備えあれば憂いなし?②

「玲司!おまえまたそんなことして……!」


 瀧内くんの肩越しに、三島課長がうろたえている姿が見えた。まるで粗相をしでかす息子を必死で止めようとする父親のようだ。


「僕のことも『玲司』って呼んでくださいね、志織さん?」

「は、はい、わかりました、玲司くん」

「じゃあ次は『志岐くん』」

「し……志岐くん……」


 他人事だと思って、伊藤くんはおかしすぎて声にならないほど笑っている。


「やればできるじゃないですか」


 瀧内くんは口元に意地の悪い笑みを浮かべて、ようやく私から顔を離した。


「じゃあ次はちゃんと本人の顔を見て、『潤さん』」


 瀧内くんに促されるまま三島課長の方を見ると、三島課長と思い切り目が合った。


「……潤さん……」

「は、はい……」


 私が思い切って名前を呼ぶと三島課長が思わず返事をしたので、伊藤くんと葉月は我慢できずに声をあげて笑いだした。


「……おまえら、笑いすぎだ」

「志織さんがこれだけ頑張ってるんだから、潤さんも頑張らないと」


 瀧内くんにたしなめられて、三島課長は観念したように大きく息をついた。


「……明日、一緒に映画観に行こうか……志織……」

「はい……」


 みんなの前でこんなやり取りをしていることも恥ずかしいけれど、ただ名前を呼ばれただけなのに、いつもより鼓動が早くなったのを感じた。

 こういう気持ちは長い間忘れていたから、やけに新鮮で照れくさくて、胸の奧がムズムズする。

 もしかしたら三島課長も、私と同じような気持ちなんだろうか。私が名前を呼んだときに三島課長の顔が少し赤かったのは、お酒のせいだけではないのかも知れない。

 その後もタコ焼きパーティーはしばらく続いたけれど、私も三島課長も、照れくさくてお互いを名前で呼び合うことはしなかった。



 夜も更けてきた頃、片付けをしながら順番に入浴を済ませ、私と葉月は2階の部屋を借りて一緒に休むことになった。男性陣は1階の部屋で寝酒をしながら雑魚寝するのがいつものスタイルらしい。

 私は寝る準備をしながら、ここに来る前に伊藤くんと一緒に護の新たな浮気現場を目撃したことを葉月に話した。


「他にも女がおったんか!しかも既婚者て!ホンマにどうしようもないやっちゃな!」

「今になってみるとわかるけど、おかしなことはいろいろあったのに、それにまったく気付かなかった私もホントに情けないよねぇ……。護ははじめから、私のことなんか好きでもなんでもなかったんだよ」


 伊藤くんから聞かされた合コンの席での護の戯言を話すと、葉月は相当腹が立ったらしく、両手を握りしめて枕をボスボス殴り付けた。


「あいつは女の敵や!絶対に許せん!!煮るなり焼くなりして、とことん痛め付けたれ!私が許す!!」


 会長の孫と付き合っているとか、逆玉の輿の野望を言いふらしていたということは、もしかしたら護は私と付き合ってることも同僚に話しているのではないかと心配になって、ここに来るまでの道のりで伊藤くんに尋ねたところ、誰と付き合っているのかは一応内緒にしているようだと教えてくれた。

 合コンの席では護の口から私の名前は一度も出てこず、伊藤くんが翌日護のスマホの画像を見て私と付き合っていることを知ったという話は本当のことだけど、護が合コンで吹聴していた内容はあまりにひどすぎたので、私には言わなかったらしい。


「嘘でもあんな風に好きだって言えるもんなんだね。そんな男だって知ってたら好きにならなかったのに、それがショックで……。私の名前を出すと浮気がしづらいから、周りには内緒にしてるのかな?」

「それはあるかも知れんな。相手に本気になられて修羅場になるんが面倒なんやわ。現に奥田は橋口の彼女が志織やって気付いて、早く別れたらええのにとか言うて絡んできてるんやろ?多分他にも女がおること知らんのやで」


 そう考えると、もし奥田さんが本気で護のことを好きなのであれば、それはそれでかわいそうな気もする。だけどそれは奥田さんの問題だから、私がどうこうする必要はない。

 私だって護の野望に巻き込まれて利用された被害者なんだから。本気で好きだった分だけ傷も深い。


「なんかもうバカらしくて、別れ話する気にもなれないから、このまま勘違いさせておこうか」

「それでええんちゃう?そろそろ結婚したいってエサちらつかせてヌカ喜びさせといて、別のもっといい人と結婚するとか?」

「それはきついねぇ……」


 葉月の提案は、千絵ちゃんや三島課長の過去の痛手を思い出させた。護を痛め付けてやりたい気持ちはもちろんあるけれど、もし自分がそうされたら立ち直れないだろうなと思う。

 因果応報という言葉もあるし、もしそれが本当に起こるのならば、何人もの女性の心と体を弄んだ護には、私が手を汚さずとも必ず天罰がくだるはずだ。


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