Accidents will happen ⑯

「さっき1階のエレベーターの前で下坂課長補佐と会ってね、そう言ってたからびっくりして……」

「ああ、午後の会議の資料でどうしても確認が必要なことがあるって言って、さっき来てたんだ。用が済んだらすぐ帰ったけど」


 もう以前のように付きまとったり迫ったりはしないだろうけど、下坂課長補佐が純粋に仕事のことで潤さんの病室を訪れたのだと知って、なんとなく安心する。


「重体って言うから、もしかしたら話もできないくらいの危険な状態なのかと思ったけど、ちゃんと意識もあるし普通に会話もできてホッとした」


 私がそう言って潤さんの方をチラッと見ると、瀧内くんは呆れた様子でため息をついた。


「ああ……たぶんそれは重傷の言い間違いですね。あの人、そういう雑でそそっかしいところがあるから、仕事中もよく言葉を間違えるんですよ。潤さんは肋骨にヒビ、左足を骨折、頭を5針縫う怪我をしたので重傷です。左足は手術もしたんですよ」

「そんなに……?」


 軽傷で済んだ私とは大違いだ。よほどすごい事故だったのだろう。


「頑丈な志織さんとは大違いですね」


 瀧内くんも私と同じことを考えていたらしい。


「いや、俺はトラックに跳ねられて吹っ飛んだんだぞ?あの事故で命を落としてもおかしくなかったとか、この程度の怪我で済んでラッキーだって言われたんだけど……」


 命を落としてもおかしくないほどの事故って……!

 想像しただけで身震いがした。潤さんが生きていてくれて本当に良かったと、改めて思う。


「生きてて良かったですね、こうして志織さんとも会えたことだし。さて……僕はそろそろ取引先に行きますので、あとは二人でなんとかしてください」


 瀧内くんはしれっとした顔でそう言って、振り向きもせずに病室を出て行った。

 二人きりになった私と潤さんは、気恥ずかしさと気まずさで、お互いに目をそらして口ごもってしまう。


「……久しぶり、かな」

「今日は火曜日だから、約1週間ぶりですね」

「うん、そうか……。1週間って長いんだな」

「はい……とっても長かったです」


 ギクシャクしながら言葉を交わし、短い会話が途切れるとまた二人で黙り込む。


「怪我、大丈夫?」

「私はたいしたことないですけど、潤さんの方が……」

「ああ、うん……。でもほら、俺は男だから傷が残っても気にならないけど……志織、顔にも怪我してる」


 潤さんは私の頬の大きな絆創膏を見て、傷が残るほどの怪我をしたのではないかと心配してくれているようだ。


「かすり傷ですよ。たいした傷じゃないのに大袈裟ですよね。今朝まではガーゼだったのが、さっき診察の時に消毒してもらって、絆創膏になったんです」


 絆創膏を指先で触りながら笑って答えると、潤さんは手を伸ばして私の頬に触れた。

 熱っぽい眼差しでじっと目を見つめられて、急激に鼓動が速くなる。


「まだ痛い?」

「少しだけ……」

「傷が残らなければいいな」

「……うん」


 潤さんの唇が私の頬にそっと触れた。くすぐったさに首をすくめると、潤さんは反対側の頬と額にも優しく口付ける。


「もっと……キス、してもいい?」


 潤さんは私の唇をゆっくりと指でなぞりながら尋ねた。


「うん……」


 私は小さくうなずいて目を閉じる。

 潤さんは両手を私の頬に添えてゆっくりと顔を近付け、私の唇にそっと唇を重ねた。柔らかくあたたかい潤さんの唇が、私の唇を優しくついばむ。

 大好きな潤さんの優しいキスは、寂しさと悲しみでささくれていた私の心をあたため、癒してくれた。

 長いキスのあと、潤さんは腕を怪我している私を気遣いながら、優しく包み込むように抱きしめた。


「俺、生きてて良かった……。志織が出張に行った日の朝……仕事中でもないのに志織に『三島課長』って呼ばれて、俺たちはまた、ただの同僚に戻ったんだって……。頭ではわかってたはずなのに、もう名前では呼んでもらえないんだとか、二度と抱きしめることはできないんだなって思うと、すごくつらくて……」

「うん……。私も、潤さんが何事もなかったような顔してるのがつらかったから、一緒にいるのが耐えられなくて、あの場所で別れたの」

「ごめん……。俺から言い出したのに、全部なかったことにするなんて、やっぱ無理だった。ずっと志織のことばっかり考えて、なんであんなこと言っちゃったんだろう、言うんじゃなかったって後悔して……会いたくて会いたくて、おかしくなりそうだった」


 潤さんは私の耳元に唇を寄せて、切なげな声でそう言った。潤さんも私と同じ気持ちでいてくれたことが嬉しい。


「私もずっと潤さんのことばっかり考えてた。すごく会いたくて、寂しくて……潤さんはもう私のことなんてどうでもいいのかなって思うと、ものすごく悲しかった……」


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