不戦敗①

 また月曜の朝がやって来た。

 いつもなら目覚めと共に「今週も頑張ろう」と気合いを入れるのに、昨日からずっと三島課長とあの人のことばかり考えて夢にまで出てくる始末で、今朝の目覚めは最悪だった。

 三島課長とは部署が違うのだから、広い社内でそうそう顔を合わせることはないだろうけど、もし会ったらどんな顔をすればいいのかと思うと気が重い。だからと言って、そんな些細なことでこの忙しいときに仕事を休むわけにはいかないし、顔を合わせたとしてもいつも通りに接するしかない。

 今日は大規模な人事異動があるので、きっと三島課長も忙しいはずだし、昨日のことなんて気にしている余裕はないだろう。



 いつも通りに出社して席に着き、コーヒーを飲みながら仕事の準備をしていると、有田課長が社報の束を手に近付いてきた。


「おはよう、佐野主任」

「おはようございます」

「金曜日の夜のこと、聞いた?」


 有田課長は話したくてたまらないという様子でニヤニヤしている。


「いえ……何かあったんですか?」

「営業部の橋口だっけ?取引先の担当者と不倫してたのがバレたらしくて、相手の旦那が会社に乗り込んで来て大暴れしてたんだ」

「へぇ……壮絶な修羅場ですね」

「そこに運悪く現れた橋口本人に馬乗りになって殴りかかってわめき散らして、仕方ないから警察呼んでな。まだ早い時間だったから社内にかなりの数の人間が残ってたし、幹部のお偉いさんまで出てきて、大騒ぎだったよ」


 予想はしていたけど、護はかなり手痛い洗礼を受けたようだ。瀧内くんはきっとこうなることがわかっていて、護を会社に戻らせたんだろう。


「おまけに新人ちゃんを孕ませたのもそいつなんだってさ。新人ちゃんも父親の執念に負けて、とうとう白状したらしい。認知させて養育費は出させるけど、こんないい加減なやつに娘をやるわけにはいかんって、親父さん激怒してた。でも左遷とか解雇はしないで、このまま働かせて晒し者にするんだと。絶対に辞めさせないって。恐ろしいよな」

「わーお……昼ドラみたい……」


 たしかに護がしたことを誰も知らない場所に左遷されるより、社内で後ろ指をさされ続ける方がよほど苦しいだろう。

 それだけの罰を受けるほどのひどいことをしたのだから自業自得と言うほかないけれど、一度は本気で好きになった人だから、他人の好奇の目に晒され、後ろ指をさされ続けるであろう護のこの先の人生を思うと、ほんの少しかわいそうな気もした。


「それはさておき、今日は人事異動があるからバタバタすると思うけど、しっかり頼むよ。あと、これ配っといて」

「はい、わかりました」


 有田課長から受け取った社報を、まだ出社している人もまばらなオフィスのデスクに配り終え、一息つこうと席に着いた。

 すっかり冷めてしまったコーヒーを飲みながら社報を広げると、新商品の売り込み戦略だとか、各部署で頑張っている新人の業務日記などの記事の後ろの方に、今回の人事異動の詳細が掲載されている。

 ずらっと並んだ異動する社員の名前を何気なく眺めていると、営業部の欄に見つけたその名前にドキッとした。


【営業部 営業二課 課長補佐 下坂 芽衣子シモサカ メイコ


 これはもしかして、あの人の名前では……。

 営業二課というのは、かつて私も所属していた、三島課長の所属している課だ。ほとんどの課には課長補佐なんてつかないけれど、業績が著しく伸びて課長業務が多忙になると、稀にその役職の人が配属されるらしい。

 営業二課の業績が非常に良いというのは社内でも評判にはなっていたけれど、まさか三島課長の補佐にあの人がつくことになるとは思わなかった。

 と言うことは、これから三島課長とあの人は、職場で毎日顔を合わせ、かなり密に連絡を取り合い、行動を共にすることになるのだ。だけどそれが三島課長とあの人の仕事なのだし、一社員の私には会社が決定した人事をどうすることもできない。

 自分の無力さを痛感しながら、胸に湧き上がるモヤモヤを吐き出すように、大きなため息をついて社報を閉じた。



 今回の人事異動で、私の所属する生産管理課でも30代前半の二人の中堅社員が支社に異動になり、新たに3人の若手社員が配属された。

 異動になった中堅社員の二人は支社で役職に就いたようだ。私は新たに配属された3人の若手社員の教育係を任されている。

 まだ入社1年目から2年目までの3人は、前に所属していた部署では別の課にいたそうで、教えなければいけない仕事は山のようにある。

 午前中は研修会を開き、商品管理部の業務内容や生産管理課の仕事の流れなどを説明した。幸い3人とも真面目に私の話を聞いて、疑問点を積極的に質問をするなど、仕事に対する意欲が見られた。この調子ならスムーズに教育期間を終えられそうだ。



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