらく経つとそれぞれの道を進み、こんな風にみんなで集まることはなかなかできなくなるかも知れない。

 だから私は、掛け替えのない仲間たちとの今のこのときを大事にしたいと思う。




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