第46話 モンフォール商会
早春の生暖かい風がチェリッシュの森を吹き抜け、新芽の甘い香りを運んでいた。
小型商用スチームホバー〈ケッテン・マーチャント〉が、微かな機械音を立てながら地上一メートルほどを浮遊する。
車体下部から規則的に放出される白い蒸気が、枯れ葉と芽吹いたばかりの柔らかな若葉の混じる地面を舞い上がらせ、湿った土の匂いが彼らの周りを漂っていく。
前部操縦席では、金髪碧眼の少女ブロンシェが、自分の体格に合わせて特注した大きな革張りの椅子に背筋を伸ばして腰掛けていた。
彼女の座る操縦席は、十一歳という年齢を考慮して特別に改造を施されていた。高さ調整機能付きの革張り座席、手の届きやすい位置に配置された操縦レバー、足元には装飾された真鍮製の補助ステップ。
しかし彼女は、操縦桿には手を伸ばさず、代わりに手のひらサイズの青い宝石を、枝葉の間から差し込む陽光にかざし、その瞳には商人特有の鑑定の輝きが宿っていた。
実際の運転は、後部ドッキングステーションにいる執事型スチームマトン、モンブランが担当している。
円形の操縦プラットフォームに三輪をぴったりとはめ込み、真鍮で装飾された四本のアームを驚くほど器用に動かしながら、エンジン出力とバルブ開閉を微調整していた。蒸気の圧力計が安定した数値を示すたび、モンブランの中央ディスプレイには満足げな表情が浮かぶ。
「宝石のことは詳しくないが、ブロンシェどのがそこまで見とれているということは、その品はよっぽど当たりだったと見える」
隣の助手席で、頭上に光輪のように浮かぶ装飾を星明かりのごとく揺らめかせながら、ポムポム族のトルトッコが深い声で呟いた。
成人でも身長一メートルほどの小柄な体躯ながら、その大きな瞳には夜空の星のような輝きが宿り、長年の経験を感じさせる落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「ええ! 良い取引でしたわ!」
ブロンシェは右手の指をひらひらと優雅に動かし、宝石を傾けて光の反射を確かめた。
「これで我がモンフォール商会の懐もホクホクですわっ!」
真鍮製のヴィクトリアンゴーグルを額に押し上げると、その下から現れた碧眼が得意げに輝いた。
改良されたLW蒸気エンジンは、驚くほど静かな唸りを響かせている。時折聞こえる蒸気の抜ける「シュッ」という音と、バルブが開閉する「カチッ」という微かな金属音が、森の静けさを程よく彩っていた。
「お嬢さま」
後部から聞こえた少し高めの声音に、ブロンシェは優雅に首を回して振り向いた。
「どうしたのです、モンブラン」
「はい!」
モンブランの中央ディスプレイが青く明滅する。
「私の高性能予測コンピューティングによりますと、あと三分から二十分ほどで目的地に到着する予定です! 誤差は±十七分でございます!」
「……ということは、
ブロンシェは小さくため息をつき、青い宝石を胸ポケットにそっとしまった。
「高性能な情報をいつもありがとうですわ」
「お役に立てて何よりです! お嬢さま!」
モンブランの声が一オクターブ高くなり、中央ディスプレイには花のような模様が浮かび上がった。
波状の金髪をポニーテールにまとめた少女とロボットのやり取りに、トルトッコは眉をしかめ、杖を握る手に力が入った。
「……彼はその……いつもあんな感じなのですかな?」
トルトッコは言葉を選ぶように、ゆっくりと尋ねた。
「ええ、そうですわ」
ブロンシェは肩をすくめ、慣れた様子で答える。
「慣れれば些細なものです」
「……なるほど」
トルトッコは杖を膝に置き、思案げに頭上の光輪を見上げた。
「何といいますか……実に人間らしいスチームマトンですな」
「皆さん、そうおっしゃいますわ」
ブロンシェは小さく笑い、額のゴーグルを指で軽くはじいた。
「慣れれば些細なものですっ!」
両側に切り立つ巨樹の間を、ケッテン・マーチャントは白い蒸気の尾を流星のように引きながら、滑るように進んでいく。
時折、首を伸ばすように上へと浮上し、障害物を避けては再び元の高度へ戻る。
枝葉から差し込む木漏れ日が、真鍮で精緻に装飾された車体の細部を煌めかせ、森の中で異彩を放っていた。
スチームホバーの運転に必要なライセンスこそブロンシェは持っていないものの、アストラ・エンジニアリング社公認の運転システムとして、モンブランによる操縦は合法的に認められていた。
「到着しました!」
モンブランが満足げな声を上げ、同時に蒸気の出力を慎重に下げていく。
「ここが目的地でございます!」
格納されていたランディングギアが車体下部からカチリ、という機械音とともに降りる。スチームホバーは蒸気の雲に包まれながら、徐々に速度を落とし、静かに着地した。
「おお、ここじゃここじゃ!」
トルトッコは座席から身を乗り出し、目を細めた。
「やっと着いたか。懐かしいのう……」
彼は感慨深げに、木々に囲まれた小さな空き地にある古びた高床式の小屋と離れの炊事場を見渡した。身長の倍はある長杖を小さな手に握りしめ、光輪が興奮したように明滅している。
「外には誰もいませんわね……」
ブロンシェはドアを開け、小さな革の手袋をはめた手で額を覆い、陽光の中で目を細める。
「中かしら?」
「ふむ。訪ねてみるかの――」
二人が小屋に向かい、トルトッコが何度か節目のある杖で扉をたたくも反応はない。三度目には「シエラ、おるかいの?」と名前を呼んだが、返事はなかった。
「ふむぅ……」
彼は長い白髭をなでながら首を傾げた。
「どうやら、留守のようじゃ。祠か木里におるのかもしれんの」
「木里……」
ブロンシェの瞳が好奇心で輝いた。
ダンマルク王国内で行商を営んできたブロンシェにとって、チェリッシュ大森林を訪れたのは初めてのことだった。チェリッシュの木里といえば、数多の商人が集まる交易地として名高く、珍しい品々が行き交う場所。いつか訪れたいと願っていた場所である。
そんな憧憬が顔に出ていたのか、トルトッコは微笑み、杖を地面に軽く突きながら提案した。
「ブロンシェどの。とりあえず、わしをここまで連れて来るというクエストは達成しているのだから、最後まで付き合う必要はないですぞ。わしはここで家主を気長に待つことにするわい」
ブロンシェは紫のコートの内ポケットから、クエスト達成の証である『サティファ』を取り出し、その縁を丁寧に指でなぞった。それを木里の宿『ネルルの樹』に持参すれば、報酬を受け取れる。
「ありがとうございます、トルトッコさま。ですが、そういうわけには参りません。依頼には『シエラさまと会うため』と明記されております。クエストはまだ終わっておりませんわ」
静寂に包まれた森に、彼女の言葉が凛と響き渡る。
ブロンシェにとって、クエストの依頼は契約と同義。契約とは、決して違えることのできない、絶対的な絆なのだ。
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