バラの蕾のカケコトバ

 トラクラ教授に突然呼び出されるのは、別に珍しい事ではない。彼は常に人間の形をした実験用モルモットを探し回っているのだ。

 できればそんな呼び出しは無視して、とっとと家に帰って明日のデートに備えておきたい所だった。優理と二人で会うのは、次でもう四回目になる。煮え切らない僕だけど、そろそろ二人の関係を一歩前進させるべきだと思うのだ。緊張で手が汗ばんでしまって、それを悟られまいという気持ちから手を握る事すらままならない状態が続いてきたが、それももうおしまいなのだ。おしまいにしてしまうべきなのだ! そんな感じで意を決している昨今なのである。心を煩らわせる要素は可能な限り排除しておきたい。

 とは言え、もろもろの事情で出席日数がかなりボーダーラインぎりぎりの所に追いやられている身としては、ニンジンよろしく鼻先にぶら下げられた単位ポイントプレゼントのお知らせに背を向ける事は容易ではなかった。

 まあとって食われる訳でもなかろう、と自分に理由を見つけてあげて、僕は素直にトラクラ教授の研究室へと足を運んだ。


「やあ、待っていたよ。風下君ね」

 ドアを開けると喜色満面の教授が僕を出迎えた。冗談みたいに分厚いレンズの丸眼鏡。白髪交じりのライオンヘッドの全面を無理やり加減に押さえつけているカチューシャは何故か花柄模様。パリッとアイロンの効いた純白の白衣を細い体に身に付けている。あまりにベタ過ぎて笑う気も失せるマッドサイエンティストの風体そのものだ。

 呼ばれた名は当然僕の名字だが、生まれてこの方二十年、ご先祖様が住んでいた土地の立地条件を恨まない日は無い。もっと景気のいい家名の元に生まれたかった。

「さ、ぼーっとしてないでこっちに掛けたまえ、ね」

 教授はそう言って僕に椅子を勧める。

「今日は他でも無い、僕のチームが作り上げた新種の薔薇を試してもらおうと思ってね」

 教授はそう言ってお土産の菓子箱みたいなケースを僕の前に置いた。話が早くてありがたい限りだが、薔薇を「試す」と言ったところが微妙に気になる。トラクラ教授の専門はバイオテクノロジーの開発研究と言う事になっているが、彼の場合は肩書きを傘にして町の発明家みたいな事ばかりやってると言う話を何度か耳にしてきた。

 僕が目の前の人物に対する懸念の情を胸の内に渦巻かせて居る間にも、その当の教授はケースの蓋を勿体ぶった仕草で開き、中の物を僕に示して見せた。何やら小さな物が四つ並んでいる。薔薇と言ってもこれは……

「蕾……?」

 僕は薔薇の花か、その種などが入っているのでは無いかと思っていたが、そうでは無かった。教授が薔薇だと言う以上は薔薇の蕾と言う事になるのだろうが、そこに有るのは蕾だけでしかない。茎も無ければ根っこも無い。蕾のところだけ切り取られて置いてある。

 無言で教授を見上げると、出番が来たとばかりに話しだした。

「これは見ての通り薔薇の蕾だがね、ただの蕾じゃないんだねぇ。このままで花が咲くんだ。首から下をほとんど全く必要としないんだね。人間で言うと生首が生きているようなもんなんだねぇ」

 教授はそう言うと喉を震わせて奇妙な笑い声を上げた。率直に言って大変に気持ちが悪い。気味が悪い。

「種も無ければトゲも無い。水に浸ければ花が咲く。つまり、咲かせる時を選べると言う訳だ。蕾の根っこの方にはほんの少し茎の部分を残してあるから、さっと水分をふき取ってやれば彼女の髪に刺してあげる事もできるよ。贈り物には最高だと思わないかい、ねぇ?」

 さっきからねぇねぇ言ってるのはトラクラ教授の口癖なのだが、いつ聞いてもなんか耳に残ってヤだ。慣れない。

 いろいろと聞きたい事はあるがどうも自分から口をきく気にならない。言葉の揚げ足を片っ端から掬われそうな警戒心。僕は胡散臭いと思ったまんまの顔で教授を見上げた。

「うん? 疑ってるね? ホントにそんな事が可能なのかと疑ってるね?」

「いえ、そんな事は無いですが」

 それで僕に何をさせる気なのだという疑いは持っているが。

「君の疑いは理解出来るがね、実はさらに凄い事があるんだ」

 教授はそう言って研究室の奥の方へ向かって指を鳴らした。

「サンデー君! 水を用意してくれんかね」

「ハイハーイ。ゴショーチノトーリデース」

 陽気なカタコト日本語で水がたっぷりと入った金魚鉢を持ってきたのは漆黒の肌を持つ留学生だった。軽やかな足取りが災いして危うく躓きかけたが、皿回し的なバランス感覚を見せて僕らの元へ辿りついた。

 しかし水を汲んで来たにしては速過ぎるお着きだ。きっと研究室の奥で息を潜めて教授の合図を待ち侘びていたに違いない。

「彼はサンデー君。僕の助手を勤めてくれているんだねぇ。物凄く協力的な学生さんだから、信用してくれていいよ」

「ハーイ。サンデー・ホリデーです! 毎日がホリデーでーす!」

 サンデー君はそう言って僕に握手を求めた。

 僕は無言のままに応じた。そんな自己紹介、誰に教わったんだと思いつつ。案外自分で考えたのかも知れないな。フルネームの雰囲気から察するに、彼の家族はさぞかし陽気な一家なのだろうし。

 教授は箱の中から蕾を一つ取りだしてサンデー君に渡した。

「では、やってくれたまえ」

 サンデー君は受け取った蕾の下の方にチョッと突き出た茎の部分をつまんで、そのつまんだ部分を僕に一度見せてから、蕾の先端に口を近付けて、

「ハッピー・サマー・バケーション!」

 と声を上げた。

 彼は呆気にとられる僕の顔を一度見てから、今度は蕾を金魚鉢の水面にそっと浮かべた。

 するとどうだろう。

 教授の言っていた通り、みるみるうちに蕾が花開いてゆくではないか!

 この様子なら、咲き切るまでに一分もかからないだろう。ゆっくりと、音もなく花びらが開いてゆく。真っ赤な薔薇だ。これは確かに……

「……綺麗ですね」

 僕は思わず呟いていた。

 教授が僕の肩に手を置いて、優しい口調で語りかけてくる。

「ね。そうだろう? でも、もうちょっとで、さらなる奇跡が見られるよ」

「さらなる奇跡?」

 言いながらも僕は目の前の薔薇に見蕩れていた。確かにこれは良い。

 静かなレストランのテーブルの真ん中で、グラスの上で咲いていく薔薇を見つめたりなんかしたら、優理をロマンチックな気分にさせる事ができるかも知れない。そして気持ちの緊張が緩み切ったところで愛の言葉を囁くのだ。

 薔薇の花が満開になった時……

「ハッピー・サマー・バケーション!」

 薔薇の花からサンデー君の声が轟いた。

 え? 何?

「どうだねえぇ! 凄いだろう。こいつは、言葉を覚える事ができるんだよ! さっきサンデー君がやってたの見たろう? 蕾の内に茎のところをクイっとやってね、話しかけるのさ。それだけなんだよお。簡単だろう。素晴らしいじゃないか。ねえ!」

「イエーイ!」

 教授とサンデー君は感極まった感じでハイタッチを繰り返した。

 僕はリアクションの取り方が分からない。

「……よく、思いつきましたね」

 かろうじて口にしたのはそんな言葉だった。

 聞きつけた教授はにわかに感動の面持ちになる。

「そうだろう? 独創的だろう? 発明にはね、独創性が大事なんだ。誰にも真似出来ないオリジナリティってやつだよ。僕はね、企業と提携してこれをもっと量産出来るようにするつもりなんだ。きっとイベント事に欠かせないプレゼントになる! キャッチコピーは『贈る言葉はあなただけの花言葉』これでどうだい?!」

「い、いいんじゃないですか」

「うんうん。そうだよねえー。いけるよねー。楽しみだねー」

 教授はしみじみとした顔で拳を握りしめている。目を閉じて、素晴らしい未来を想像しているようだ。

 確かに、なんかいろいろと凄い気はする。

 蕾だけで花が咲くと言うのも地味ながら聞いた事ない話だし、植物が声を記憶するなんてのはすっかりSFの世界だ。作り物なんじゃないかと思って手に取ってあらゆる角度から眺めてみたが、どう観察してもその見栄え、感触は植物のそれだった。

 しかし、それはともかく……

「それで、僕にどうしろと?」

「うん。そこなんだ。企業に売り込む為の資料としてね、簡単なレポートの作成を手伝ってもらいたいんだ」

「レポートですか」

「うん。君、明日デートだろう?」

 なぜ知っている!?

「驚いてるね。教授の情報網を甘く見ちゃいけないよ」

「優理さん、カワイイネー」

 サンデー君が親指を立てて僕に向ける。笑顔がニヤついている。

「情報を制する者が世界を制するのさ。それに、君だって今の関係を一歩前進させたいと思っているんだろう?」

 だから、何故知っている?!

「ちょうどいい機会じゃないか。君の誠意を込めた一言を、この薔薇に込めて彼女に贈ってみないかね? きっと彼女は君の愛を受け入れてくれる事だろう。こんな素敵なやり方で愛を告げる事ができるのは、世界中探したってここに居る三人だけなのだからね。今のところはね」

「三人?」

「イエス! ボクも教授もコクハクシマース」

「まさか、二人も優理ちゃんを……」

 思わず焦った声を出したボクを見て、教授はでっかい笑い声を上げた。

「馬鹿言っちゃいけない。僕はね、教え子には絶対に手を出さない主義なんだ。それにサンデー君も、ちゃんと相手は別にいるよ」

「イエース。ソノトーリネ。ボクは女王様にエイエンノチュウセイヲチカイマスノ事デス。彼女ノムチに夢中ナノデェス。じっくりアシゲニサレタイノデェス」

 そう言って胸の前で十字を切る。神妙な顔で何かとんでもない事を言ったようだが。

「私もそうさ。原子力工学科の鐘ノ宮先生に百八回目のプロポーズを決めるつもりだ。今度こそアトミック級のインパクトを持って彼女のハートを臨界点に達しさせてみせる」

 愛情云々の話は別にして、この男と原子力との間に接点を持たせるべきではないと思うのは僕だけではあるまい。

 奇人変人の二人がどんな言葉を薔薇に込めたのかと言う点には興味をそそられなくもないが、僕がその実験台に加えられたのはいったいどういう訳があると言うのだ。

 その事を訊ねると、教授は

「それはね、君が恋と単位に悩んでいたからだよ」

 と言った。

「まあタイミングが良かったと言う事もあるけれどね。やっぱり頼みごとをするからには、相手の弱みを……いやいや、受け入れやすい理由と状況があるに越した事はないからね。君はその点うってつけだったという訳さ。何、簡単な事だよ。その花に言葉を込めて彼女に贈った時、彼女がどんな反応を見せたか、そして結果はどうだったか、時間帯やシチュエーションも加えてそれを詳しくレポートしてくれるだけで……って、どこへ行くんだ風下君」

「帰ります」

「どうしたというんだね」

「なんでそんなプライベートな事をおおっぴらにせにゃならんのです」

「単位が欲しくないのかね?」

「この際仕方ない。他の教科でがんばります」

「それは無理な話だね」

「どういう意味です?」

「君が履修しているカリキュラムの教授たちには、既に協力の約束を取り付けているからだ」

「協力?」

「うむ! 君がこの企画に参加しない限り、彼等から君に単位が与えられる事はない!」

「嘘でしょ」

「本当だ。さっきも言ったが、情報は教授会をも制するのだ。私はあらゆる人間関係と個人情報に精通している。男女関係、金回り、事件記録に酒の量……これがどういう事か分かるかね」

「他の先生たちを脅迫してるんですか……弱みを握って」

「何を言うか。善意による無償の協力を自発的に申し出てもらっただけさ」

「アリガタイネー」

 僕は思わずサンデー君を睨みつけた。

「まあまあ、まあまあまあ。そうカリカリするな。逆に君がやってくれれば、勉強なんかしなくたって、ほぼ全ての単位は君のものだ。どうだね、悪い話じゃないだろう」

 一瞬、考えてしまった。いや、でも……

「心配しなくていい。お膳立ては既に整ってるんだ」

「イエース。ユーリさん「楽しみにしてます」ユッテマシタネー」

「ゆってました?」

「そうなのだ。秘密の話と言う事で、しかも君には内緒と言う事で、彼女にはそれとなく、君がとても素敵な贈り物を用意している、と言う事を伝えてある。もしそれが実現されなかったなら、彼女はきっと落胆するに違いないだろう。君に対して失望を覚えるかも知れないな……とっても期待していた様子だったようだからね」

「ウレシソウナ声デシタネ」

「何を勝手に恋路のハードル上げちゃってんですか!」

 僕はそう言い返したが、どうやら既に状況は包囲されている事を悟った。


 不承不承の承諾の後、教授はさらに新たな条件を付け加えてきた。

 まれに失敗する事があるから、と言う事で、蕾に言葉をかけたあと、半日ほど研究室の保管庫に寝かせておいた方が良いと言うのだ。

 そのせいで僕は研究室の隅っこで彼等に聞こえないようにしながら、どうせ言うつもりでもあった告白の言葉を蕾に対して聞かせる羽目になった。幸い、セリフに失敗しても茎をひねり直せば言い直しが効くと言う事だった。

 何だか不安定な気もするが、もうこうなったらやるしかない、と言う気分になっていた。やけくそ気味でも何でも、思い切った態度が必要な事には変わりないのだ。

 僕は意を決して薔薇の蕾に愛の言葉を語りかけ、それをサンデー君に渡した。

 そして翌日、彼女との待ち合わせの時間に先立ってトラクラ教授の研究室に立ち寄り、僕は蕾を受け取った。

「動作不良を起こして失敗した時も、きっちりレポートさせてもらいますからね」

 僕は捨てゼリフ的にそう教授に告げ、待ち合わせの場所へと向かった。

 心臓をバクバクとさせながら。

 その後で、教授とサンデー君が次のような会話を交わした事も知らずに。


「アレデ、ヨカッタンデショーカ……」

「何とかなるんじゃないかな」

「デモー……」

「しょうがないじゃないか。サンデー君が箱の中身をひっくり返してどれが誰の蕾か分からなくなったなんて言ったら、きっと風下君、すごく怒るだろうから」

「ソレハ間違イナイデスネ」

「万一の為に、優理君が百八回目のプロポーズを待ち続けるSMの女王様と言う隠された秘密を持っている事を祈ろう」

「オオ、神ヨ……」

 サンデー君は神妙な面持ちで、胸の前で十字を切った。

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